2000年・・・20世紀最後の年はいろいろな意味で忘れられない年になりました。
1999年の年末にあれだけ死にそうだった ちび丸は、うそのように食欲も出て、元気になっていきました。もちろん投薬をし、処方食を食べさせ、定期的に血液検査やレントゲンを撮るなどの検査はしていました。胸水も溜まってはいるものの本人がいたって元気なので様子を見ていたところ、不思議と溜まっていた胸水も抜けてるようでした。
1月が過ぎ、2月が過ぎ、3月が来るころには一時ではありますが薬をお休みできるくらいになっていました。そして調子の良い時期にワクチン接種まで出来ました。(ここで最後までワクチンを接種するところが職業病なんでしょうか・・・)
3月後半にまた胸水が溜まってきたため投薬は再開されました。
その頃になって食事をしている割に体重が減少しているのが気になり、以前もしかしたらと思っていたホルモンの検査をしてみました。
以前それを狙って採血をしたときは肝臓の値が悪く、肝性脳症を疑いましたが、胸水が溜まらなくなってからというもの、肝臓の値は正常値になっていたので、本当にダメでもともと・・・みたいな気持ちでした。
そして検査をしたところ、肝性脳症が発覚したときの数倍の驚きが・・・。
異常値も異常値・・・検査では計れないくらいの値でした。
ちび丸に出された診断は「甲状腺機能亢進症」というものでした。
甲状腺機能亢進症は年寄り猫に多く見られる病気のようですが、症状として食べてるのに痩せてきたとか、性格が変わるとか、いまいち確定診断がつきにくい病気で、甲状腺が大きくなって触診できれば分かりやすいのですが、ちび丸の場合は触診しても正常な感じではっきりしなかったようです。
とりあえず診断がついてからは甲状腺機能を抑える薬を投与して、また定期的に血液検査をして値を調べていく事になりました。何しろ値が値だったので正常に戻るか不安でした。
ただ、薬を飲むようになってからは体重も増加し、あれほど骨と皮にまで痩せていた猫がだいぶふっくらとした猫に戻っていきました。
そして秋・・・その日はやってきました。
甲状腺の薬の副作用が少し出ていたので、やや量を減らしていましたが、ずいぶん元気になっていたので、それ以外の薬も少し減らして様子を見ていました。レントゲンも血液検査も異常は特に見られませんでした。
けれど ちび丸は徐々に食べなくなっていきました。食べないで水ばかりを飲む日々・・・。
食べる事に執着のある子が食べなくなる事ほど不安な事はありません。
手を変え、品を変え、色々試みましたが水分以外何も要求しません。それでいて本人は機嫌が良く、いつもは薬を飲ませるので嫌う私の腕の中でもゴロゴロとのどを鳴らしていました。
漠然とした不安の中、再び検査をしに病院へ・・・。そしてレントゲンにはまた胸水が写っていました。
選択肢は2つ。以前と同じ投薬か麻酔での処置。
そして私は処置を選び、ちび丸は処置後の麻酔から覚めることなく、静かに息を引き取りました。
2000年10月6日(金) 13歳8ヶ月でした。
ちび丸が生きていた頃は、色々手間はかかるし、お金はかかるし、挙句に私にはなつかないで母にばかりなつくかわいくない猫でした。だから大往生の暁には、色々分からない病気ばかりしていた子だから、解剖して原因を突き止め、これから先の猫たちの役に立つようにしよう・・・なんて思っていました。寂しくはなるけれど、ペットロスのような事にはならないだろうと思っていました。
なのに実際、自分の目の前で命を終えたちび丸を見ていて、言い様にも無い悲しみが込み上げてきました。
なんていうのか、本やテレビや映画を見ていてなくのとは違う、ただ涙が出るのではなく、胸の奥のほうから込み上げてくる感情。仕事中だったので一生懸命抑えようとするのに、後から後から込み上げてくる涙。
本当に泣いて泣いて、泣きすぎて胃が痛くなるほどでした。ちび丸が死んだ事で、こんなにも泣ける自分が不思議でさえありました。
今もまだ、思い出すたびに切なくなります。最後の最後に神様がくれたような、穏やかな時間。
それを思い出すたびに、自分が今まで ちび丸にしてきた事が良かった事なのか考えさせられます。
動物は言葉がしゃべれない分、命にかかわる事でも飼い主が選択していかなければなりません。私がした選択は最善のものだったのか・・・この先、ずっと考えずにはいられないでしょう。そして胸の奥の「後悔」という刺が、いつまでもチクチクと痛んでいくような気がします。
その痛みをいつまでも忘れずに、ちび丸の分まで他の猫たちが幸せでいられるように、その手伝いが出来る私でいたいと思います。