9月16日

1877年 明治10年、東京大学で動物学や生物学を教えたアメリカの博物学者エドワード・モ
ース博士が東京の大森付近の貝塚の調査を始めました。後に「大森貝塚」と名づけられたこ
の貝塚は日本に到着したモース博士が横浜から東京へ向かう列車の窓から偶然見つけたも
のです。この貝塚からは、縄文時代の土器や石器などが数多く出土しました。

1948年 昭和23年、マッチの自由販売が8年ぶりに認められました。戦時中から戦後にかけ
てマッチは、配給制になっておりまして自由に手に入らずに大変貴重な品でした。

1954年 昭和29年、日本中央競馬会が発足しました。農林省畜産局競馬部によって運営さ
れてきた国営競馬が廃止となり、かわって日本中央競馬会が発足しました。民営競馬のスター
トです。“競馬の日”

1961年 昭和36年、第二室戸台風が西日本を襲いました。浸水を含めた家屋の被害は88
万棟、亡くなった方・行方不明になった方は210人、また負傷者はおよそ5000人にのぼりま
した。台風が通過した高知県の室戸岬では、最大瞬間風速84.5メートルという観測史上2番
目に強い風を記録しました。参考:1966.9.5

1977年 メートル法が施行されて日本古来の計量方法は廃止されていましたが、昭和52年
のこの日、計量行政審議会が「曲尺(カネジャク)」と「鯨尺」のモノサシの製造と販売を許可する
事を決めました。これによりまして昔懐かしいモノサシが19年ぶりに復活しました。

1979年 昭和54年、東ドイツに住む二つの家族8人が手製の熱気球に乗って西ドイツに脱出
しました。二家族8人は、この日の未明シューリンゲ地方の森で気球に乗り込み風を頼りに飛
行を続けバイエルン地方の町ナイラに着陸し亡命に成功しました。東ドイツから西ドイツに亡
命した人は、この年だけで3800人にのぼったとみられましたが、気球に乗って脱出に成功し
たのはこれが最初でした。

1987年 昭和62年、カナダのモントリオールで開かれていた国連環境計画の閣僚級会議で、
地球を紫外線から守るオゾン層を破壊するフロンガスの消費量を、1999年までに半減すると
いう方針が決まりました。日本など24カ国が議定書に調印しました。

1990年 平成2年、東京で国際オリンピック委員会の総会が開かれました。総会に先立って
行なわれた理事会では、8年後に開催される冬期オリンピックに立候補した6つの都市の招致
演説が行なわれ、当時の海部総理大臣が長野へ招致したいと応援演説を行ないました。

1992年 平成4年、スペースシャトル「エンデバー」で宇宙飛行を続けていた毛利衛さんが宇
宙中継で小学生を対象にした授業を行ないました。授業を受けたのは、毛利さんの出身地で
ある北海道余市町の小学生と東京のNHKスタジオに集まった子供たちでした。毛利さんは狭
い宇宙船の中で、りんごを投げたり紙ヒコーキを飛ばしたりして、無重力空間の不思議さや面
白さを分かりやすく説明しました。(参考:2000.2.11)

2006年 平成18年、プロ野球中日ドラゴンズの山本昌(マサ)投手が名古屋ドームで行なわれ
た阪神戦でノーヒット・ノーランを達成しました。41歳1ヶ月での達成はプロ野球最年長記録で
した。

2007年 平成19年、総務省が日本の80歳以上の人口が713万人になり、初めて700万人
を超えたと発表しました。

2007年 平成19年、ブラジルのリオデジャネイロで行われていた柔道の世界選手権で女子4
8キロ級の谷亮子選手が優勝しました。谷選手は、このときおよそ3年ぶりの国際大会出場で
したが世界選手権で7回目の優勝を見事に果たし男女通じての最多記録を打ち立てました。

2013年 平成25年、国内にある50基の原発すべてが、およそ1年2か月ぶりに運転を停止
しました。唯一運転を続けていた福井県の大飯原発4号機が定期検査のため運転を停止しま
した。

2018年 平成30年、ベルリン・マラソンでエリウド・キプチョゲ選手が従来の世界記録を1分強
も縮める2時間01分39秒と言う驚異的な世界新記録を叩き出して2連覇を達成しました。



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