10月10日

0年 “釣りの日”。は小さな子供が、魚のことを、「トト」と言う事にちなんだものです。

0年 “目の愛護デー”。は数字の10と10を横にすると、眉と目の形になる事からによるもの
です。

726年 “まぐろの日”。昭和61年に日本カツオ・マグロ漁業協同組合連合会が提唱しまし
た。奈良時代の神亀〈ジンキ〉3年の10月10日、万葉の歌人・山部赤人〈ヤマベノアキヒト〉が兵庫
県明石地方を旅した際、マグロ漁業で栄えていたこの地を、歌に詠んだという古事があり、こ
れにちなんだ記念日です。

1944年 昭和19年、アメリカ軍が沖縄本島全域に爆撃を行ないました。特に那覇市では、市
内の90パーセントに当たるおよそ1万1千戸の家屋が全焼または全壊しまして、10月10日と
言う事で「ジュージュー空襲」と呼ばれました。この空襲で沖縄県内で600人以上が死亡したと
されています。

1962年 昭和37年、ボクシングの世界フライ級選手権でファイテイング原田選手がタイのポ
ーン・キングピッチ選手を11回ノックアウトで勝ってチャンピオンになりました。白井義男選手
以来8年ぶり、2人目の日本人チャンピオンの誕生でした。

1964年 昭和39年、第18回オリンピック東京大会が開幕しました。東京・千駄ケ谷の国立競
技場で行なわれた開会式には、世界94カ国5500人の役員と選手が参加して、午後2時から
華やかな入場行進が行なわれました。この大会で最大の話題になったのはバレーボールの女
子決勝でした。大松博文監督率いる日本チーム、東洋の魔女が宿敵ソビエトを破った時に
は、人々の熱狂はその極に達し、テレビの視聴率は開会式の87.4パーセントに次ぐ80パーセント
に達しました。メダル争いではアメリカが金36個を獲得してソビエトの30個、日本も16個(銀
5・銅8)と健闘しました。大会が開かれていた2週間は日本国中がオリンピックの話題一色に
なりました。オリンピックにちなんで1999年(平成11年)までは、この日が“体育の日”でした。

1969年 昭和44年、後楽園球場で行なわれた巨人対中日戦で、巨人の金田正一投手が日
本のプロ野球の最高記録400勝を達成しました。プロ入りして20年、通算の登板が943試合
目に勝ち取った大記録でした。ちなみに金田投手の400勝に次ぐ記録は近鉄の米田哲也投
手の350勝です。

1970年 昭和45年、320の島々からなる南太平のフィジー諸島が、独立国になりました。フィ
ジー諸島はイギリスの自治領でしたが、この日から、イギリス連邦内の独立国フィジー共和国
となり、10月13日には127番目の国連加盟国になりました。

1977年 昭和52年、東京新宿の歌声喫茶「灯(トモシビ)」が、閉店しました。戦後しばらくして生
まれた歌声喫茶は、学生や若者が集まって歌を合唱する熱気にあふれた場所でした。「灯」が
誕生して23年が経ち、「サヨナラ・コンサート」が開かれたこの日は、自分達の子供を連れた4
0代のカップルなどで店内は超満員でした。「カチューシャの唄」や「北帰行」の大合唱で青春
の思い出の場所だった歌声喫茶の閉店を惜しみました。その後「ともしび」は場所を移転して
営業を再開し、現在も多くの音楽ファンが歌声を響かせております。

1991年 “銭湯の日”。「1010」を「せんとう」と読みます。東京・江東区の公衆浴場商業協同
組合が1991(平成3)年に銭湯の日を実施しました。その後、1996(平成8)年に東京都公
衆浴場業衛生同業組合がこの日を記念日に制定。その後、特別入浴デーとして全国に広まり
ました。

1997年 平成9年、ノルウエーのノーベル賞委員会は、この年の平和賞を対人地雷全面禁止
条約の実現に向けて国際世論を盛り上げた非政府組織「地雷禁止国際キャンペーン」と、そ
の世話人のアメリカ人「ジョディー・ウイリアムズ」さんに贈ると発表しました。

2000年 平成12年、筑波大学の白川英樹名誉教授にノーベル化学賞が贈られることが決ま
りました。電気を通すプラスチックを発見し携帯電話のディスプレイの普及などに大きく貢献し
たことが評価されました。日本人としてのノーベル化学賞は2人目でした。その後平成14年
に、たんぱく質の分析の新たな手法を開発した、島津製作所の田中耕一さんが受賞して化学
賞受賞者は3人になっております。

2000年 平成12年、大蔵省は国の資産と負債の状況を対比させた、貸借対照表(バランスシ
ート)を初めて公表しました。債務の内容に応じて3つのケースが示され、債務超過額は最小
で133兆円、最大で776兆円とされました。

2001年 平成13年、この年のノーベル化学賞に名古屋大学大学院教授の野依 良治さんが
アメリカの研究者と共に選ばれました。自然界でしか作れないとされていた特定の分子構造も
つ有機化合物を人工的に作る方法を確立したことが評価されました。

2014年 平成26年、この年のノーベル平和賞にパキスタンのマララ・ ユスフザイさんとインド
の人権活動家カイラシュ ・サティヤルティさんの二人が選ばれました。マララさんは当時17歳
で史上最年少での受賞でした。



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