12月20日

1879年 霧の深い津軽海峡の航海の安全のため、明治12年のこの日、青森県下北半島の
尻屋崎(シリヤザキ)灯台に日本で最初の霧笛が設置されました。霧笛は20秒おきに4秒間「ボ
ー」と鳴らされました。この霧笛が設置される前は、重さ1.6トンの西洋式の鐘が打ち鳴らされ
ていました。尻屋崎灯台の霧笛は、その後廃止されましたが、竜飛崎(タッピザキ・竜飛岬)や北
海道の襟裳(エリモ)岬、宗谷(ソウヤ)岬、納沙布(ノサップ)岬、落石(オチイシ)岬などの霧信号所で
は、現在でも霧笛で船舶に位置を知らせています。

1907年 明治40年、山梨県に建設されていた、東京電燈(株)の駒橋 (コマハシ)水力発電所が
1部完成し、東京への送電を開始しました。送電距離は76キロ、電圧は55,000ボルトでし
た。これによって、高圧遠距離送電の時代が始まりました。

1914年 大正3年、東京と当時の高島町(今の横浜駅)との間で、現在の京浜東北線の前身
にあたる電車の運転が開始されました。しかし、故障が続出したために一旦中止され本格的
な営業運転は次の年(大正4年)の5月になりました。

1952年 昭和27年、アフリカ大陸とマダガスカル島の間にあるフランス領のコモロ諸島の海
で、全長1メートル37センチ、重さ39キロの2匹目のシーラカンスが生け捕りにされました。1
938年に1匹目が漁師の網にかかっていましたが、学術的に調べられたのはこの2匹目が最
初となりました。シーラカンスは3億年前に地球上に出現した古代魚で、7千万年前に絶滅され
たと考えられていました。

1966年 昭和41年、東京地方裁判所は、結婚を理由とする解雇は性差別であり、結婚の自
由を制約するものであるから、憲法違反であるという判決を下しました。この裁判は、結婚の
ために退職させられた女性社員が、会社を相手に起こした裁判でしたが、結婚退職制度につ
いて裁判所の判断が下されたのは、これが最初でした。

1970年 昭和45年、日本本土復帰前の沖縄コザ市(今の沖縄市)で、5000人の市民がアメ
リカ軍の自動車を焼き払ったり、米軍施設に投石するなどの反米暴動が起きました。このきっ
かけは、日本人を車ではねて怪我をさせたアメリカ兵の事故処理にあたった憲兵隊が、被害
者を放置したまま運転していたアメリカ兵を連れ去ろうとした為でした。

1976年 昭和51年、ヨーロッパ医師共同体が発足しました。これによってヨーロッパ共同体加
盟の9カ国内では、医師の医療開業が自由に行なわれる様になりました。

1987年 昭和62年、フイリピンのマリンドゥケ島の沖で、フェリーとタンカーが衝突して双方の
船が炎上して沈没しました。この事故によって4317人が亡くなり、海岸史上最大の衝突事故
になりました。およそ7000の島々からなるフィリピンでは、フェリーは一般の人々の主要な交
通手段になっていて、この日はクリスマス休暇を利用して旅行する人達で超満員でした。

1989年  平成元年、アメリカがパナマへの侵攻を始めました。反米的な姿勢を強めていたパ
ナマの当時の最高実力者ノリエガ将軍を逮捕し、政権から追放することが目的でした。

1991年 平成3年、当時の大蔵省は地価の抑制をねらいとした、不動産業向け融資の総量
規制について地価が沈静化してきたことなどから、この年いっぱいで解除することを決めまし
た。

1999年 平成11年、450年の間、ポルトガルに統治されていたマカオが中国に返還されまし
た。これによってヨーロッパによるアジアの植民地支配の歴史が幕を閉じました。


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