で、早朝猛特訓。

人間の乗るもんだし、バイクはそれなりに乗れてるから軽い軽い、とタカくくり。どのみち、知り合いでサイドカーなんてもの乗ってるヤツ、誰一人いないから自己流でしかできないけど、果たしてそれは甘かった。
総ての道と言う道がサイドカーっちゅう乗り物を否定してるっちゅうか。いやいや、道じゃなくてこの乗り物が僕という存在を否定してるっちゅうか。もう恐くて恐くて車や歩行者の少ない路地でしか走らせられない。
何をおいてもハンドルぶれ。何の気無しにまっすぐ走っていると、いきなりバタバタ…。ブレ止め機構のダンパーが最初からついてるんだけど、そんなもん無視してバタバタバタバタ。あわててアクセル戻して、ブレーキかけて、ズルッと止まって、ため息ついて。気を取り直して走り出してはバタバタ…の繰り返し。
お陰で二の腕筋肉痛。真直ぐ走らせねばと、力めば力むほど『みぎ〜、ひだり〜』って風景が行ったり来たり。初日の街道デビューは幻か? と自己嫌悪に涙目の日曜早朝。ジョギング中のおじさんからは怪し気な眼差し。とにかく慣れなきゃの早朝自主トレは果てしなく。とにもかくにも練習あるのみの体育会系。
やや日にちが経って、よくわからんが何か運転はできるぞ、と。なんとはなくだけど、とにかく操作はできてるみたいだぞ。と、裏づけもなくそう思い始めてきて、さらに数週間。いつしか気分は立派なサイドカー乗り。


今日こそ彼女、横に乗ってもらって水入らずのデートじゃ! と決心した晩秋の日曜。近頃あんまり構ってやれなくなった単車に「ごめんね」と胸の内で手を合わせ、サイドカーのカバーを剥がして、まずは自主トレコースをソロでウォーミングアップ。
自主トレ始めてもう二ヶ月ほど。早朝トレーニングも万全。「よっ、天才!」と誰かが誉めたたえる声が頭に響き渡る中、快調に路地を進む晩秋の僕。空気はお気に入りの皮ジャンが最高に似合う温度と湿度をプレゼントしてくれてる。「よっ、達人!」美しいまでの路地裏でのコーナーワーク。次の電柱の先を右折したらば我が家。ブモボボボボ。そう次の電柱。ブモボボボボ。そうこの電柱。ブモボボボボ。そうこの電柱、この電柱、この、この、この、あれ?

ふと我にかえる。
電柱を右折、電柱の右折、電柱に右折、電柱が右折、電柱が…。何故か左手に触れている。ん〜? 状況判断不能。右手には金網が寄り添っている。ん〜? しばし考える。右手に金網、左手に電柱。んじゃ、唇には? フルフェイスのヘルメットの口の部分がくっついてたりして、あ。くっついてる。でで、電柱の向こう側には? あ、サイドカー、が。またしばし考える。
「つ〜ことはだ、金網と電柱の間に在るのはバイク、すなわち僕。電柱の向こう側に在るのがサイドカー。つ〜ことはだ、僕とサイドカーの間に電柱」
「つ〜ことはだ、いや、ちょっと待て。冷静に、冷静にだ、達人。いや天才。鳥になったつもりで想像するんだ、上空から見下ろせ。そうすりゃ全てお見通しだ、今のこの状況が」
などと反芻する間でも無く現状は一目瞭然。早い話が電柱に向かって突っ込んだだけ。少しばかり早めに右折を開始してしまっただけなんだけど。ただ、単純に認めたくは無い訳で。だって天才だし、達人だし。何より誉れ高いサイドカー乗りだし。

バックギアなんてもんは付いてないから、ニュートラルに戻してバイクから降りる。ブレーキレバーが金網に突き刺さっていて上手く抜けない。ハンドルをこじってどうにか外す。金網とのわずかな隙間に身体を滑り込ませ、両手でグリップを掴み腰を落としてバックさせる。労なく本車は道に復帰。ふと電柱を見やると、コンクリートの肌に白く擦った跡。正面に回るとサイドカーの鼻先が直径20センチ、深さ5センチくらい陥没している。
「ンゲッ!」
3秒程放心。が、まあ、その、えっと、「今口座にいくらあったっけ?」
ざっと計算して落ち着く、ように仕向ける。
「とりあえず、彼女待ってるし。エンジンは? かかるか、な」
またがって、セルボタンを押す。かからない。かからない? いやそんな筈は、「あ、キルスイッチ」
さすが大人。ぶつけた時、無意識にキルスイッチを切っていた。「やっぱり達人」独り誉してセルボタン。二、三度咳き込んでブモボボボボ。クラッチを切ってペダルをローに。初心に戻ってゆっくり発進。あと十数メートルで目指す我が家。気を付けて。まっすぐ、まっすぐ。まっすぐ? 何故か右に寄って行く。気持ちハンドルを左に当てて。いや、気持ちなんてもんじゃないぞ、かなり左に切ってるぞ、これ。でも近付く風景、通り過ぎる景色はまっすぐ。ブモボボボボ。

ほどなく辿り着いて、ドアをノック。待ちかねていた連れ合い「今、外でヘンな音したけど?」「どんな?」「ゴガッ! って」「ゴガッ?」「ゴギョッ! かもしれないけど、ひどい音」「ああ、それなら…」グローブを外した途端、彼女の顔が青くなった。「俺かも」「あんたでしょ」同時発声、見事なユニゾン。彼女の視線が右手に注がれている。ふと見ると、中指から血が滴っている。実感がない。なんとなくシビレてはいるけど。「病院、電話」彼女は部屋の中に駆け込んで行った。僕は中指を目に近付けじっと見た。爪が指から自主独立していやがって。

今度はどんなかな? こんなだぜぃ。

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