1月14日

1897年 明治30年、イギリスの登山隊が南アメリカ最高峰のアコンカグァ(標高6960メートル)
の登頂に世界で初めて成功しました。山頂を征服したのは、イタリア人の山案内人マティアス・
ツルブリッケンという青年でした。9合目辺りまで登った時、登山隊長が倒れて立ち上がれなく
なったので、たった一人で山頂に到達し「1897年1月14日吾れ遂にこの山頂を極めり」と岩
に刻み付けました。

1917年 大正6年、横須賀軍港に停泊していた軍艦「筑波」の火薬庫が大爆発して、火災を起
こし沈没しました。この事故で73人の乗組員が亡くなりました。

1951年 昭和26年、ハリウッドで第1回世界映画祭が開かれました。この映画祭の話題は参
加40カ国が、それぞれの国で人気スターの投票を行った事でした。日本では、最も人気が高
かったのが高峰秀子で、2位はゲーリークーパー、3位はイングリッドバードマン、4位が原節
子、5位が小暮美千代、以下長谷川一夫、三船敏郎、高峰美枝子、ボブホープトと続き10位
は上原謙でした。

1959年 昭和34年、南極の昭和基地に到着した第3次南極観測隊が、カラフト犬のタローと
ジローを発見しました。この前の年(昭和33年)の2月に第2次観測隊は気象状態が悪い為越
冬を断念し、15頭の犬を残したまま昭和基地を引き揚げました。犬たちには1週間分の食糧
が残されましたが、この日見つかったタローとジローは1年近く現地に置き去りにされていまし
たが、どうやって食べ物を得ていたのか、まるまると太って元気に観測隊員を出迎えました。タ
ローとジローが生きていたと言うニュースは、日本中を感動させました。

1969年 昭和44年、アメリカの原子力空母エンタープライズが、ハワイのオアフ島の沖で爆
発し大火災を起こしました。この空母の動力源になっていた原子炉には火災の影響はありま
せんでしたが、26人が亡くなりました。事故の原因はエンタープライズに着艦しようとした飛行
機から爆弾が落ち続いて誘爆が起きたと発表されました。

1978年 昭和53年、伊豆大島の近海でマグニチュード7.0の地震が起きました。被害の中
心は伊豆半島で、崖崩れで住民が生き埋めになったり、走行中のバスが落石に直撃されるな
ど、人身にかかわる災害が多発しました。25人が亡くなり負傷者200人以上にのぼったこの
地震は、「1978年伊豆大島近海地震」と命名されました。

1979年 日本とアメリカの間で行なわれていた繊維協定の改定交渉は難攻していましたが、
昭和54年のこの日未明、ようやく決着しました。アメリカは、日本からの輸出が急増していた
繊維製品について、厳しい数量規制を主張していましたが、アメリカが譲歩した形で決着しまし
た。

1989年 平成元年、国の行政機関が国民生活に関係が深い病院や税関などを除いて、毎月
第2第4土曜日に休む土曜閉庁を始めました。2月4日からは金融機関が完全土曜休業を実
施しました。

1993年 平成5年、南アメリカのコロンビアの南西部アンデス山中にあるガレラス火山が噴火
しました。火口の周辺や火口の中で学術調査をしていた世界各国の研究者およそ30人が、
噴石や噴煙に直撃され6人が亡くなり、6人が行方不明となりました。


トップへ
トップへ
戻る
戻る