星羅棋布

彼に想うこと…

 【2/2】 





「お帰り、遅かったですね」
 日向が部屋に入ると若島津がにこやかに迎えてきた。その機嫌が良い理由が、
 『気が変わったから風呂に行ってくる』
 といいう日向の言動の所為だとは、彼も案外とお手軽な性格をしているものだ。

「今日はちゃんと入ってきたみたいですね、感心、感心。いつもそうだといいんだけどね」
「チッ、言ってろ」
 日向は若島津の憎まれ口に、肩に掛けていたタオルを乱暴に彼に向って投げた。
「…ちょっと、――濡れたもんを投げないで下さい、まったく!」
 ぶつかる寸前に受け止めた若島津の逆に日向の胸元にそれを投げ返すが、もちろん簡単に止められた。
「反町、何か言ってたか?」
 若島津の机の上のノートに目を止め、日向が訊ねる。
「いえ――ノートを返しにきましたけど、別に何も」
「そうか」
 その日向の返事に若島津は怪訝そうな顔をするが、彼はソッポを向きそれ以上は答えなかった。


 若島津に、“油断のならない奴”と評される反町に、逆に若島津のことを云わせると、
 『あの笑顔が曲者だ』
 ということらしい。
 『あいつの笑顔って無関心と同義語。許容されてるんだか拒絶されてるんだか、わかんないところある。しっかり使い分けられてるっていうか…』
 悔しいそうにそ漏らしていた…―とは島野から聞いたことだ。
 『自分が無関心な方だって気付いたりするとムッとくるよ』
 さすがに若島津本人や日向を前にしては云わないが、反町なりに不満も苛立ちもあるらしい。
 反町ほど聡くはない日向には、自分に向けてくる若島津の笑顔がどちらかなどは判断がつかないが…。

 そんなことを思いがながら、机に向う若島津を見やる。
 最近視力を落したとかで、部屋の中だけで野暮ったい眼鏡を掛けている。
 その原因は若島津の根を詰め過ぎる性質にもあるのだろう、今の書き物も日向が風呂に行く前からだから結構な時間になる。
「まだ終らねぇのか、お前ならそんなにガリ勉しなくても大丈夫だろうに」
 背後から覗き込む日向に若島津は肩を竦める。
「そんなことはないよ。まあ、日向さんはやれば出来るのにしなさ過ぎですけどね。――でももうすぐ終りますから、先に寝ちゃってください」
 そう云って若島津は机のライトを消したが、彼が作業を止める気配はない。
「まだ続けんだろ、点けとけ。目悪くなるぞ」
「でも日向さん、眩しいと眠れないでしょう」
(人のことなんかにそんなに気を使ってんじゃねぇ!)
 と怒鳴りたいのを日向は喉元で堪える。
「―――俺ならまだ寝ないから、いいぞ」
 代わりにそう云うと、躊躇していた若島津もすまなさそうにまた灯りをつけた。
 日向はベッドに寝転がり、灯りに照らされる彼の横顔を眺めた。

 泥の付いた白い頬に乱れかかる髪、形の良い眉は不均等に歪められ、薄い唇は衝撃を堪えるかのようにきつく結ばれている。長い髪は風をはらんで宙に広がり――
 そんな、写真の中の見知らぬ彼――。

 日向は立ち上がって、若島津を抱き締めたい衝動に駆られた。
(――ったく…!)
 目を閉じ、衝動ごと押さえ込むようにグッと手を握りしめる。それでも、浮かべてしまった想像は消えない。
 あの苦痛の表情を――見たい、自分だけのものにしたい。今すぐにも邪魔な眼鏡を取り上げ、薄い唇を塞いで―――

