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1883年 明治16年、当時の東京気象台が日本で最初の天気図を作成しました。各地の測候
所が行なった観測データーをもとに、ドイツ人の気象学者エルビークニッピーが指導して7色刷 りの天気図を作ったものです。天気図は3月1日から毎日発行される事になり、鉄道の駅など に掲示されて、一般の人の目にも触れるようになりました。“天気図の日”。
1900年 明治33年、北海道拓殖銀行が設立されました。北海道拓殖銀行は北海道の開拓
事業に資本を供給する為に、法律に基づいて設立された特殊銀行でした。戦後の昭和25年に 普通銀行に変わりましたが、平成9年には経営が破綻して100年近い歴史に幕を閉じました。
1932年 昭和7年、全国のラジオの受信契約数が100万件を突破しました。東京放送局が開
局してから7年足らずのことでした。短期間に受信者が急増したのは、全国的に放送網が整備 された事、満州事変や上海事変などでニュースへの関心が増したこと、一家そろって聞く事が できる受信機が登場し値段も買いやすくなってきた事などが理由でした。
1945年 昭和20年、航空母艦10数隻からなるアメリカの機動部隊の艦載機延べ1200機
が、関東地方や静岡県下で飛行場などを空襲しました。この日の空襲は低空から爆弾や焼夷 弾を落としたり機銃操作をしたもので、その後本格化した大型爆撃機のB29による大々的な 空襲の前ぶれでした。
1953年 昭和28年、インドのネルー首相が連邦議会で、米ソ2大陣営のどちらにも属さない
第3世界の結集を訴えました。この考えは大きな反響をよび、アジア・アフリカ諸国の結束に影 響をあたえました。
1959年 昭和34年、新しい硬貨が発行されました。100円の銀貨、50円のニッケル貨そし
て10円の黄銅貨の3種類で新しい硬貨の大きさはそれまでのものと同じでしたが、まぎらわし さを避けるために新しい10円はギザギザなし、新しい50円は新デザインでギザギザなく穴あ き、そして新しい100円はギザギザつきのデザインとなりました。
1968年 昭和43年、総理府統計局が、労働力調査の結果を発表しました。それによりますと
就業者全体のうち農林業の占める割合は、昭和42年の年平均で19.3パーセントとなり初め て2割を切りました。これは当時のフランスとほぼ同じ水準でした。ちなみに平成12年の農林 業就労者の割合は、就業者全体の4.3パーセント、300万人弱になりました。
1975年 昭和50年、三重県四日市市の石油コンビナートで石油タンクが炎上する事故が起
きました。黒煙が1000メートルも上空に吹き上げ、付近の住民は恐怖の4時間を過ごしまし たが、住宅への延焼はまぬがれました。
1998年 平成10年、インドネシアのバリ島を発った中華航空エアバスA300−600R型旅客
機が台湾の台北国際空港に着陸する直前民家に墜落し、乗客乗員196人の全員が亡くな り、付近の住民7人も犠牲になりました。台湾では過去最悪の惨事でした。
2008年 平成20年、世界3大映画祭の一つベルリン国際映画祭の授賞式が行われ、熊坂出
監督の作品「パーク・アンド・ラブホテル」が最優秀新人作品賞を受賞しました。この賞の日本 人の受賞は初めてのことでした。
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