|
1177年 平安時代の安元3年、京都で大火事が発生して大内裏(ダイダイリ)や大極殿(ダイゴク
デン)を始め2万棟以上が焼失しました。これは鴨長明(カモノチョウメイ)の「方丈記」にもこの火事 のことが載っております。この安元の大火は「太郎焼亡」とよばれ翌年の大火は「次郎焼亡」と いわれました。
1729年 江戸時代中期の享保14年、ベトナムから象が献上され、京都で中御門(ナカミカド)天
皇に披露されました。天皇に披露された象は「従四位」の位を授けられた上で拝謁(ハイエツ)を 許されました。この象はその後江戸で八代将軍吉宗の御覧に供されました。生きた象が日本 に来たのはこれが初めてではなく、室町時代前期に渡来した南蛮船が象や孔雀を積んできて 足利家に献上したという、記録も残っています。
1908年 明治41年、第1回のブラジル移民団783人を乗せた「笠戸丸」が神戸を出港しまし
た。これ以前にも個々にブラジルへ渡航したケースがありますが本格的な移民団はこれが最 初でした。この第1回は沖縄・鹿児島・熊本・福島などの出身者が多く、サンパウロ付近のコー ヒー園で働く事になりました。この第1回以来ブラジルへの渡航は戦後も続きまして移民総数は 25万人にものぼりました。
1937年 昭和12年、第1回の文化勲章の授与式が行なわれました。この時の受賞者は物理
学の長岡半太郎さん、作家の幸田露伴さん、画家の横山大観さんなどの9人でした。当時は 春におこなわれていました。文化の発展に貢献した人に階級のない勲章ということで制定され たものです。
1952年 昭和27年、アメリカなど48カ国と結んだ平和条約がサンフランシスコで締結されまし
た。これによって平和条約と日米安全保障条約が発効し、日本は国際社会の中で主権を回復 しました。一方、日本の施政権から切り離された沖縄にとっては基地負担が集中するに至った 分岐点となり「屈辱の日」とも呼ばれています。
1964年 昭和39年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加盟しました。このOECDは世界
経済の発展に貢献する事、経済発展の途上にある国の経済の健全な拡大に貢献すること、そ れから世界経済の多角的な拡大に貢献することを目的とした国際機関です。日本はOECDの 一員となって先進国の仲間入りを果たしました。
1989年 平成元年、衆議院本会議で平成元年度の予算案が全野党欠席のまゝ自民党単独
で可決されました。予算案の本会議での単独採決は憲政史上初めての事でした。竹下内閣の 時でした。
1991年 平成3年、アルバニア社会主義人民共和国は人民議会で国名から社会主義の名前
を外すという新憲法草案を可決しました。議会制民主主義に基ずくアルバニア共和国となりま した。
1993年 長崎県の雲仙普賢岳は平成2年から火山活動が始って平成3年には大火砕流で亡
くなった方40人、行方不明3人の犠牲が出ましたが、平成5年のこの日、山のふもとを流れる 水無(ミズナシ)川などで大規模な土石流が発生しました。国道や島原鉄道が広い範囲で土砂に 埋まり住宅などの被害は338棟に達しました。その後普賢岳の噴火活動は平成8年6月に終 息宣言が出されました。
1995年 平成7年、韓国のペグ市内の地下鉄工事現場でガス爆発事故が発生しました。工事
現場が大きく崩れた為、近くを走っていたバスや乗用車が崩壊した個所に転落して98人が亡 くなりました。
2000年 平成12年、島根県大社(タイシャ)町の出雲大社の境内を発掘調査していた島根県教
育委員会が、平安時代の末期12世紀頃にあった本殿を支えていたと見られる杉の巨大な柱 の一部が出土したと発表しました。古代の本殿の高さは今のほぼ2倍の48メートルと伝えられ ています。
2001年 平成13年、 アメリカのデニス・チトー氏(民間人)がロシアのソユーズで宇宙旅行を
しました。5日に帰還しています。
|