「―――さん、日向さん」
「…あ、――なん、だ?」
 自分を呼ぶ若島津の声に、日向は我に返った。
「やっぱり電気消しましょうか?」
 若島津のレンズの奥の瞳が心配そうに細められる。眼鏡を通して見る彼の瞳は意図的に他人との間に距離を置いているように見え、日向は好きではなかった。
「終ったのか」
 感情がそのままに、口調がぶっきらぼうになる。
「いえ、でも日向さん眠そうだし、――今日はもう休みましょう」
 ぼんやりしている日向の様子を気遣ったのか、諭すように若島津は小さな笑みを浮かべた。
「別に眠くなんかねぇぞ」
「そうですね。俺の方が飽きちゃったんですよ」
 日向の反発を―まるで聞き分けの悪い子供を―いなすように流して片づけを始めた。こういう時の彼の態度は、日向を立てるというよりは、宥められているようだ。
 だが、お陰で衝動を押さえ込み、普通に会話を成り立たせることが出来ることにホッとしていた。そんな日向の気も知らないで、
「でも日向さん、寝るのはいいけど、服散らかしっぱなしですよ」
 風呂から帰った時のまま床に丸めてある着替えを見つけた若島津が、所帯じみたことを注意してくる。
「んなもん、ほっとけ」
 ぶっきらぼうに云って目を閉じるた日向を他所に、若島津は脱ぎ散らかしてあった洋服を拾い出す。
「そんなわけにはいかな――」
「若島津?」
 云葉の止まった若島津を訝しんで、声を掛けた。日向に背を向けている彼は床の上から何かを拾い上げていた。
(――まずいっ!)
 咄嗟に日向はベッドから身を起した。
 振り返った若島津が手にしているのは先の―反町に貰った―写真。無言のままに彼はそれを睨めつけた。
「そ、反町がな…お前に渡してくれって…悪い、忘れてた。――例の、逢阪の、だ」
 痛い程張り詰めた沈黙を、日向のぎこちない声が破る。彼は自分の迂闊さに腹を立てた。若島津の目に触れさせるつもりなどなかったのだ。
 それは日向がそれを自分の物としておきたいからではなく―そんな独占欲以上に―、若島津がもっとも嫌うであろう、不様な己―と彼が思い込んでいる―の姿を捉えた証しなど…。
「――逢阪? ――ああ、あいつの」
 若島津は一切感情のこもらない声音で頷く。
「反町、何か言ってたんでしょう。さっきの日向さんの口振りからすると」
 まったく若島津は勘が良い。下手な隠しだてなど出来るはずもない。日向は大人しく白状した。
「大したことは聞いてねぇよ。お前の写真が良く売れるってな」
 日向は大人しく白状したが、それだけでは収まらなかった。
「モテてるみたいじゃねぇか、良かったな」
 また腹が立ってきた日向は不貞腐れて呟く。
「どうかな、本当にモテるのは日向さんみたいなタイプですよ。でも、あんたもそういうこと気にするんですね」
 首を傾げる若島津は、からかうというより心底驚いているようだ。
(何言ってやがるっ)
 彼にそんな風に思われているのは…腹が立つ。
 若島津の場合は単に他人に興味を示さないだけだろう。
「ああ、俺はお前みてぇな聖人君子じゃねえからな」
「聖…? 誰がですか」
 日向にしても気になるのは相手が彼だからで、他の奴のことなどどうでもいいのだが…そんなことは棚上げだ。
「お前がだよ。モテりゃ、嬉しいだろ普通はよ」
「あんなの、興味本位のただの覗き趣味ですよ、本当に俺が好きなんだかどうだか……」
 若島津は興味を無くしたように机に写真を放った。
 彼が他人の干渉に冷淡なのはいつものことだが、それが好意に対しても同様である。いっそその拒絶は病的ですらあった。だから、つい日向もムキになる。
「そうバカにしたもんでもないだろう。――女ってのは案外見てるもんだぜ」
 自分でも理由のわからない苛立ちに云葉を投げると、若島津は目を眇めた。
「…反町あたりならともかく、あんたにしちゃ珍しい発言ですね」
 日向は写真を取り上げて指で弾く。
「――こんなもんを見て、お前が修行僧なんて発想は俺にはとても出てこねぇな」
「へぇ―――、面白い事…言いますね」
 若島津はその云葉を反芻して冷めた声で口許を上げる。その顔からは日向が普段なら決して触れない領域に踏み込んでいるのだろうことを知らせる。だが、今更止めるつもりはない。
「多少の云葉のギャップはあっても…ようは素敵なんだと、――庇ってやりたくなるそうだ」
 反町からの受け売りをそのまま口にする、最後の方はさすがに小さな声になった。
「『辛いことがあったら私に話して』――ですか? 言われたことを鵜呑みにするほど俺はお目出度くもないし、それが好意ならまっぴらですよ」
 そう云う若島津を注意深く窺った。容赦のない口調は、日向にさへ彼女達が気の毒に感じられる。何よりもその口許は笑みの形作っているのに反して、瞳は少しも笑っていなかった。
「誰かそんなこと言う奴がいるのか?」
「―――まぁ、それなりに」
 鼻白む日向に、若島津は失言だというようにバツが悪そうに口許を抑えた。
「そんだけ誰が見てもてめぇの無茶がわかるってこった」
 彼にそう告げた誰かが気になって、日向の口調はことさら投げ遺りになる。だが、若島津が一瞬にして顔色を変えていた。そして、
「――――そんなに、情けない顔…してましたかね」
 溜息と共に、微かに呟いた。
「おい、何の話だそりゃ」
 聞き咎めた日向に若島津は、「なんでもないです」と背を向けた。もちろん日向はそんな答えに納得せずに彼の肩を掴んで振り向かせた。
