|
1887年 明治20年、東京の鹿鳴館で行われた舞踏会で白熱電球がともりました。東京電燈
会社が移動式の石油発電機によって電気を起こしたもので、営業用として電燈をともしたのは これが最初でした。「風が吹いても消えない」というのが、電燈会社のキャッチフレーズでした。
1916年 大正5年、前の日の21日に埼玉県の所沢を飛び立った日本で最初の国産の飛行
船「雄飛号」が、大阪に到着しました。2日がかりの飛行でした。この雄飛号には3人の軍人が 乗りまして、前の日の午後埼玉の所沢を離陸、途中愛知の豊橋で燃料を補給しての飛行でし た。
1970年 昭和45年、ボーイング747型機(ジャンボ・ジェット)の第1便が、ニューヨークのケ
ネディ空港からロンドンに向けて飛び立ちました。このジャンボ・ジェットの就航により空の大量 輸送時代の幕が開きました。
1981年 絶滅寸前の特別天然記念物「トキ」の人工増殖をはかる為に捕獲作戦を行なってき
た環境庁は、昭和56年のこの日、佐渡市(佐渡島)で確認されていた5羽のうちの最後に残っ た1羽の捕獲に成功しました。ただこの時、佐渡のトキ保護センターに収容されましたが、その 後5羽の全てが死んでしまい、人工増殖は成功しませんでした。その後、平成11年の1月に 中国から「ヤンヤン」と「ヨウヨウ」の番(ツガイ)が日本に贈られてきまして、佐渡トキ保護センタ ーで人工孵化が行なわれました。
1982年 “カレーの日”昭和57年、全国の小・中学校で給食の統一メニューとしてカレーが選
ばれ、児童生徒800万人がいっせいにカレーを食べました。全国学校栄養士協議会が呼び かけ当時の文部省が後援した統一献立デーの試みでした。小中学生が好きな給食メニューの ベスト5はカレーライス、焼きそば、ハンバーグ、スパゲティ、カレーシチューの順でした。
1990年 平成2年、東京のJR御徒町駅のガード下の国道が、大きな爆音と共に土砂を噴出
し、長さが12メートル幅9メートル深さ5〜15メートルにわたって陥没しました。この穴に自動 車とオートバイ4台が転落しました。これにより、通行人を含めて10人が負傷しました。陥没現 場の真下では、東北新幹線の上野と東京駅の間の延長工事が行なわれていました。
1992年 平成4年、2年間にわたって審議を続けてきた国の諮問機関の脳死臨調会(臨時脳
死及び臓器移植調査)が脳死を人の死として、提供者の意思を尊重する事を条件に、脳死者 からの臓器移植の道を開く最終答申を行ないました。
2021年 令和3年、核兵器の開発・保有・使用を禁ずる「核兵器禁止条約」が発効されまし
た。核兵器の使用は非人道的で国際法に反するとして開発・製造・保有・使用を禁じるもので2 017年に国連で採択されました。条約にはアメリカやロシア・中国などの核保有国やアメリカ の核の傘の元になるNTO(北大西洋条約機構)の加盟国や日本などは参加していません。
|