3月12日

0年 “財布の日”「さ(3)い(1)ふ(2)」の語呂合わせから、財布の記念日とされています。業
界用語では、二つ折りタイプのサイフを「札入れ」、横長タイプを「束入れ」といいます。また、昔
から財布の中に蛇の抜け殻を入れておくとお金が貯まるといわれています。

1876年 明治9年、太政官通達によって毎月一の日と六の日を休む官庁の一六休暇が廃止
され、日曜日はすべて休み土曜日を半ドン(半休)とすることが決まりました。欧米風の休日制
にならったもので、翌月の4月1日から実施されました。

1896年 明治29年、神奈川県の小田原と熱海の間に人車鉄道が開通しました。この人車鉄
道というのは3人の男性が交代しながら8人乗りの客車を押して走る、文字通り人の力による
鉄道でした。下り坂では勢い余って脱線する事もありましたが、小田原と熱海の間の所要時間
は3時間で、料金は上等が1円でした。“熱海に冬なし”の宣伝文句で温泉客を呼び込みまし
た。ちなみに、小田原は神奈川県、熱海は静岡県です。

1910年 明治43年、千葉県の銚子沖で千葉・茨城の漁船100隻以上が暴風雨によって遭難
しました。救助のために当時の軍艦「たかちほ」も現場に派遣されましたが、670人の方々が
亡くなっています。

1930年 昭和5年、インドのマハトマ・ガンジーがイギリスからの完全独立を要求して、「塩の
行進」を開始しました。この当時インドでは、イギリスによって塩の専売制が敷かれていました
ので、塩の行進は独立運動の象徴となりました。ガンジーは80人ほどの同志と共に共同体ア
シュラムのあるサバルマティーを出発し、毎朝4時に起きて1日19キロを歩き続けました。40
0キロはなれたアラビア海のダンディ海岸に着いたときには、塩の行進は数千人になっていま
した。

1961年 昭和36年、当時の西ドイツとオーストリアの合同登山隊が、ヨーロッパアルプスの高
峰アイガー(3970メートル)の北壁の冬の登攀(トウハン)に成功しました。ほとんど垂直に切立っ
た1800メートルの岩壁への登攀を開始したのが3月6日で、40メートルを登るのに、まる一
日を費やした日もありましたが、挑戦して6日目史上初めて冬のシーズンの登攀に成功しまし
た。

1969年 昭和44年、東京に大雪が降り都心の積雪が30センチに達しました。3月の雪として
は、明治9年に気象観測が開始された以来の大雪でした。当時の国電は一時全線でストップし
たほか、陸上や海上、そして空の全ての交通機関がマヒして、100万人が大雪の影響をうけ
ました。

1974年 昭和49年、フィリピンのルパング島で救出された元陸軍少尉・小野田寛郎(ヒロオ)さ
んが、30年ぶりの帰国を果たしました。小野田さんは記者会見で「お国が立派な国になってい
るだけで喜びだ。勝ち負けは一切考えないようにしている」と話し、自分の事については「上官
の命令を守っただけで、英雄などでは決してない」と淡々とした口調で語りました。2/20参照。

1984年 昭和59年、高松地方裁判所は財田川事件の再審裁判で、谷口繁義さんに無罪の
判決を下しました。財田川事件というのは、昭和25年にヤミ米ブローカーが殺されて現金を奪
われた事件で、谷口さんが逮捕され死刑が判決を受けましたが一貫して無罪を主張していまし
て、再審請求による差し戻し裁判が行なわれていました。死刑の再審で逆転無罪になったの
は免田事件に次いで2度目でした。参考7/15。

2001年 平成13年、国連教育科文化機関(ユネスコ)はアフガニスタン中部のバーミヤンの
山の崖に刻まれた巨大石仏がアフガニスタンを実効支配するイスラム原理主義勢力のタリバ
ンによって既に破壊されたと発表しました。


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