「何だよ、わかるように言え」
 きつい口調で詰め寄る日向から若島津は表情を読み取らせないかのように俯いた。
「………あんたに慣れない慰めをしてもらうようじゃ、俺はやっぱり修行が足りないようですね」
 女共の好き勝手な噂に頓着しない彼が、日向のあんな―何気ない―一言にそんなにショックを受けるとは正直いって驚きだった。
 だからこそ微笑みを作り冗談ですましてしまおうとする若島津の様子が、日向の胸を打った。
 笑みを浮かべている顔なのに、苦し気に歪められたあの写真の中の彼の表情とダブリ、彼の張っている虚勢が剥がれた印象に日向は思わず若島津の肩を握る力を強くした。
 ビクッ、と彼の身体が強張って、それから逃れる仕種にますます力を強める日向に若島津は苦痛を訴えるように小さな呟きを返した。
「日向――さん?」
 日向には若島津が自分にも心を開かないのか、という怒りがある。彼が干渉を嫌う他人の中に、自分も数えられているのは我慢がならなかった。
「誰にも弱味を見せねぇのは偉くなんかねぇぞ――! 苦しい時に助けたいって思うのは当然だ…!」
 その剣幕に一瞬若島津は目を見開く、抵抗するような強張りが弱まった…のはほんの数秒のこと―それが日向には随分長く感じられたが―しかし、すぐに彼は日向の手に自分の手を重ねてきた。
「――俺は辛いなんて思ったことは一度もないけど、でも周りからはよっぽど見苦しくて――それがあんたには弱味に見えるのかもしれませんね。でも、そんなことは少しもないんです」
 と、笑って若島津が手を振り解こうとするのを日向は許さなかった。
「日向さん?」
 若島津は不審そうに問いかける。日向はその手をぐっと、さらに力を込めて握る。
「だったら、言えよ――。愚痴も、弱音も。辛くないってんなら、構わないだろう。俺が相手にしてるのは写真のてめぇなんかじゃねえんだ」
 神妙な面持ちで日向は本気で彼に訴えた。今ならいつものもどかしさを彼に伝えられるかもしれない。
「日向さん――」
 日向を真直ぐに見つめた後、若島津の手がしなやかに動いて日向の前髪を払った。
「え?…お、おい…」
 声が上擦る日向に構わず、彼の手が額に当てられ…
「――おい、何してる…」
「ちょっと、熱が高いようですね」
 眉を潜めて呟く若島津に日向はガックリと肩を落した。
 ……ここは、こういう場面ではなかったはずだ。大体さっきまであんなに頼り無気な様子をしていた癖に…。
「――分ってますよ」
 脱力している日向の耳に、若島津の静かな声が流れこんだ。少し笑いを含んでいるが、安心させるように穏やかな響き、彼の焦燥を丸ごと包み込んでしまうようだ。
「俺は意地っ張りで――、絶対譲れない線がある。あんたにならなおさらだ」
 若島津の瞳に強い意志を示す光が宿っている。こんな顔を実は日向はとても好きだ。彼の苦痛の表情を見たいと思う昏い欲望と同じくらいに――、まったく勝手なものだ。
「――なら、お前の意地ってのはなんだ?」
「誰にも心配させないこと、かな」
 微笑む若島津に日向はまたはぐらかされた気分で、ちっとも解っていないじゃないか、と口をへの字に曲げる。
「あんた、知ってる? 今のあんたに言い種、女の子達と一緒だ」
 若島津は呆れたように云うが、日向にしてみれば心情的にはその通りなのだから仕方がない。
「けど、なんでかな。腹は立たない。そりゃ別の意味じゃ腹立つけど」
 若島津は可笑しそうに眉を寄せる。彼がそれと解るほど、はっきり云葉にすることは珍しい。
 若島津が自分の信念をここまで折れてやってるんだと暗に告げるているのがわからないほど、日向も鈍くはないつもりだ。
「俺も――お前の文句はうるせぇと思うが、感謝してるぜ」
 ボリボリと頭を掻いて、日向は頬を紅潮させる。この好意はやがて若島津を傷つけることになるかもしれない――。
「――若島津、俺は――」
 云いたいことが山程ある。日向の身体はまた温度を上げたようだ。
「若…」
「やっぱり日向さん、熱あるでしょう」
 云いかけた日向の前に、若島津の手を掴んだままの手がズイと突き出された。
「ほら、こんなに熱い」
 平然とした態度に日向の熱は一気に冷め、そして前よりさらに一層その顔は怒りの為に赤味を増した。
「………馬っ鹿野郎――!」
 そう怒鳴って若島津を一睨みすると、憤りのままに彼の手をバシッと払ってベッドに潜り込んだ。上手い云い回しなど思いつくはずもない精一杯の云葉を茶化され、日向は盛大に拗ねてしまった。
(馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがって、馬鹿に……)
 後は怒りの為に思考にならない。何のことはない、照れの裏返しである。
 毛布を被って動かない日向の背に幾度か若島津の心配そうな声がかかる。それも「薬飲まなくていいんですか」というズレた調子で…。
 最初はただ無視していただけだった日向がやがて本当の眠りにつき始めた頃、彼の穏やかな声が聞こえた。
「――俺は庇われるのも弱味を見せるのもご免だけど、あんたの好意なら素直に受け止められるよ、きっと」
 その云葉の全てが日向の耳に届いたわけではないが、不思議と心が落ち着いてゆく。こんな些細な云葉で自分の心が安堵するように、逆に日向の云葉が若島津の心を温めることが出来るだろうか。それなら何も焦ることはない――。
 日向は眠りに落ちる直前の判然としない頭で考えた。



