<<BEFORE | □MAIN | □書付 | NEXT>>
−1−
校門を抜けるとそこは非日常だった。
さして広くない校門の中央付近で、思わず足を止めてしまった。 後ろを歩いていた友人が背中にぶつかったが、文句は飛んでこなかった。
さもありなん--。友人もあっけに取られてしまったのだろう。 そして、校門付近が足を止める生徒で大渋滞するのに、さほど時間はかからないだろう。
後から後から増えていく無数の視線をものともせず、彼らは真剣に戦っていた。
「いくぞ、コロナアターック!」
赤いヘルメットが叫んだ。手に持つ光る棒を構えて大きく振りかざす。 光る棒は狙い通り黒いマントの肩にぶつかる。 棒に刃は見えず、振り下ろされた音も「ボコ」という殴打の音だった。
「きゃぁっ。」
「うぐっ」
耳に突き刺さるような悲鳴は背後から聞こえた。 重いものが地面に落ちたような音とざわめきと、背中への物理的な圧力。 か弱いお嬢さんが卒倒でもしたのかもしれない。
うめき声は、黒マントの口から出てきた。一度のけぞりひざを突くと、肩を手で押さえた。 黒マントの後ろ、黒の全身タイツに身を包んだ人たちが、あわてて黒マントの前に出る。 その数、5人。
ギャラリーのざわめきなど届いていないかのように、赤いヘルメットは冷静にすばやく下がる。 替わりに出てきたのは、厳つい体つきの緑ヘルメット。
「お前らの相手は俺だ。」
緑ヘルメットは黒タイツの一人の胸元を掴むと、間髪居れずに投げる。よくわからないけど、柔道技だろうか。 見ている間にまた一人、黒タイツを捕まえると、足を払って投げた。
「大外狩りだっ! すげぇ!」
後ろから飛んできた。柔道部員だろうか。悲鳴ではない喝采が聞こえ始める。
「若いもんにはまだまだ負けん!」
3人目の黒タイツが地面に転がり、庇われてた黒マントがあらわになった。 既に立ち上がり、どこから出したのか花束のようなものを構えている。
黒マントは邪魔そうにギャラリーを一瞥し、何かを見つけたように視線をとめた。
「!?」
…私の上で。
時間がとまったようだというのは、このような一瞬を言うのだろうか。 黒タイツの相手をしているヘルメットの5人も、地面に伸びている黒タイツも、 私の後ろに詰め掛けたギャラリーたちの誰も、気づかなかっただろう。
染めたように黒く、滑らかに流れる前髪。意外に長いまつげ。 書いてなどいない、整った眉。闇のように黒い瞳。獲物を見つけた猟犬のように見開かれた…。 ほんの一瞬だった。だけれど、確かにあった一瞬だった。
一瞬は、唐突な音で終止符を打った。やわらかい大音量の音楽が流れ出す。
最後の黒タイツが地面に伸びた。
「!! グリーン、耳をふさげ!」
声は青ヘルメットのものだった。
ほとんど息を乱すことなく姿勢を戻した緑ヘルメットは、指示の意味を図りかねているようだった。 そして、唐突に倒れこんだ。
黒マントはかすかに笑った。 やわらかく伸びる女性シンガーの声がつむぐ子守唄。去年大ヒットした曲だ。
「グリーン!」
「卑怯だわっ。グリーンはこれを聞くと無条件で寝てしまうのよ!」
「脳の構造が幼児並みだからな。」
赤とピンクがさけび、青が評した。
「だいたい、グリーンの脳はしわが少なすぎる。 この歌は脳のα波を引き出し、人をリラックスさせる効果を持っている。 そもそもα波というのはリラックスしている状態の脳波で、 対して緊張状態にあるときに出る脳波をβ波という。 芸術家などが創作活動を行っているときはα波を出しているというから、 リラックスするだけでなく、創造的な活動をするのにも適しているということになる。 グリーンの場合は脳まで筋肉みたいなものだから、創造活動なんてとんでもない。 結局乳幼児のように強い眠気を引き起こすことに・・・ん?」
青の評は長かった。子守唄と青の演説で緊張がすっかり解けてしまった。 私の背後も和んだようだった。塾へ行くのだろうか。 校門の端は通行人用にあけられ、幾人かが静かに去っていった。
歌はまだ続いていた。和んだのは、生徒たちばかりではなかった。 いや、歌で和んだわけではないかもしれない。 赤はいかにも眠そうにふらふらし、ピンクは耐え切れなかったようで、地面に直接寝転がり体を丸めて寝息を立て始めていた。 ある意味、歌などよりよほど強力である。 「ふははは! さすがだな、ブルー! これで一対一だ!」
黒マントは歌の音量を上げた。あまりの音量に逆に目がさえてしまう。 青ヘルメットは半歩ほど下がった。黒マントの自信に押されたかのようだった。 …そういえば、黒ヘルメットはどこへ行ったのだろう?
