星羅棋布

彼に想うこと…

 【1/2】 





 時計はそろそろ8時を差そうとしていた。談話室のテレビからは誰も聞いていないニュース番組が流れている。
 まだ宵の口ではあるが人影は疎らで、大方はもう自室へ引き上げてしまったようだ。



 日向はさっきからマガジンラックから雑誌を取り出してはまた戻す、という行為を繰り返している。さして目当ての物が有るわけでもなく、眼に止まったものを適当に抜き、読んでいるだけだ。
 それは、日向にしては珍しい時間の潰し方であった。


「あれ、日向さんだ」
 意外そうな声とともに、快活という云葉がピッタリの童顔のチームメイトが顔を覗かせた。
「なんだ反町――、何か用か?」
 広い室内に一定の間隔を置いて設けられたソファの、わざわざ自分の隣に陣取ってきた彼に日向は訊ねた。
「いいえ、俺はテレビ観にきただけですもん。あんた自分が一番良い席にいるって自覚あります? そんな真ん前にいたら誰も怖くてチャンネル変えられないでしょ」
 そう云って周囲を指し示す仕種をした。
 日向にしてみれば雑誌の取り易い位置を選んだにすぎないが、云われてみるとTVのすぐ側にいたというわけだ。
「そうか、そりゃ悪かったな」
 悪びれる風もなく答える日向と同様に反町はさっさとチャンネルを変えた。
「あ、観てませんよね」
 そういうことは変える前に云え…と日向は思ったが、どうせ反町はきく玉じゃないと、無言で頷いた。


 TVが映し出す映し出す歌番組からは、ピラピラした服を着たアイドルが時々掠れる声で危なっかしく歌っている。当の反町はテーブルの上にノートを広げて何やらやっているところを見ると、目当ての歌手ではないらしい。
「最近日向さん、よく談話室にいますよね。一人でなんて珍しい」
 顔も上げないままに、思い付いたように反町が云う。
「――――俺が一人でいちゃ、悪いみてぇだな」
 一瞬、走った緊張に気付かれないように日向は軽口を叩いた。
「いやだな〜日向さん、変に勘ぐっちゃて。普通の学生してるなって言ってんの」
 邪気がない、それだけに鋭さを秘めた云葉に日向は舌を巻いた。しかし反町はそれ以上返答を期待していないのか、黙ってしまった日向を気にも止めていなかった。


 『反町は結構油断のならないところがあるな』
 ふと、以前、若島津がそんなことを云っていたのを思い出す。
 南葛との同時優勝で終った中学三年のあの決勝戦…若島津の肩の状態は予想以上に酷かった。
 疎い日向は気が回らない部分があった―若島津が皆に心配させないように振る舞っていたこともあるが―のを代って何くれとなくフォローしたのが反町だった。
 そのことへの感謝を示していた筈の若島津が、反町に対する辛辣な評価を口にしたことを、日向は意外に思ったものだが、
 『別に悪い意味じゃないよ――』
 日向の思考を読みとったように若島津は苦笑し、続けた。
 『見掛け程軽くないのも良く知ってる。信用も出来るし、相談も案外真面目に聞くしさ――だから、こいつならって、気にさせられるところがね、』
 困ったような顔で上手い説明の仕方を探している…そんな仕種で視線を逸らし、
 『ちょっと怖いかな…』
 小さく呟いた。
 それは、日向が吉良監督の元で特訓していた時のことも含まれていたのだろう。
 キャプテンである自分が不在に監督とも諍い…、自然と気を張らざるおえない若島津に反町は、
 『少しは俺達のことも信用しろよ』
 と涙ぐんで怒ったという。
 普段は軽く見せてる奴が一転して真剣な顔で懐に飛び込んでる…そんな反町が若島津には案外苦手な存在であったのかもしれない。
 今なら解る、彼にとって油断がならないのは反町本人より、つい気を許してもいい…そう思わされて自分を曝け出してしまうことへの嫌悪なのかもしれないと――。
 そういう日向も、反町の何気ない云葉に後ろめたさを感じ、さらにその思考が若島津へと流れてゆく。

 東邦ゴールの守護神と大層に呼ばれている若島津の第一印象を聞かれれば、誰もが“綺麗”と答えるだろう。整い過ぎた容貌と男にしては長めの髪、ほどよいバランスの肢体。
 ともすると人間臭さの感じられない彼が、不思議と冷たいという印象を与えないのは、あの独特の微笑みの所為だ。
 彼を知る者は“穏やか”と答え、“優しい”という。その反面に、ポーカーフェイスで通っている若島津の印象は、その内面のように矛盾している。
 彼が案外に臆病で見栄っ張りだと日向が気付いたのはいつだったか。自分にも他人にも干渉することを根底で嫌う彼が、日向よりよほど人付き合いが不得手なのではないか――?