「日向さん、寝ちゃいました――? まったく、何言い出すかわかんない人だから……」
 囁いた若島津は日向の健やかな寝息を確かめて一度閉じたノートを開いた。今夜は当分眠れそうもない。そうしてゆっくりの日向の残した云葉の欠片をパズルのように並べてみる。
 それが残した温かさに、浮かぶのは苦笑か微笑か――それは彼にもわからなかった。


 若島津が干渉したいと思う日向、そして彼が干渉を許す唯一の相手も日向――。日向の感情にも、自分の不確かな感情にも――取り敢えず今は、知らない振りをしていよう…。


 好奇心から好意が始り、理解という名目のもとに相手の心に土足で踏み込むこともある。過ぎたる好意が時として悪意にもなりえることもあるだろう…。
 しかし、それは受取る側の気持ち次第。害意さへ、嬉しいこともあるとは、まことに人の感情は摩訶不思議なものである。
 そんな簡単なことさえ知らない彼等の、互いの関係の名称が変わることも近い将来にはあるのかもしれない――。



END
 
(1992.06 脱稿分を改訂)


 【2/2】 


後書き

うわっ、温いわ、コレ…。今時の感覚では寸止めもいいとこ…ってか、そこまでもいってないよ。しかしこういうのが私の“萌え”なので仕方なし…。そして、“キャプテン”物なのですが、日向視点なだけでいつものごとく“やっぱり若島津”の話でスマン、日向さん…なのも実に私っぽい(__;)。
ちなみに、この若島津は“わかっててはぐらかしー”な感じで、某双子は天然――(というのが自分的位置付けだったりする ^^;)。

(2006.09 記) 鈴蘭 



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