秋から冬へと一つ一つ色が奪い去られる。
それは樹々を覆っている彩りが剥がれ落ちていく様であったり、地肌をさらけだす大地であったり……。
霜月とはよくいったものだ。踏みしめる大地のすぐ下で、微かな音を立てる冬の伏兵は、確かに次の季節の到来を告げている。
そぼ降る雨が降るごとに増す冷たさや、夜の凍り付くような試練に耐えて、樹々や大地は新たな純白の衣が与えられるのを待っているかのようだ。
けれど、そんなただ一つの色に染め変えられてしまうには、今はほんの少しだけ早い季節だった。
「日向さん居ます?」
形だけのノックの後、ドアの影から反町が顔を覗かせた。
「おう」
勉強机の背もたれに寄り掛かり、首だけ巡らして日向は応えた。
「若島津は……やっぱり、いませんね」
「彼奴なら、授業が終ってすぐに出掛けたぜ」
自分に声を掛けておきながら、部屋の中を見渡して呟く反町の意図に気付いて、日向はそう返した。
「わかってますよ、確かめにきただけですから」
自分を招き入れてくれない日向に、反町はまだ諦め悪くその場で待っていたが、結局自らドアを締め入ってきた。
「着替えもしないで行ったんですか?」
いつも若島津が学生服を掛けている、ベッドの端のハンガーを見て、反町が日向の背に問い掛けた。
「ああ」
日向の返事は素っ気無い。
「彼奴ってこんな日によく出掛けません? 雨の日とかオフとか。何処行ったんです?」
「……さあな」
日向は応対はするものの、一向に振り向く気配がない。かといってこれといって何かをしているというわけでもなさそうだ。
「まあ、日向さんじゃないんだから、そう心配することもないですね」
ムッとした顔で日向がやっと振り返った。小学生の時のヨーロッパ遠征と去年の大会直前の失踪に対する嫌味であることは、いかに鈍感な日向にも通じたようだ。
「何か用事でもあるのか」
ようやく話の機会を与えられて、反町は嬉々として日向に近付いた。
「日向さん、退寮日の予定どうなってます」
「なんだ、薮から棒に。それに随分と気の早い話しじゃねぇか」
「そんなこと事ないですよ。もう幾らもしないうつに12月ですもん」
そうかよ、と日向は取り敢えず反町の話の先を促した。
「どうせ今年も若島津と一緒に帰るんでしょ。最後の日まで? こっち出るのは朝ですか、夕方…?それとも…」
「ちょっと待てっ!」
矢継ぎ早に質問を浴びせてくる反町を、日向が遮る。話の腰を折られて反町は少し不満そうだが、日向は頓着しない。
「聞きたいことは大体わかった。要点を言え」
だから、と反町は云い置いて、長居を決め込むように若島津の机から椅子を引っ張ってくると腰掛けた。
「それ聞いとかないと、パーティーの予定が組めないじゃないですか」
「クリスマスの日なんか決まってるだろ」
頬杖をついて日向は反町を斜めに見上げる。
「もちろんクリシマスもやりますよ。俺が言ってるのは若島津の誕生日」
そう云って反町は満面の笑みを浮かべた。
若島津が病因を出る頃、街並は薄暗闇に沈んでいた。時折、ライトに照らされる雨だけが刻一刻と深さをます闇の中に浮かんでいる。
月に一度の割合いでしか通らない街並は、来る度に姿を変えている。ついこの間まで緑色であった風景は、見る影も無い。
間もなく訪れるクリスマスというお祭りの為に用意された、街を縁取るイルミネーション。明るさの許では滑稽ですらあるが、暮れ始めた今頃にはようやく綺麗とも思えてくる。
郊外へと向うバス停は人影も疎らで、ちょうどバスが出た後らしかった。
(20分後か…)
時刻表を確かめ、少し迷った後に結局若島津は歩き出した。一停留所ぐらい歩くのは大した距離ではなかったし、何よりただ待つだけでは無駄に時間を過ごすようで嫌だった。
これは日向の影響だな、と思う。
日向と明和に帰りつく時間はほとんど夕方、あるいは夜だ。田舎の事で、バスの本数は東京ほど多くはなく、待ち時間もこんなものではすまない。そんな時、決まって日向は『歩く』と云い出す。
『その方が早いぜ』
『大して変わらないんじゃないですか?』
迷いはしないだろうが、あまり整備のよくない道を思って若島津が口を挟む。
『大違いだ。バス代が浮くからな』
そう云うと日向は、スポーツバッグを肩に担いで歩き出す。仕方なく若島津は後を追った。
思わず笑みが溢れる。自分はお金が惜しい訳ではなかたけれど、日向と取り留めもない会話をしながら歩く道程は、心地良いものであった。
日常の習慣や考え方、それは些細な事だけに何時の間にか自分の中に入り込んでいる。ふとした時に、日向を一つの基準にしている自分に気付くのである。
そんなことを考えら近道をする為に入った路地裏で、何かの気配を感じ若島津は立ち止まった。
電信柱の陰に、隠すように古ぼけたダンボール箱が置かれている。気配はその中からしていた。
遠目には、茶色のボロ布にしか見えなかったし、近付いてもやはり同じである。
(気のせいか?)