 そんな彼が、日向だけは別格に扱う。それは多分自惚れではないだろう。
 若島津が自分に向けてくる尊敬や信頼を痛いほど感じる、空気のように自然な気配りや過渡の親密さに――日向は、錯覚を起しそうになる。
 自分は、若島津にっとて特別な誰かであると――そして同時に抱く、ある衝動…

 ―彼に触れたい―

 そう、思う――。
 自分にとって“親しい友人”であったはずの若島津の存在が、いつの頃からか日向の中で友情とは違った色を帯び始めた――危険な感情を伴って…。

 そんな自分の変化に気付いてからは若島津と同室の部屋にいることを気詰まりを感じ、今まで煩わしくて断っていた寮生との付き合いを日向がそれなりにするようになっていた。
 こんな風に談話室に無為に時間を過ごすのもその一つだが、その付け焼き刃の振る舞いの不自然さに気付いたのは、反町ならではというわけだろう。

(チッ…俺らしくもない――)
 自分の思考から抜けて、何の気なしに反町の手許に眼を走らせた日向は、その見慣れた字面に気付く。
「――おい、それ」
「わっ、日向さん!」
 反町の制止の声を無視してノートをひっくり返し、几帳面な少し右上がりの文字と若島津の名前を確かめた。
「やっぱり、あいつのか」
「生物のレポート書くんで借りてんです。わかったら離してください」
「ああ」
 いささか鈍い反応で日向は力を抜いた。ノートを取り戻し反町は不機嫌そうにブツブツと呟く。
「まったく、若島津のこととなると―――」
「何か言ったか?」
「いいえ―――、日向さん風呂入ってきたらどうですか、お湯落されちゃいますよ」
 反町が話を逸らすと日向はあっさりと答えた。
「今日はいい。練習もなかったし、そんなに汚れてないだろう」
 云い切る日向は呆れたような、可笑しいような顔で眉を寄せた。
「―――俺はいいけど、若島津がよく黙ってますね」
「前はうるさかったが、最近はな――」
 日向は云葉を濁す。『不精だ』とか『汚い』だとか、散々怒っていた彼も最近では諦めたのか何も云わない、しかし相変わらず眼は口程に物を云ってはいる。
「フーン、目に浮かびますね。なーんか倦怠期の夫婦みたいだけど」
 薄笑いの反町の云い草に日向は複雑に口許を歪めた。
「バカ言ってんな、―――手が止まってるぞ」
「はは、冗談ですって。そうだ、面白いもんありますよ」
 誤魔化すように愛想笑いを浮かべた反町はジーパンのポケットから封筒を取り出した。
「さっき逢阪に貰ったやつ。日向さんのもあるから」
「逢阪って、写真部のか?」
 以前に、『俺達の隠し撮り写真を売ってる奴がいる』と反町は憤慨していたが、その時にあがった名が確か、逢阪だったはずだ。
 封筒の中身はやはり十数枚の写真であった。
「絶対許さないんじゃなかったのか?」
 揶揄するような日向にも反町はしれっとして答える。
「そ、だから商売物をチェックするのは当然ざんしょ」
 すっかり当の本人と馴れ合ってしまうとはさすが反町、ちゃっかりしている。同時に日向は昼間女子が騒いでいたのは、これか…と納得する。


 『これ、この表情がサイコーなの!』
 『またナオの“サイコー”が始った』
 『えー、若島津君の写真ならあたしも欲しいよ』
 昼休みに教室でうつらうつらしていた日向の耳に、その会話が入ってきた。
 特に注意していなくても、彼女等の話題に時折混じる名前に理由もなく胸が騒ぐのはいつものことだ。
 ちなみに、そんな風に売り買いされている写真の中には、日向自身の物もあるのだが、そちらの方は一向に気にならなかったが…。

 日向は受取った写真をザッと眺める。一ヶ月前の練習試合と練習中のが混ざっているらしい、日向や若島津、反町に島野など一通りのレギュラーメンバーが撮ってある。
 顔のアップばかりでフォームの研究にはなりそうもないが、確かに逢阪の腕は良いようだ。
「まあ、良く撮れてるか―――」
 無造作に捲っていたが、一枚の写真で手が止まる。ドキリ、と心臓が高鳴った。

 それは試合中の若島津を撮られた一枚…。複数ある写真の中で他とあきらかに違うのは、彼の苦痛の表情を捉えている点だ。
 練習試合のその日は、小雨の中で行われた。若島津のコンディションはベストとは云い難かった。弱音を吐かない彼は幾度もこんな苦しそうな顔を隠していたのか…。
「気に入ったのあります? あっ、そのシュート止めてる奴、いいでしょう」
 日向が己の写真など見ていないことなは先刻承知、とばかりのしたり顔でやけに明るく反町が問い掛けた。
「それは逢阪も一番売れるって太鼓判押してましてね、女の子のニーズにバッチリハマッってるでしょ」
 視線を写真からムリヤリ引き剥がして顔を上げた日向は、不振そうに聞き返す。
「なんだ、そのニーズってのは?」
「女の子達曰く、『若島津君て修行僧みたいで素敵』って。試合中は特にね、普段とは違う男の色気を感じるんだってさ」
 反町は裏声で女子の口調を真似、科までつくって屈託なく答えた。
「修行僧? ――それのどこが素敵なんだ?」
 雑ぜっ返す日向に、反町は一転してウーン…と真顔になった。
「――俺にもわかんないけどさ、坊さんてストイックな感じがするんじゃないの――違うかな?」
 考え込む時の癖であるいつもの仕種でシャーペンの尻で自分の額を突つき、
「ほら、こういうのはイメージだから、同じ古風たって相撲取りにはそうは言わないし、理屈じゃなくて女の子流の褒め言葉の一種でしょ」
 もっともらしく講釈を垂れられるとそんなような気がしてくるが、日向はまだ納得がいかな気に頭を掻いた。
「あいつって隙がなさ過ぎるからね、こういう表情が母性本能を刺激するんじゃないの」
 だめ押しのような反町の云葉にただ不機嫌さが募る。
「―――下らねぇ」
 日向は無性に腹立たしい気分で呟いた。






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