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1777年 アメリカの大陸会議で国旗のデザインが決まりました。当時のアメリカは独立した13
の州からなっていましたので、それを象徴する赤と白13本の線に13の星を配した星条旗が 国旗となりました。その後、新しく州が出来るたびに星の数が増やされ現在は50になりまし た。
1914年 大正3年、国際オリンピック委員会を組織したフランス人のピェール・クーベルタン
が、体育関係者が集まった晩餐会の席で五輪の旗を披露しました。翌日これがオリンピックの 旗として正式に決まりました。旗に描かれている5つの輪は、5つの大陸の結合を表したもので オリンピック憲章の精神を象徴しています。
1940年 昭和15年、東京の隅田川にかかる勝鬨(カチドキ)橋が完成しました。勝鬨橋は隅田
川の最も下流に架かっている橋で、全長が246メートル幅が22メートルあります。中央の部 分が漢数字の「八」の字形にはね上がる構造になっていまして、橋の下を大型船が航行するこ とが出来ました。しかし現在は交通渋滞の問題などがありまして開閉していません。
1947年 昭和22年、長野県上高地の梓(アズサ)川のほとりで、ウォルター・ウェストンの胸像
の除幕式が行なわれました。ウエストンは明治21年に宣教師として来日したイギリス人で、 「日本アルプスの登山と探検」という本を書いて日本アルプスを世界に紹介しました。「日本山 岳会の父」として慕われています。
1949年 昭和24年、GHQ(連合国軍総司令部)の指令によりまして、映倫(映画倫理規定管
理委員会)が発足しました。映倫の仕事は映画表現の中にいき過ぎた性的な表現がないか、 あるいは宗教や外国などを偏見をもって中傷していないかなどを映画の公開を前に審査する ことです。
1958年 昭和33年、宮城県・女川(オナガワ)沖で、フランスの潜水艇バチスカーフによる日本海
溝の学術調査が始まりました。この調査は日本とフランスの合同で行われたもので、1000メ ートルを超える深さの日本海溝の探査はこれが最初でした。6日後の6月20日には、3000メ ートルの深さを探査する事に成功しました。
1972年 昭和47年、東京発ロンドン行きの日本航空DC8型機が、インドのニューデリー空港
への着陸を前にして墜落しました。乗客乗員89人のうち86人が亡くなりました。
1993年 平成5年、前の年に成立しました「国会議員資産等公開法」に基づいて、衆議員と参
議員全ての議員の資産が初めて公開されました。
2008年 平成20年、岩手県の内陸南部を震源とするマグニチュード7.2の岩手・宮城内陸
地震が発生しました。17人が亡くなり6人が行方不明となっています。
2010年 平成22年、海外で開かれたサッカーの「ワールドカップ」で日本が初勝利を挙げまし
た。南アフリカ大会1次リーグ初戦のカメルーン戦で本田 圭佑選手のゴールで先制、1対0で 競り勝ちしました。
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