【ハバナ国際ギターフェスティバル】
・’92年 第6回ハバナ国際ギターフェスティバルに招待されるきっかけとなったのは、’80年に初来日した
L・ブロウェルの公開レッスンを受けて以来、その音楽をしばしばリサイタルで取り上げていたことと、
故内山俊光画伯との交友があってのことでした。
宿泊のホテルからの眺望。
’92年5月11日。コンディションを整えることと、このフェスティバルを終えたらスペインで少しのんびり
しようという考えでマドリードからハバナ入りしたものの、案外大西洋は広くドミニカ経由で10時間くらい
かかった。当時は経済封鎖の厳しいときで、夜の10時頃にハバナに着いて担当者の出迎えの車で
ホテルに向かう道は真っ暗で、「こんなことで大丈夫かなあ〜!?」と思いきや、到着のホテルは正に
摩天楼のように煌煌とした明かりに浮かんでいて、そのコントラストが強い印象として残っています。
気がついたらもう午前2時!翌日は午前9時からリサイタルのリハーサルだ。
ホールでのソロリサイタル。
プログラムは武満 徹/フォリオス、M・コンスタン/スラブのエレジー、アルデボル/ソナタ、
日本のメロディ 他
上野の東京文化会館に似たつくりのホールで、落ち着いた雰囲気があった。
満員の聴衆と暖かい反応に、このフェスティバルの開催に向ける人々の想いを強く感じた。
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・資料館として開放していた建物の入り口にあった、フェスティバルのモニュメント。・昔のままの雰囲気を残す裏通り
17日。いよいよオーケストラとの競演だ。ハバナへ向かう前にピアニストに伴奏してもらって
十分な練習をしてきたが、指揮者のテンポ設定と合わず何度か意見交換をする。
T・ぺラーモのギター協奏曲のリハーサル。
本番の演奏は指揮者のタクトがよく見えて、オーケストラとのアンサンブルの醍醐味を味わうことができた。
終了後指揮者の女史をはじめ、オーケストラのメンバーからも「ブラボー」がかかり、まさに「至福の時」
(その2)であった!!
左上 コンチェルト終了後。指揮者のエレーラ女史と作曲者のT・ぺラーモ。
中央上 祝福に駆けつけてくれたJ・オルテガ(左)とE・フェルナンデスとD・ラッセル。
右上 チェロのR・フラショー女史と娘でギタリストのC・ウルトフ。
フラショー先生は芸大で教えていたので日本語ができる。 娘のウルトフも少し話せるので、
私の??なフランス語とスペイン語と日本語が入り混じって面白かった。 仲良しになって帰国後も交流が続いた。
左下 このフェスティバル主催の中心人物のひとりJ・オルテガと。
つづきは近日アップします。