そう思って立ち去ろうとした若島津の目の端で、ボロ布が動いた。正しくは、動いたような気がした。
だから手を差し伸べた。掌に触れるであろう、濡れた布の感触を想像し乍ら…。
しかし、若島津は触れた手を弾かれたように引っ込めた。触れたボロ布は温かかった――。
じっとりと雨に濡れたその表面は、決して冷たい物ではなく、温もりと微かな鼓動を伝える。
気がつけば抱き上げていた。そしてそうっと、怯えさせないように抱き締めた。
それは動く元気もないほど弱り、寒さに凍える小犬であった。
「この馬鹿! 今まで何してやがったんだ」
部屋に戻ってきた若島津を見るなり、日向が怒鳴り付けた。
夕食の時間になっても帰ってこない若島津を、日向はあちこち捜しまわった。が、闇雲に動き回ってもしかたがないと、取り敢えず部屋に戻ってくると…。
「おかえりなさい、日向さん」
今帰ってきました、という様子の若島津が穏やかに微笑み、彼を迎えた。日向は安心すると同時に、怒鳴り付けてしまっていたのだ。若島津は少しだけ形の良い眉を潜め、
「すみません」
と、謝ってみせた。
よくよく見れば、髪や衣類が濡れそぼり、若島津の廻りにはまだ外気が纏わりついているようで、今度は日向が方がバツが悪くなった。
「もういいから、飯食ってこい、片付けられちまうぞ」
そう行って、若島津の冷えた身体を押し出した。
「自分で行きますから、押さないで下さいよ」
抗議する若島津を無視して、日向は若島津の服に手を掛けた。
「ほら、コートなんかさっさと脱げ!」
その時になって初めて日向は、若島津がいつもと違いまだ上着を抜いていないことに気がついた。そして、
「クゥン…」
「?」
日向は動きを止めて、音がした若島津の胸元に目をやった。
「日向さんが騒ぐから、起きちゃったじゃないですか」
若島津のコートの間から、焦げ茶の小犬がチョコンと顔を覗かせていた。
日向は如何にも雑種です、という顔つきをした小犬をしばらく見つめてから、ゆっくりと視線を若島津に戻した。その問いかけるような瞳に応えて、彼はポツリと話し出した。
「こいつね、帰り道で拾ったんです。雨降ってたし寒かったから、温っためてるうちに眠っちゃって、起さないようにしてたのに…」
悪戯っぽく笑って、日向を上目遣いに見る。
「わかった、わかった。預かっててやるから行ってこい」
何故か妙な気恥ずかしさを感じて、日向は若島津から目を逸らした。それを隠すように、わざとうんざりした態度で。
若島津は少しだけ肩を竦め、小犬をベッドにそっと下ろした。半分寝ぼけている小犬を布団に包み、
「じゃ、行ってきます」
そう云い置いて出て行った。
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