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1923年 大正12年、自動車レースの中で人気のあるレースの一つ「ルマン24時間耐久レー
ス」の第1回が開催されました。フランス中西部のルマン市の郊外にあるサルトサーキットで行 われるこのレースは、1チーム3人のドライバーが交代でコースを24時間ひたすら走り続ける という、人間にとっても自動車にとっても過酷なレースです。平成3年にはマツダの車が日本初 の優勝を成し遂げています。“ルマンの日”
1928年 昭和3年、東京の明治神宮競技場で、第1回の全日本学生陸上競技大会が開かれ
ました。この時に選手がスタートする時の 「位置について、用意」の合図が採用されました。ち なみにそれ以前の明治初期の運動会の合図は「いいか、ヒーフーミー」といいました。その後 は「よろしゅうごわすか、用意」もありました。大正2年第1回の陸上競技会では「仕度して、用 意」、大正6年の第3回の極東選手権では「on your mark get set(オンユアマーク、ゲットセット)」という 英語の合図が使われました。
1948年 昭和23年、東京の神田共立講堂で、洋裁学校の生徒たちが全国ファションコンクー
ルを開きました。戦後間もない時で、材料が不足していた時代でしたので、八手の葉っぱを胸 に付けたり、水着に草鞋履きといった創意工夫型のファッションが多くありました。当時として は珍しいファッションショーとあって人気は上々、4000人のお客が会場を埋め尽くしました。
1959年 昭和34年、ドイツのミユンヘンで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、
東京オリンピック(昭和39年)の開催が決まりました。東京は最初の投票で過半数の34票を 獲得して、2位のアメリカ・デトロイトを大きく引き離しました。投票結果を待ち受けていた東京 都庁内では「万歳、万歳」の歓声が上がりました。一度は開催地として選ばれながら日中戦争 の拡大で返上してから、およそ20年、悲願の開催決定でした。
1969年 昭和44年、東京と名古屋を結ぶ東名高速道路(346,77キロ)が全線開通しまし
た。これによって東名と名神は愛知県の小牧市でつながり、東京と西宮の間(536,4キロ)が 1本のハイウエイで結ばれました。東名高速道路はドイツのアウトバーンにならって計画された もので、ルートの調査を始めてから29年で完成しました。
1978年 昭和53年、国連の第1回軍縮特別総会に向けて日本から参加した原爆被爆者とア
メリカ市民4000人が、ニューヨークの繁華街でデモ行進を行い「ノーモア・ヒロシマ」を世界に 訴えました。この訴えは次はアメリカの平和運動グループが主催する15000人の反戦・反核 デモへと広がりました。また、30日には日本代表が核兵器禁止を要請する1800万人の署名 を国連事務総長に手渡して、日本人の強い反核の意思を伝えました
1983年 昭和58年、秋田県沖を震源とするマグニチュード7.7の「昭和58年日本海中部地
震」がおきました。地震の後、大きな津波がきて秋田県の能代港の護岸工事をしていた作業 員や遠足の児童など104人が亡くなりました。このうちの100人が津波の犠牲者でした。地震 の被害は秋田、青森、北海道の広い範囲に及んで建物の全半壊は3000棟を超えました。 【参考:スクラップぶっく2011年3月】
1999年 平成11年、大関武蔵丸が横綱に昇進しました。ハワイ・オワフ島出身、曙に次ぐ2
人目の外国出身横綱の誕生でした。
2012年 平成24年、登山家の竹内洋岳さんが日本人で初めてヒマラヤ山脈にある8000メ
ートル級の山すべての登頂を達成しました。この日、最後となる14番目のネパールのダウラ ギリの登頂に成功しました。
2016年 平成28年、東京武蔵野市の動物園で飼育されていた国内最高齢のメスの象「はな
子」が69歳で死にました。はな子は昭和24年にタイから戦後初めて日本に来た象で昭和29 年から武蔵野市の井の頭自然文化園で飼育され多くの来場者に親しまれてきました。
2019年 令和元年、北海道佐呂間町で5月としての全国の観測史上最高気温となる39・5度
を観測。北日本では上空に暖気が入り、季節外れの高温になったとみられる。 気象庁天気 相談所は「フェーン現象はどこでも起こりうるが、北海道東部でここまで気温が上がるのは珍し い」としている。
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