星羅棋布

冬の朝 〜おまけ〜





 昨日、一日中降り続いた雨は後からもなく去っていた。
木の葉に溜まった水滴が、雨の名残りというよりも朝露に近い…。けれど普段は光に溶け込み、目に触れる事はあまりないっくもの酢に、露と呼ぶには多過ぎる滴りが見て取れた。

 何時もより早く目覚めた反町は、欠伸を噛み殺しもせずにグランドへ向っていた。
(う〜、寒い。もう少し寝てれば良かったな)
 自分の両肩を抱くように背中を丸めて歩きながら、彼は独りごちた。
 グラウンドの近くまでくると、人の気配がした。それが誰かはすぐにわかった。
 フェンス越しに長い髪のチームメイトが見える。ならばその傍にしゃがんでいるのは日向であろう。
 二人は何かに気を取られているようで、彼には気付かない。
 カシャン…
 反町が金網の扉に手を掛けた音に気付いて、若島津が顔を上げた。
「お早う、反町。珍しく早いな」
 彼を認めると、若島津は微笑んで云葉を掛けてきた。
 これは若島津の癖で、誰かと瞳があった時、決まってこんな風に微笑む。たとえ友人同士でもいきなり視線が合えば目を逸らす者が多い、
まして知り合い程度であれば…。だが若島津には親しいとか親しく無いとか…そんな区別がない。そして浮かべる笑みもまたとても安心感があって、素敵な癖だと反町は思う。
「お早う。若島津、日向さん。何してんの?」
 反町は二人の傍にやってきて日向の肩ごしに覗き込んだ。その足元で見なれない小犬がじゃれていた。
「どうしたの、それ」
 小犬を遊ばせている日向などという光景は、今までお目にかかったことがなかった。
「ああ、昨日…」
「ちょうど良かった、反町」
 何か云いかけた若島津の云葉を制して、日向は自分の足にじゃれていた小犬を掴み、スックと立ち上がる。
「お前確か、家は都内だったよな」
「はぁ…、それが何か?」
 反町は何となく含みのある日向の質問に慎重に応えた。
「日向さん」
 若島津が咎めるように声を掛けるが、日向はチラッと目線をやりそれを黙らせる。反町の前に右手につりした小犬を差し出した。
「ほれ」
 云葉と共に彼の手に小犬が渡される。思わず受け取ってしまった反町は、大人しくしている―不思議そうに瞬きを繰り返す―彼の腕の中の小犬と見つめあった。
「………何です、これ」
 小犬と目の前の日向を見比べ反町は訊ねた。
「犬だ」
「それはわかってますよ。宝物探しでもするんですか」
 反町は唇を尖らせて皮肉を込めて云うが、日向には利いていない。
「ああ、宝探しでも何でも好きにしろ。今日からお前の犬だからな」
「な…! 勝手に決めないで下さいよ。俺にだって都合があるんですよ…」
 当然のように云い切る日向に、反町は慌てて抗議の声を上げた。
「いいですよ、日向さん。ごめんな、反町」
 それまで成り行きを見守っていた若島津が日向を諌め、反町に向き直った。
「何で若島津が謝るのさ」
 少し拗ねた口調で反町が訊ねる。若島津が日向を庇うのはいつもことなので、答えなどろくに期待しないで…。だが、
「こいつ拾ったのは俺だから。責任あるし、初めから実家に連れていくつもりだったから…」
 そう云って若島津は反町の腕からはみだしている小犬の頭を軽く撫でた。
(え、え、え?)
 いきなりの若島津の云葉に、反町の頭はすぐに回転を始めた。
「家に連れてったら、滅多に会えないだろう」
「反町に頼んだって同じですよ。第一迷惑じゃないですか」
 自分を蚊屋の外で日向と若島津は話を進めている。反町は今までの彼等の会話を頭の中で組み立て直す。呆然としている反町から若島津が小犬を引取ろうとしたその時、
「キャウン!」
 我に返った反町は咄嗟に奪われまいと小犬の身体を引っ張った。
「危ないじゃないか、反町」
 怒る若島津を物ともせず、反町は小犬をしっかりと抱え直して彼に迫った。
「俺、こいつ飼う! いや、飼わせてよ」
「でも、反町さっき…」
「いいの、いいの。親には何とでも言うから」
「調子の良い奴」
 ボソリと呟かれた日向の科白には、しっかりと悪意を感じたが、取り敢えず反町は無視することにした。
「本当に迷惑でないなら、有り難いな」
 嬉しそうに保hの笑む若島津に反町は大満足だった。
「全然平気、だから遊びに来いよ。な、な」
「うん」
 何で反町が盛り上がっているかは知らないが、それでも若島津は笑って頷いた。
「俺も行くぞ。いいよな」
 何時の間にか若島津の肩を抱き込んで、反町を少し睨むように日向が云った。
「……歓迎しますよ。日向さん」
「何だ、その間は」
 いや、別に。などと口籠ると反町と日向を眺めて、若島津は奇妙な顔をしている。
「何あんた凄んでるんです」
 若島津の問い掛けに、「何でもねえ」と怒ったように云うと、そっぽを向いて二人から離れた。
 その後ろ姿をほっとして見送る反町は、若島津に近付いた。
「何かさ、早起きすると良い事あるって、格言……みたいな、なかったっけ」
 反町は眉間に皺を寄せ、思い出そうとした。
「ああ諺だろ、〈早起きは三文の得〉?」
「そうそれ。でも三文じゃないよな」
 反町の呟きは、ほとんど独り言であった。
「そうだな、いくらただで拾ってきたっていっても、三文じゃ可哀想だ」
 それを聞き咎めて、若島津が小犬の頭をそっと撫でる。
「あ、犬の事?」
「え、違うのか?」
「う、ううん、そうそう」
 反町は頭を振って曖昧に頷いた。
 本当は目の前の人の、思いもかけない笑顔を見れた事だっただけれど、それは云わなくてもいいと思う。
 へへっ、と得意気な反町を若島津は訳がわからない、とばかりに首を傾げ不思議そうに見ていた。



 そろそろ朝練の時間だ。グラウンドに人が集まり始めている。いつもの一日はまだ始ったばかりであった。


END

(1989.12 脱稿分を改訂)



後書き

「冬の帰り道」のおまけ、反町編。「Unbalance」といい、反町好きだったなぁ。やっぱりK3(小次郎、健、一樹 をこう称したはず。3Kじゃなかったと思うんだけど…)だから――。何もかも皆懐かしいなぁ(^^;)。

 鈴蘭 



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