<長すぎる旅路>
思えばこの旅は、最初からハプニングの連続だった。
当初は、パリ経由だから飛行機に乗ってる時間が純粋に22時間位あっても、
関空からで、しかも出発は12時過ぎ。パリで1泊した後、マダガスカルまで飛ぶ
幸せすぎるシチュエーションだった。
出発4日前までは。
その日、旅行会社のS君が俺に電話をしてきた時、いやーな予感はした。
S君は、言い出しずらそうな雰囲気を醸し出しながら、でも、言った。
アメリカの事件の影響で、席ががら空きになったから、エールフランスは俺の
出発の日、関空には来ないと。(超訳)
かくして、関空に10時頃だからゆっくり寝られるゆったりパリへの旅は、成田発
12時過ぎ、いつもと同じく朝6時起き、いらつき気味で家を出発の旅に変更と
なった。
まあ、行きは許そう。伊丹−成田間は富士山も見える、しかも、成田で芸能人も
見れたし。
問題は帰りだった。
マダガスカルに行く予定の人に1つだけアドバイスがある。
帰りのアンタナナリボの空港へは飛行機が出る4時間前には着いた方がいい。
いくら待合室で退屈でも。
俺が着いたのは3時間前。
通常なら2時間前とか、下手したら1時間前でも余裕のところもある。
しかし、この空港は既に、航空会社のカウンターでの列に並ぶ為の行列が
できていた。そこで20分。
航空会社のカウンターに並ぶ。
職員のとろさはオリンピック級。国際便の本数が少ないから仕方ないのかも
しれないが、最悪な事はここでは客のとろさも国宝級だった。
もたついてるのは現地の人達ではなく、ばかフレンチ。
ただでさえこの旅行でおフレンチが嫌いになったのに、ここで追い討ちをかけられた。
待っている人の都合など全くお構いなしの傍若無人さを発揮していた。
そして、俺が選んだ列は必ず他の列より進むのが遅い。というジンクスを持った
俺の列にいたおフレンチ達は、航空券はもらってそこでの用事は済んだのに、
書き方をカウンター職員に聞きながら出国カードを書く若い男、列の真ん中で
カバンを開け始め、半径2m程度に荷物を広げ始めた家族、席に不満があった
ので、割り込んだうえに後の人達に会釈1つなく、職員を攻め立てるおばはん。
そして、そのおばはんをいさめようと隣の列から責任者風の職員が加勢に来て、
隣の列も自動的に業務がストップする。
チェックインを済ますまでにかなり煮え煮え。
そしてやっとの思いで手荷物検査にたどり着くと、何故か俺だけにマダガスカル
の通貨を持ってるかと追及する職員。
持ち出し禁止だけど、色んな種類を集めて持ってるよ。
中には、自力で集められなくてW君にもらった貴重な紙幣もあるよ。
だが、「持ってない。」と一言言ってみる。
やっぱ演技力不足か、身体検査のカーテンの奥に連れて行かれてしまった。
中には銃を持った若いお兄ちゃんが軍服着て立ってた。
ポケットを探られて、その紙幣の束を発見した彼は一言「これは国外に持って
行けない。」
普段なら素直にあきらめるとこだけど、煮え煮えの人間に怖いものなし。
たまたま使い切れなかったもう1つの紙幣の束、と言っても、額は知れてるけど、
それを思いっきり相手の胸元に突き出して「これはお前、それは俺。」と相手の
目を見て日本語で話した。ワイロ作戦だが、俺が非常にえらそう。
彼は俺がそんな強く出てくると思っていなかったのだろう。
ちょっと顔が引きつっていたが、俺にコレクションの方の紙幣を返してくれた。
もう1度彼の顔を見て「もういいよな。」と律儀に確認して、その場を後にした。
普段の俺なら絶対こういう対応はしない。
彼の目が別れの寂しさに涙で濡れていたか、それとも銃を向けられていたかは
振り返らなかったのでわからない。
こうして待合室についてしばらくそこで頭を冷まして出発。と行く予定だった
が、そこでもばかおフレンチに遭遇。(もう省略)
怒り絶頂でマダガスカルを後にした。
そしてパリ。乗換えを待つ時間で空港で買物をして飛行機に乗り、出発か?と
いうところで、飛行機にトラブルが見つかったらしく、機内に軟禁されたまま、また
煮えていく。
帰りは関空着で家からはそう遠くなかったからまだマシだったが、家に着いて
冷静に振り返ると、アンタナナリボの空港に着いてから家にたどり着くまで、
単純に30時間以上が経過していた。
そのパリ−アンタナナリボ便は、その後の彼の地の政情不安の為、一旦運休と
なったようだった。今は復活していると思うが。
もう一度マダガスカルに行く機会があっても、このルートは絶対選択しないので
それは甘酸っぱい青春の思い出か。んな訳ねー。
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