上の3枚、ほぼ同じ様に横向きの角度。
でも、徐々に大きくなっているのがよくわかる。
でも、偶然なんだろうけど、いつも同じような
写真でつまんな〜い。
でも、
推定体重が・・・・
28週 2週間分くらい大きい
30週 1週間分くらい大きい
32週 4日分ほど小さい
ちなみに32週で1700gほど。
ということは、赤ちゃんの成長が止まってるのでは???
心配。
9ヶ月 32週
4月2日から産前休暇にはいりました。
暇だろうな〜〜〜、と思ったけど、体は休養を欲していたようで、
昼寝をするようになったので、あんまり暇でもないかな〜(;^_^A
ただ、急激に運動量が減ったせいか、顔がむくんでる・・・・。
そろそろ、里帰りのために転院したほうがいいだろうので、
紹介状を書いてもらいました。
しかしなんで、文書料ってあんなにとられるのかね〜?
紹介状で3000円だ。
出産予定日の証明書は2000円でした。
高い。しかも、紹介状と証明書でなんで1000円も差があるの?
33週0日
里帰り出産の予定の病院へ転院しました。
お医者さんの内診、話の後に助産婦さんの話が聞けてとてもよかったです。
少しずつ具体的に出産に向かってきました。
ベルランド病院では
両親学級は3期に分かれていて、第2期は時期が過ぎているし、3期の後になってしまうけど、遅れて受けることにしました。
3期の両親学級を受けていないと、立会い出産は出来ないということなので、
ダンナサンはまだ、迷っているようだけど、受けてもらうことにする。
今まで通っていた病院の
マタニティクラスは前期、後期なんだけど、
それも後期だけ予約したので、2つの病院のをダブって受けると思うけど、
今まで何もしてないので、とりあえず、詰め込み勉強ってことで。
乳首マッサージの指導もしてもらった。
バー油というものを塗りこむんだけど、てきめんにお腹が張るので、
おっぱいと赤ちゃんのつながりってすごいなぁー。と妙に感心。
マタニティスクール(後期)
前の病院で申し込んだもので、前期は行っていない。
お産の経過。
入院について。
赤ちゃんの成長(うんちの変化など)
沐浴指導
など。
両親学級V(withダンナサン)
立会い出産をする場合はV期を父親が受けていないとダメ。ということで、
まだ決心はついていないようだけど、とりあえず、土曜日だしって
連れて行った。
お産の進み方、
入院について
立会いとは?
陣痛室や、分娩室への付き添い、(ベルランド病院では父親(主人)と実母しか入れないんだそう。
あと、絵本を助産士さんが朗読してくれたんだけど、これが感動で、
滝のように涙が・・・・・・・。
妊娠線
しょっちゅう鏡で確認していたのに、10ヶ月を目前にして、ついに妊娠線が出てしまった。
言っておくが、妊娠線予防クリームはケチらずにしっかり毎日2回塗りました。
ある日、とっても寝苦しく、あちこちむいて寝ていたら、
お腹がミシミシというか、パリパリというか、ヘンだなーと思っていたら出来ていたのです。
妊娠線予防クリームだけで絶対に予防できるとは限らないもののようです。
10ヶ月(36週)
里帰り。
ゴールデンウィーク中に里帰りをしました。
病院では、35週までに里帰りしましょうと言われるし、
そのつもりでいたんだけど、赤ちゃん用の部屋作りもあったし、
お医者さんに、
「ホントは36週になるから1週間に1回の健診になるんだけど、
とっても順調だから、次は2週間後に来てね」って言われた。
言われた方はビックリだよ。順調だから2週間後って・・・・・。
というわけで、36週で里帰りになりました。
里帰りすると、とたんに暇になってしまって・・・。
助産婦さんに、
「里帰りしても普段どおりに家事をするくらいでないと、
体重が一気に増えますからね」って言われたんだけど、
里帰りしたその日の体重がすでに、1sプラスってどういうことよ?
もう、実家に帰ってきたので、いつ生まれてもOK〜〜!!
なので、毎日、安産のためになるという、ウォーキングに励んでいます。
39週4日(5月24日土曜)
今日は朝から肩で息をするような感じで、なんとなくお腹の張りが強い。
生理痛のような鈍痛を感じる気もする。これは、はやく陣痛が始まって欲しいから
想像陣痛??
処方されていた鉄剤もなくなって、便秘はマシになるはずが、
ここのところの運動量の異常な多さのせいかあまりマシではない。
昼前には、下痢の時のような痛みがあった。
息苦しさはすっと続いていて、昼食後ごろんと横になってみたものの眠れず。
それでも、夕方図書館と買い物に行って、小一時間の散歩をこなした。
歩いていると、歩く事に集中するのか、気がまぎれるのか、楽になった気がした。
帰ってきて夕食の支度。夕食後やはり、背骨に響く様な鈍痛を伴った
お腹の張りを感じるので、やっぱりこれは陣痛、もしくは前駆陣痛というやつだろうか。
41週0日
今日はダンナサンの誕生日だ。今日生みたいとどれほど思ってきた事だろう。
今日生む気満々なので、出ない便を何とかしておかねばと、大目に飲んだ
便通の薬が、効きすぎて、つらい。
あさ9:30くらいにトイレに行ったら、
おしるしが!!
