今春、卒業式を迎えた高校生からのメール |
初めまして。私は西日本に住む高校3年生で、来月から大学生になります。 私は、高校3年生の市町村合併に伴い、高校の合併式及び入学式で国旗掲揚・国家斉唱がありました。当時不起立無言を2度貫きました。その時、周りの女子が私のことを小さい声でけなしてましたが、別になんとも思いませんでした。というのも、自分が本当の意味で正しいというと思っているため耳を傾けませんでした。やはり、自分が正しいと絶対的に自信を持てることは何事にでも、あまり同情しなかったからです。ところが、私たちが卒業する際、壇上には私の嫌いな日本の国旗。前日の予行練習での歌の斉唱では、校歌や賛美歌(?)はとても綺麗な歌だったので歌いましたが、「君が代」は歌いませんでした。しかし、当日では隣が先生で「君が代」の演奏が始まったときは、周りの人(生徒)ではなく隣の先生の目線が気きになり、結局立ったまま、歌わなかったのです。罪を犯したときみたいに「罪悪感」がありました。それと、先生はまるで、機械に操られていたような感じでした。先ほど言ったように、私は日本国旗は嫌いです。国歌も嫌いです。
しかし、私の住む「県」はとても好きです。「日本国」よりも自分の住んでいる「県」のほうが私にとって信頼できます。海外の生活で出身が「日本」というよりも、国内で出身地を聞かれて「県」の方を言うほうが私は誇りに思えます。それと同時に、「日本国旗」は「日本国」の哀れな負の遺産だと思います。しかし、「県旗」は好きです。「郷土愛」はあっても「愛国心」はありません。私がこのことで言いたいのは「卒業式は何のためにあるのか?それは、日本国のためではなく、その学校を卒業した生徒やその両親のためにある」私はそう信じています。壇上には先ほど言ったように「日本国旗」“しか”ありませんでした。そもそも私の学校は「県立」の高校であるため、本来ならばその都道府県の旗と、その学校の主役である「校旗」の2つの掲揚があるべき姿だと思います(さすがに、日本国旗が嫌いでも都道府県旗が嫌いな人は全くと言って良いほどいないでしょうが)。しかも、「東京都」ほど「日本国旗」や「日本国歌」を強制させる哀れな場所はいくつかあるようです。その他の都道府県はそれに近いほどですが。だから、「県」よりも、「東京都」の方が、真の意味で「個人を個人と思わない行政」だと改めて実感しました。私に何れ子供が出来ても、「愛国心」ではなくて「郷土愛」を育てるようにしたいです。
また、今の「日本国旗」や「日本国歌」は負の遺産です。その負の遺産をかけがえのない財産。すなわち、新たに「日本国旗」や「日本国歌」を新たに変えるべきだと思います。
以上が私の意見です。今回このメールはいろんな人に意見を主張したいので、HPで掲載しても構いません。
自分の意見を主張することの大切さを忘れている日本で改めて考えさせられました。
最後に、
皆さんに伝えたい言葉。
「自分が本当の意味で正しいと思ったことは貫き通せ。
勇気が行動に。行動が自信に。自信が世界を変える。
そして、流れに流されず、立ち止まり、流れに逆らうことも必要」だと。
国へ訴えたい言葉。
「過ちを過ちだと思わない・認めないのが最大の過ち」
今の国旗でも国歌でも、反対するものがいれば肯定するものもいます。しかし、問題なのは肯定する人々が、とても深いところにある現実を知らないことです。というのも、反対派は日本が国策として、個人の心を犯そうとしていることに気づいています。肯定派はそのことに気づいてすらいないのです。もちろんわかるでしょう。国として楽なのは、“真実”をしらない肯定派の方です。いろんな場面で国歌が流れ、国旗掲揚がありますが。それらを日本のシンボルだから好きなのは、戦前に日本国旗や日本国歌が使われていたことに、表面的に気づかされてはいなかったからです。そう、私たちが反対しているのは、何も、日本国旗や日本国歌が強制的に侵害している“だけ”ではないからです。かつて、私たちの国が誤った戦前のころの“戦争の教育”をしていたころに、肯定した“日本国旗”や“日本国旗”だからです。つまり、国が平和を望むのにも関らず、そういった昔の(戦前)国歌や国旗を肯定しているためです。これは明らかに矛盾です。だからこそ、私は国旗や国歌を“創り治す”ことまでも、主張しているのです。日本のシンボルは国旗や国歌です。それにこう付け加えてください。「日本のシンボルは国が誤った戦前の負の遺産」であることも。
私が高校3年生だった頃の体育祭では、体育祭の開会式が憂鬱でした。なぜならば、やはり国旗を揚げるため。体育祭が日に日になにかに終われるような気分さえしてきました。体育祭は開会式、閉会式の両方とも国旗を揚げて・下げるのため、国旗に集中します。しかし、幸いにも、入場していた時点で常に立っているような感じであったため、当然、国旗を揚げるため・下げるために座っていたのを起立するのが必要ないため、国旗を揚げたり下げたりするときに予め立っていました。その時、掲揚台に注目しなければなりませんでしたが、私はまっすぐ見つめ、国旗を見ませんでした(というよりも、正反対の方向を見てました)。何だか、その時だけは儀式のようで重苦しいようでした。また、掲揚したり下げたりするときは生徒に“やらせ”ていたみたいです。それは、先生ではなくて生徒にやらせなければならないような雰囲気で、国策化のように思えてきて、何だか“教育現場”は国から制圧されていたようです。
卒業式当日は何かにケリをつけたかったような気分でした。学校に行く時も足取りは重かったです。後になって振り返ってみれば、実際には何も出来なかったかのように思え、すなわち、無力だったのかもしれませんでした。自分自身が絶対的に正しいと思うことを成し遂げられず、回りの場に振り回されてしまったからです。だから、卒業式を終えてすこし、気分が落ち込み、次第には泣きそうになりました。追い詰められたかのように。幸い涙を流しませんでしたが、罪悪感でいっぱいでした。学校であれだけ楽しい出来事や悲しい出来事。むかつく出来事。やるせない出来事と。いっぱい経験してきました。しかし、国歌や国旗掲揚は精神的に追い詰めるようなものでした。世の中、聞いて恐い歌や恐い視覚的情報というのも存在します。圧迫感・絶望感・拒絶感、、、と。卒業式や入学式で、あれほど良心の聖域を犯しては決して許されない一線を越え、精神に突き刺さりました。だから、その突き刺さったものを抜こうとするため、反動で拒絶感がよりいっそう高まったのです。あれは、現段階で日本国が平和を尊重しているが、将来国民を騙し、戦争をするために、誰に対しても無意識に“調教”しているものです。私はその調教に気づいたのかもしれません。幸いにも、全国に反対する人がいるので、強みになり、同時に励みになります。私たち以外の生徒も、そのことに気づいている人はいるかもしれません。逆に言えば、気づいてないのかもしれません。だからこそ、夢の中から、厳しい現実へと覚まさなければならないのです。一人の力はとても小さい。けど、人がたくさん集まれば、力は強くなる。それは、本来私たちが望み、あるべき姿にするためへの可能性です。自分たちが戦ってきたこの現状をいつまでも、世代に伝えていかなければなりません。私たちは抵抗する権利があります。いつまでも、自分の心に素直に生きていきたいです。個人が日本に心を侵害されないためにも。
2005.3.27 PN.ユウタ |
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