ドイツ・オーストリア演奏旅行(3)
(1998. 3. 24〜4 . 2)

【3月31日(火)】
  ホテルの朝食はバイキングで、クロワッサンがおいしかったナア。9時にホテルを出発し市内見学に向かう。まずは中世ヨーロッパに
 君臨したハプスブルグ家の象徴、シェーンブルン宮殿。壮大な建物に目をみはり、内部の見学では中世ヨーロッパに思いを馳せる。日本
 語や英語、フランス語などの案内書がたくさん置いてあり、さすが世界の観光地、と変な所に感心したりする。


ウィーン、シェーンブルン宮殿


シェーンブルン宮殿その2


 次に訪れたのは、有名な音楽家たちが眠るウィーン中央墓地。映画「第三の男」のシーンでも有名である。モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウス1世のそれぞれの墓の前で、それぞれの作品をクラリネット二重奏で演奏し、捧げた。これで5人の作曲家も成仏?できるでしょう。アーメン!?


ウィーン中央墓地
映画「第三の男」でのシーンでも有名です



中央がモーツァルトの墓
左にベートーヴェン、右がシューベルト






モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス
J. シュトラウスのそれぞれの墓の前で、それぞれの作品を
クラリネット2重奏で演奏し、捧げた。磯崎コーチの編曲。
朝4時ころまで、OB の野中君(左の Cl )の部屋で練習した
そうな。5人の作曲家も成仏?できるでしょう。アーメン?!





 次はウィーン郊外のハイリゲンシュタットにあるベートーヴェン・ハウス。10畳間くらいにあたる部屋が3室あって、ここでベートー
ヴェンが、あの「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる有名な文章を書いたのだ。ベートーヴェンが当時使っていたピアノや肖像画、
ベートーヴェンのデス・マスクが展示されていて、当時の面影が伝わってくるようだ。


ハイリゲンシュタットのベートーヴェン・ハウス


ベートーヴェンのデスマスク


 最後にベルヴェデーレ宮殿を見学した後、2時間ほどの自由時間があったが、ウィーンの中心街を思う存分楽しむことができた。た
だ、この時間をやや持て余した人もいたようで、歩き疲れるし、喉は渇くし・・・、と言って、喫茶店に入る勇気も湧かない。自販機は
どこにも全く見あたらない。結局、ホテルに戻ってから喉の渇きを癒すことになってしまった(私のことではない)。有意義な1日で
あった。


ベルヴェデーレ宮殿。現在は美術館になっている。




宮殿中庭のスフィンクス。
人間の女性、ライオン、鷲、の身体をもつ。
当時の強さの象徴だったそうである。



【4月1日(水)】
  すべての見学を終え、日本に帰る移動日である。ウィーンから飛行機でフランクフルトへ、更にフランクフルトからルフトハンザ機で
 成田へ向かう。フランクフルト空港の免税店では、最後の買い物ということで、あちこち目移りしながらいろいろ買い込んでいた。

【4月2日(木】
  日本時間、朝8時ころ成田空港に無事到着。雨模様の天気で、むしろ日本の方が寒いくらいの気候にびっくりするくらいであった。全
 体ミーティングの後、解散となる。

【まとめとして】
  この旅行を通し、前半のマンハイム音楽院の学生との交流が、二高のメンバーにとって最も良い思い出、かつ貴重な経験になったよう
 です。演奏会での、あのいつまでも鳴りやまない拍手と歓声は、我々の演奏がマンハイムの人々の心に響き、感動させることができた証
 でもあります。言葉がなかなか通じず、考え方や感じ方すら異なるマンハイムの学生とのジョイントコンサートは、準備段階ではうまく
 進まず心配されましたが、二高のメンバーはその高い壁を乗り越えて、音楽を共有することで通じ合うことができました。アンコールを
 演奏する二高とマンハイムのメンバーの顔は、みんな本当に輝いていて素敵でした。フランクフルト空港からホストファミリーに「今か
 ら日本に帰ります。ありがとう、さようなら」と電話をかける生徒。ままならない英語で言葉も少ないが、使い方も難しい公衆電話か
 ら、自分で気持ちを伝えようとする力、それは今回の演奏旅行で、彼らが得た大きな収穫の一つであろうと思います。そしてそれは、こ
 れからの二高の演奏表現力を一味違ったものにしてくれるはずです。旅行中、部員たちを見てきて、音楽って本当に素敵で、世界を一つ
 につなげることができるものなんだ、と改めて感じることができ、私も本当に感激しました。
  二高のメンバーには、卒業後もこの先ずっと楽器演奏を続けていって欲しいし、またいつか、どこかの国の同じ音楽を愛する人々と、
 美しいハーモニーを奏でて欲しいと思います。
  1999年8月には、マンハイムの皆さんが来日し、二高とのジョイントコンサートが開かれます(9月2日、川崎市教育文化館)。再開
 を楽しみに、コンサートを成功させるように頑張っていきたいと思います。

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