生理の始まりくらいの血が下着についていました。
でも、お腹の張りは15〜20分間隔で、痛みもたいした事ないので、
しばらく様子を見ることに。しかし、41週になっているし、一応15分間隔くらいで張っているので、1時間ほどしたら、一応病院に電話してみた。
しかし、案の定、陣痛が10分間隔になるまで待つようにとのこと。
気が抜けて、張りの間隔を計るのもやめて、寝不足だったので、
昼ごはんを食べてから寝てしまった。起きるとお腹は張っておらず、
やはり、ただの前駆陣痛とかだったらしい。夕方散歩に行った。
前に比べると張り出すとかなりの痛みを感じるので、やっぱり早めに
風呂に入り、夕食も早々と食べたが、横になって本を読んでいると、
張りは治まってしまう。あぐらをかくとお腹が強く張るので、座っているけど、
これが陣痛かといわれれば、違うのだろう。腰に響くような痛みで、一瞬息が止まるような
時もあるのだけど、横になるとおさまるのだから。
今日はとりあえず寝るしかないようだ。
(6月19日追記)
上記までで、一旦寝ようとしたのだが、今日1日下痢気味でもう出そうにもないのに、10時頃から、お腹がゴロゴロしだした。10分ごとにトイレに駆け込んでいたのだけど、下痢の痛みをこらえて寝ていたのが、11時少し前に、突然、全身が熱くなって、寝ていられないほどの痛みになった。「これが
陣痛だ!!」と神の啓示のように直感!!
ただ、1時間ほどは、陣痛の間隔を計らないと、どうせ病院へはいけないので母に
陣痛らしいと告げて、1時間耐えることに。この時、陣痛は7,8分間隔。
寝転んでいられないほど痛いので、四つんばいで耐えていたけど、1時間たたないうちに、11時45分くらいに
破水。パンツの中でバケツがひっくりかえったような感じでした。
たまたま、陣痛の前にまた少し出血があって、生理のナプキンをしていたので良かったけど、かなり焦りました。
母を起こして、まだ、下痢の痛みもあったので、トイレに行ってから病院に電話すると母に行ったのに、トイレに入ってパンツを下ろしたら、電話する母の声が聞こえた。
「陣痛は必ず、おさまるときが来るから、本人が病院に電話するように」と
言われた事を、母にも言ってあったのに、私以上にパニクっていたらしい。トイレから、「本人が電話せなアカンねん!」と叫んだところ、「替わります」と言っているではないか!下痢で我慢できへんっちゅうねん!!!
あほか!と叫ぶ元気もなく、こらえて、電話に出ました。
タクシーを呼ぶときも母は、支離滅裂なことを言ってるけど、口をはさむ余裕などなかったのでほっといたが、やっぱり説明が悪かったらしく、なかなか来ませんでした。(怒)
病院に着いたのは翌、4日の12時20分くらい。診察では、子宮口4p。
子宮口1〜2pと言われた状態で2週間くらい過ごしてきたけど、これがたった2pの
差でこんなにも痛いのか〜と不思議でした。
すぐに入院。
分娩当日
夜中の1時にダンナサンに電話して、すぐにきて貰った。彼が着いたのが2時ごろ。
それまでは陣痛室には母がつきそってくれていたけど、私は、ベッドに横向きに寝転んだ
まま、痛さの余り、身動きすら出来ない状態。体をくの字に曲げて、ひたすら、じっとして、
うとうとしては、陣痛で、体が硬直し、を繰り返していた。
いろんな本に、「痛いところをさすってもらう」とか、「
いきみ逃しに、音楽を聴く」とか、「アロマオイルを持っていって、気分転換」とか、「食べやすいものを持っていきましょう」とか書いてあるが、全て用意したものの、全く動かないのだから、無駄になった。
さすってもらうにも、触られると、痛くて、陣痛がやってくるので、「触らんといて〜」と叫ぶ。
陣痛室に入ってすぐに、
吐き気がして、看護婦産に訴えたけど、トレイが間に合わず、
ゴミ箱に吐いた。吐くのは、お産が進んでいる証拠らしいので、いいんだそうな。
ただ、30分ほどしてまた吐いた時には、うちの
母親まで吐いた。
後で友達にその話をした時には、「一緒に産んでるつもりになったんやろうね」
ははは。しかし、いくら経産婦でも30年も前のことやから、母親なんてあてにならんとはきいていたけど、ここまで当てにならんと言うか、
なんで自分が陣痛で苦しい時に、他人のゲロの心配せなアカンねん。最悪や。
ダンナサンが
