5月8日

1828年 スイスで赤十字の創立者アンリ・デュナンが誕生しました。これにちなんで“世界赤
十字デ−”が1948年に設けられました。デュナンは青年実業家として早くから慈善活動を行
なっていましたが、イタリア統一戦争の際、負傷した多くの兵士達が戦場に放置されている姿
を目撃しました。これにショックを受けたジュナンは、敵味方の区別なく負傷した兵士を助ける
中立の組織を作る事を各国に訴え、1863年国際赤十字の発足にこぎつけました。後にこの
功績により、第1回のノーベル平和賞を受賞しました。赤十字のマークはデュナンの祖国スイ
ス国旗の逆の色となっております。

1904年 明治37年、日露戦争の戦勝祝賀行列が全国各地で大荒れになりました。日本軍が
各戦線で勝利したニュースに、熱狂した人々が興奮のあまり暴徒と化したのです。東京の馬場
先門では20人が亡くなる惨事になりました。

1911年 明治44年、文部省が尋常小学校唱歌の「巻(マキ)の1」を発表しました。唱歌集は大
正3年までに6巻作られ、その代表作には「春の小川」「春が来た」「われは海の子」「おぼろ月
夜」などがあります。

1941年 昭和16年、「ニクナシ日」がスタートしました。この「ニクナシ日」は日中戦争が長引
いて生活物資が不足してきたため、市民生活を引き締めようという趣旨で始められたもので
す。毎月2回、料理店や食堂などで肉を使わない事になりました。しかし初日は趣旨が徹底せ
ず、新宿のある料理店では「ニクナシ日」に買い求めた肉でなければ構わないだろうと、買い
だめをしておいた肉で焼き飯を作って売ったため、警視庁から注意を受けました。「ニクナシ
日」でも鯨の肉は代用肉として例外扱いでした。

1951年 昭和26年、「チャタレイ裁判」の第1回公判が開かれました。「チャタレイ裁判」はイ
ギリスの作家D.H.ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を、出版した書店と翻訳した作家伊
藤整(セイ・本名はヒトシ)さんがワイセツ文書を販売した罪に問われたものです。文学者や文化
人の一部は検閲制度の復活だとして被告側を応援をしましたが、昭和32年最高裁で有罪の
判決がでました。

1968年 昭和43年、当時の厚生省は富山県の神通川流域で発生した「イタイイタイ病」を公
害病と認定しました。この年の3月には上流の鉱山から排出されたカドミウムが原因だとする
最終報告が出されていました。

1978年 昭和53年、イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーはエベレストの無酸素登頂に
挑戦し成功しました。無酸素登頂としては世界で初の快挙でした。メスナーはこの後もエベレス
トに単独登頂した他、世界に14ある8000メートル級の高山を全て征服し超人と称えられまし
た。

1992年 平成4年、大相撲の東の横綱北勝海(ホクトウミ)が夏場所を直前にしたこの日、引退を
表明しました。この1年前の夏場所で千代の富士が引退をしてから大乃国、旭富士と引退が
続きました。この引退で61年ぶりに横綱が不在となり、93年春場所に新横綱の曙が誕生す
るまで、横綱不在が4場所続きました。

1997年 平成9年、アイヌの人たちの文化の振興などはかる所謂「アイヌ新法」が衆議院本会
議で全会一致で可決成立しました。国や自治体の責務としてアイヌ文化の後継者を育成し伝
統についての知識を普及することなどを定めました。

2001年 平成13年、弘前市の消費者金融「武富士」にガソリン放火による5人殺害の事件が
起きました。平成14年3月3日に43才の男が逮捕されております。


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