8月20日

1931年 昭和6年、東京の銀座・京橋などの交差点に赤青黄の3色の自動信号機が設置され
ました。当時は信号の色が変わるたびにけたたましい音でベルが鳴っていました。

1945年 戦争が終わって5日経った昭和20年のこの日、東京の街の夜を暗闇にしていた灯
火管制が解除され屋外灯・看板灯・道路灯などに明かりが点きました。新聞はこの日の様子を
「戦いは終わりビルの窓にも防空壕にも明かりがともった、しかしこれは戦争に勝った喜びの
明かりではない」と伝えました。

1945年 当時の樺太(カラフト:今のサハリン)では8月15日の第2次世界大戦が終わった後も
攻撃を続けるソ連軍と日本軍と戦闘が行われていたが、昭和20年のこの日、ホルムスクにあ
った真岡郵便局で、職場を死守していた女性電話交換手9人が「これが最後です、さようなら」
という通信を行って全員が自決をしました。宗谷海峡の彼方にサハリンを望む北海道の稚内
公園には、昭和38年に「9人の乙女の碑」が建てられました。

1960年 昭和35年、宇宙空間を旅した犬が地球に戻りました。前の日打ち上げられたソビエ
トの衛星が地球を17周した後、ライカ犬2頭を乗せたカプセルとともに無事地上に回収されま
した。哺乳動物が宇宙空間を旅行したのはこれが最初でした。

1968年 昭和43年、当時のソビエトを中心とするワルシャワ条約機構軍(東欧諸国のソビエ
ト、ポーランド、東ドイツ、ハンガリー、ブルガリアの5カ国軍)がチェコスロバキアに突如侵入を
開始しました。社会主義の国チェコスロバキアでは検閲の廃止、複数政党の復活など「プラハ
の春」と呼ばれた新しい社会主義への模索が行われていました。しかし、侵入から2日後チェ
コ全土はワルシャワ条約機構軍によって制圧されました。「チェコ事件」と呼ばれました。

1973年 昭和48年、日本人男性を含む男性5人と女性6人が乗り込んだ筏(イカダ)「あかり
号」が大西洋横断してメキシコのコスメルに入港しました。この航海は「孤立状態における人間
の行動」を研究するためにメキシコの人類学者が企画したものでした。国籍の異なる男女11
人が選ばれ、アフリカのカナリア諸島からメキシコまで101日間の航海が行なわれました。

1988年 昭和63年、国連安全保障理事会の決議に基づきイラン・イラク戦争の停戦が実施さ
れました。戦争が始ってから7年11ヶ月ぶりに中東地域に平和が戻りました。死傷者100万
人を出しました。

1991年 平成3年、エストニア共和国が、当時のソビエトからの即時完全独立を宣言しまし
た。翌21日にはラトリア共和国がこれに続きました。当時のゴルバチョフ大統領は8月26日
の最高会議で、1年前に独立を宣言したリトアニワ共和国を始めバルト3国の独立を承認しま
した。

1997年 平成9年、中国とパキスタンの国境のカラコルム山脈にあるスキルブルム(7360メ
ートル)の登頂に成功した神奈川ヒマラヤ登山隊の16人が、下山の途中雪崩に巻き込まれ6
人が亡くなりました。

2007年 平成19年、那覇空港で中華航空機「 チャイナエアライン120便」が着陸8分後に炎
上事故。乗客乗員165人は全員無事。左翼エンジンからの出火が原因とされています。

2008年 平成20年、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が北京オリンピック・陸上男子200メ
ートルで金メダルを獲得しました。オリンピックでは24年ぶりとなる100メートルとの二冠を達
成しました。

2012年 平成24年、フリージャーナリストの山本美香さんが内戦状態に陥ったシリアを取材
中に戦闘に巻き込まれて亡くなりました。

2014年 平成26年、広島市で大規模な土砂災害が起きました。安佐南区と安佐北区で74人
が亡くなり、平成に入ってから犠牲者が最も多い土砂災害となりました。


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