2時ごろ到着し、母と替わった。(その病院では陣痛室は、主人か実母どちらか一人が一人しか付き添えないという決まり)母はその後、ひたすら、中の様子もわからないまま生まれるまで陣痛室の外の待合で待っていてくれた。それは、申し訳なかったとは思う。
ダンナでも、触られたりさすったりされると痛いのは同じ。
ただ、しばらくすると(多分1時間くらい=
3時ごろ?)耐えられへんくて、看護婦さんに訴えたら、「陣痛が来た時に合わせて、肛門のところを手のひらで押し戻すようにしてあげて」と看護師さん(助産師さんかも)がやってくれたのは、とても楽になった。いろんな本に、
「
いきみ逃しで、ゴルフボールやテニスボールを肛門に押し当てる。」と書いてあったが、
それだけは本当だった。
痛みがきた時も、意味のある言葉を発する余裕はもうなくて「ううううう〜〜〜」「いぁぁぁ」とうなるのみ。自分ではかなり大きな声でうなっていたと思うけど、入院中に、私の前に分娩した人から、「すごい静かに耐えてたね〜」と言われた。
私の前に分娩台にいった人は3時ごろに生まれたようで、、おぎゃーおぎゃーの声が。
その声に合わせて陣痛が来るもんで、「頼むから泣かんといて〜〜!!」と思った。
ダンナサンにいきみのがしをしてもらいながら耐えること1時間ほど。(=
4時ごろ)
看護師さんに、「すごく痛い」ことを告げると、子宮口8〜全開大。ということで
分娩台へ。
やっと、分娩台に乗れた〜!
でも、分娩台の上でも横寝の状態で動けないのは同じ。
ではそろそろ、と上を向かされたのは、
5時。足を固定されて、カバーのようなものをつけられた。口に酸素のマスクみたいなのをかぶせられて、さて、
呼吸法。
となりで助産師さんが言ってくれる通りにすればいいのだけど、最後の最後の「フー・ウン」というやつはどうしてもできなくて、後からダンナサンにも「全然助産師さんの言う事聞いてなかったなー」と指摘された。聞いてないと言うか、陣痛がなくても、「フー・ウン」の「ウン」がよくわからない・・・・。
目を閉じてはいけないと本に書いてあったので必死で開けていたけど、白目むきそうだった。
「いきむ」というのは、始めはわからなかったけど、「うんこを出す感じで」と言われ、?ながらも、便秘の時のようにきばってみたら、助産師さんたちに「そうそう!上手」とほめられた。あとから考えても、お尻から生まれたような気がするほど、お尻に力を入れた。
会陰切開。ありました。私は、「切開しますよ」と言われても、この痛みが和らぐなら、なんでもして〜!!って感じで、切開の痛みは特に感じなかったけど、ダンナサンは、「ジョキ」って音がして怖かったと言っていた。生まれた後で縫ってる時の方がちくちくと痛かった。
分娩台に乗って2,3回いきんだら生まれた、という人もいるようだけど、私はよく覚えてないけど、20回くらいはいきんだんじゃないかと思う。
分娩の時の痛みを言葉で表すとしたら、「頭の中で白熱灯がはじけるような」かんじだろうか。会陰が裂けるというより、絶対切れ痔になってる〜〜〜!!それも特大の〜〜!!
と感じたし、実際切れていた。
最後に「頭が見えてますよ〜」と言われて、「フー・ウン」の呼吸法になったけど、何かが変わったとか、感じる余裕は全くなく、さっきまでと同じように言われるままにいきんでいたら突然足の間に生温かいものを感じ、助産師さんが、引っ張って出しているのが見えた。
なんだかよくわからないけど、助産師さんが出してくれた。
そんなカンジがした。
生まれたの?って実感がわかなかったけど、産声が「ふら〜〜、ふら〜〜」(私にはこう聞こえた)とした時、「わーーー、泣いてる〜〜〜」って私が泣いてしまった。
自分の上にのせられている小さい赤ちゃんが自分から出てきたのだとはなんだかにわかには実感がわかなかったけど、羊水のにおいなのだろうか、頭のところのにおいをかいだら、なんだか、じーーんとしてしまった。
後産は特に痛くなかったけど、全て終わった〜。と思っているのに、
会陰切開したところの縫合の針がちくちく、糸が通される感触が、・・・・。何箇所切ったん?ってくらい何回も縫ってる気がしたけど、実際は1箇所、2,3センチなのだそう。
胎盤、グロテスクだった。けど、これが赤ちゃんを守ってたんだね〜と感謝。
ダンナサンは怖くて見れなかったそうです。
6月4日(水曜)午前5時51分
体重3012g、身長50.0センチ
とりあえず、赤ちゃんに会えるまで日記はこれにて終了。