「お前一人では、ギャラリーの多いこの状況下で何もできまい!」
一歩、黒マントは青ヘルメットに近づく。あわせて青ヘルメットは一歩後退する。 黒マントは黒タイツたちの間をゆっくりと進み、私の前まで来た。 青ヘルメットは移動しながらも寝入っている緑やピンクを足蹴にし、起こす努力を続けている。
「今回の勝負、私の勝ちのようだな!」
「!?」
「杏子っ」
明日香が叫んだ。私は声を出すこともできなかった。
言うなり黒マントは、あろうことか私の腕を掴んでいた。 大きな手のひら。細くない私の腕をがっちりと拘束する。 反射的に振りほどこうと腕を振ったが、拘束は全く揺るがなかった。
「来るんだ」
黒マントは腕を引いた。その力に私は黒マントのほうへと引き出されてしまった。
「杏子、だめよ!」
明日香が私の左腕に取り付いた。明日香の協力を得て私は黒マントに対抗する。
黒マントは、明日香ごとでもかまわないと言うように、引く力を強めた。
「ちょっと待てや。まだおわっとらんで」
私は顔を上げた。声を聞いても、黒マントの手のひらは少しも揺るがなかった。
「…バズーカ?」
明日香の拍子抜けした声だった。 どこかへ行っていた黒ヘルメットが、バズーカのような巨大な筒を抱えて戻ってきていた。 青ヘルメットはその横に移動して、何事か操作している。
「これぞ秘密兵器。ウルトラバイオレットビームや!」
「ウルトラバイオレットビームだと…?」
高らかに黒ヘルメットが宣言する。 黒マントは私を掴むのと反対側の腕でマントを掲げた。本当にビームなら、無いにも等しい盾だった。 かすかに振動しているらしいバズーカもどきだったが、それ以上の変化は起こらない。
「?」
背後がざわめく。物々しい名称と何も起こらない現状。期待が失望に替わったのだろう。 少しずつ、帰宅者用の通路が広くなっていく。飽きた人、時間がなくなった人。 第三者たちが関係を解いていく。
「なにもおこらないじゃないか。」
たっぷり5分は待って、黒マントは言った。同感だった。 私の腕にしがみつきながら、私を盾にしていた明日香も、小さな顔に疑問を浮かべているだろう。
「ふふふ…。本当に何もおきていないのと思うのか?」
どちらが悪役なのかわからないが、青ヘルメットが言った。
「ウルトラバイオレットは、略せばUV。紫外線のビームを浴びて、こんがり真夏色になるがいい!」
「日焼けサロン並みやでぇ。」
青ヘルメットは高笑いしそうなほど高らかに言い放ち、黒ヘルメットはのんきに合いの手を入れた。 紫外線という言葉に反応して、人一倍おしゃれに気を使っている明日香は完全に私の背に隠れた。 そして、反応したのはもう一人。
「ナニィ!?」
黒ヘルメットは私の手を離すと、一足飛びでバズーカもどきから距離を置いた。 私は明日香と一緒に校門まで下がる。 UVバズーカは、黒マントを追って向きを変えた。
「卑怯だぞ。冬の油断しきったオハダに真夏の紫外線とはっ」
不意に歌がやむ。黒マントは花束のようなスピーカを下ろし、 少しでも紫外線を避けるようにマントをあげ続けていた。
「そちかて、子守歌出したやんか。おあいこやで」
「ピンクとレッドはそっちで勝手につぶしたんじゃないか!!」
「些細なことは忘れろ。」
UVバズーカを油断無く構え、青ヘルメットは仲間をけり起こす。 黒マントの手下たちは、起きてこない。劣勢は明らかだ。
「…今日のところは退散してやる。」
黒マントはさらに後退した。言葉は捨て台詞に置き換わるのだと思った。
「お前!」
「は?」
私は明日香のぶら下がっていない手で、自分の顔を指した。 ようやく起きた緑を含めて、ヘルメット5人が私を見る。 感触で、明日香が私を見上げているだろうと想像できた。 救いは、すっかり人気が無くなっていたことか。
黒マントが指差したのは、私、だった。
「必ずお前を手に入れてやる。首を洗って待っていろ!」
黒マントはきれいにマントを翻し、すばらしい足取りで去っていった。 黒マントの足音にでも反応したのか、黒タイツたちもこそこそ退散していく。
ヒーローの余裕か、五人組はそれを黙って見送った。
しっかり私の腕を抱え拘束している明日香を、私は無言で促す。 黒マントと同じように、さりげなく帰ろうと思った。 黒マントの言葉については、考えない方がいいと思った。
しかし、私の思惑をさえぎったのは、あろうことか明日香だった。 私の腕にしがみついたまま、校門から動かない。
「明日香--」
「杏子、説明して。」
明日香の声に、5人組が振り替える。…逃げられそうも無い。
「君。話を聞かせてくれないか?」
赤ヘルメットが近づいてくる。 校門前はすっかり閑散としギャラリーは一人もいなくなっていたが、 視線は痛いほどだった。
「あたしが訊きたい。」
本心から。
<<BEFORE | □MAIN | □書付 | NEXT>>