2月28日

1855年 幕末の安政2年のこの日、長崎に留学していた水戸藩の医者・柴田方庵は、知人に
送った書簡の中に「パン・ビスコイト製法書」を同封しました。この「ビスコイト」は今のビスケット
の事で、柴田方庵がオランダ人から製法を学んだものです。全国ビスケット協会が昭和55年
“ビスケットの日”と制定しました。

1953年 昭和28年、衆議院の予算委員会で質疑が行なわれた際、当時の吉田茂総理大臣
が社会党議員・西村栄一とのやり取りに腹を立て「バカヤロ−」と発言しました。その直後「私
の言葉は不穏当でありましたから取り消します」と釈明しましたが、この発言がきっかけで3月
には内閣不信任案が成立し、衆議院が解散されて総選挙になりました。「バカヤロー解散」と
いわれました。

1957年 昭和32年、南極の氷の海に囲まれて立ち往生していた南極観測船「宗谷」が、旧ソ
ビエトの砕氷船「オビ号」の救援を受け外洋への脱出に成功しました。宗谷は13日前の2月1
5日に昭和基地の近くを出港して日本への帰途につきましたが、数日後から厚さ6〜7メートル
の氷に行く手を阻まれていました。

1963年 昭和38年、名古屋高等裁判所は、「日本の岩窟王」と呼ばれた吉田石松さんが再
審を求めていた裁判で、無罪判決を下しました。吉田石松さんは大正2年名古屋の農家の男
性が殺された事件で主犯とされ、無期懲役の刑を受けて22年間服役しました。この間吉田さ
んは一貫して無罪を訴え続け、5回の再審請求を行ないました。83歳の吉田石松さんは無罪
判決を受けた時「あの頃は神様はおらんと思ったが、今日は居ると思った」と喜びを語りまし
た。

1978年 昭和53年、東京の荒川と中川に架かる「荒川・中川橋梁」の鉄橋を走行中の営団地
下鉄東西線の車輌3両が、突風にあおられて脱線転覆しました。関東地方に春一番の強風が
吹き荒れた日の事故で、21人が重軽傷を負いました。

1982年 昭和57年、全米女子プロゴルツアーのコッパー・クラシックで、岡本綾子選手が優勝
しました。公式ツアーの優勝は日本人として2人目、樋口久子選手に続いてタイトルを獲得しま
した。

1991年 平成3年、湾岸戦争が終りました。前の日の2月27日、当時のアメリカのブッシュ大
統領はクェートは解放され我々の軍事目的は達成されたとして、戦闘停止を宣言しました。こ
れを受けて多国籍軍は28日午前0時を期して、軍事行動の全てを停止しました。イラクのフセ
イン大統領もイラクに関する国連の全ての決議を受け入れる事を表明し、イラク軍に対して戦
闘停止を命令しました。開戦から43日間続いた湾岸戦争は、この日終結しました。

1999年 平成11年、高知赤十字病院にくも膜下出血のため入院中の40歳代の患者が、臓
器移植法に基づき脳死と判定され、この日臓器が摘出されました。心臓は大阪大学付属病
院、肝臓は信州大学付属病院に運ばれ、国内初の脳死臓器移植手術が行われました。平成
9年10月に「脳死移植法」が施行されてから最初の脳死患者からの臓器提供による臓器移植
です。

2010年 平成22年、アメリカ女子ゴルフツアーのシーズン第二戦の最終ランドがシンガポー
ルで行われ、宮里藍選手が通算10アンダーで優勝し、日本選手では初めてアメリカツアーで
2大会連続優勝を果たしました。

2014年 平成26年、詩人の“まど・みちお”さんが104歳で亡くなりました。童謡「ぞうさん」や
「やぎさんゆうびん」「1年生になったら」など、まどさんが手掛けた数多くの童謡や詩は時代を
超えて子供たちに親しまれてきました。

2015年 平成27年、児童文学作家の松谷みよ子さんが89歳で亡くなりました。童話「ちいさ
いモモちゃん」や絵本「いないいないばあ」などが世代を超えて多くの人に読まれ続けました。


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