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母は専業主婦だった。ほんの一時、高校を出てすぐの頃は勤めていたらしいが、今は昼間パートに出ているくらいだ。だから、私の帰る時間には大抵家にいた。
「ただいまー。」
味噌汁の香りがする。めったに残業しない父の靴も玄関に並んでいて、今まさに夕飯が始まるところらしかった。姉の靴は見当たらなかったが、最近ではそう珍しくも無かった。
私は靴を脱ぎ、そのまま階段を上がる。台所から母の叫ぶ声が聞こえた。
「すぐご飯よ。早く着替えて降りてらっしゃい。」
「はーい。」
自分の部屋に入り、かばんをベッドへ放り投げた。制服を脱ぎ、スウェットを着込む。朝脱ぎ散らかしたはずのスウェットは、きちんとベッドの上に畳まれていた。捲り上げて起きだした形のまま直さなかった布団も、きちんと敷かれていた。
私は小さなため息を吐いて部屋を出た。階段を少し急いで降りて台所へ向かう。廊下との仕切りのガラス戸をあけると、むわりとした空気が流れ出す。私はあわててガラス戸を閉めて、自分の椅子に座った。
今日の夕飯は鍋。母は既に私の茶碗を持っている。
「ご飯、少なめにして」
母の繰る杓文字を見てあわてて言った。母は私をきょとんと見ると、一度よそったご飯を、少量お釜に戻した。
「ダイエットなんて、ゆるさんぞ」
父はぼそりといった。お茶碗を持ったまま目はTVに向けたままだった。TVはニュース番組を流していた。
「ちがうよ。ちょっと食べてきちゃっただけ。」
少なめによそってもらった茶碗を母から受け取る。
母は、少し眉を顰めていった。
「今日は塾も無いのに遅かったのね。だめよ、女の子がこんな時間に一人で歩いちゃ。」
20:00になり、番組が変わった。
無理なダイエットをしているわけではなく、まして、危ない街へ出かけたわけでもない。妙な連中に絡まれた後、明日香に詰め寄られていたのだ。場所は駅前のファーストフード。塾通いでバイトも満足にできない私たちが、頻繁に通うことができる数少ない店の一つだ。
心配されるようなことはしているつもりは無かったし、駅前で別れるまで明日香と一緒だった。今の高校生ならごくごく当たり前のことで、どちらかというとうちは厳しいほうだろう。
私は数年前から、父母の『心配性』をわずらわしく感じるようになっていた。喧嘩に発展しないのは、それすらも面倒に感じているからだ。
父母はそんな私を『おとなしい』と思っているようだった。少なくとも一応素直に従う私は、喧嘩早い姉に比べてよほど扱いやすく思えただろう。
幸か不幸か、そんな家族関係は今も続行中だった。いつまで続くかは私にはわからない。
わからないが予感はある。ずっと続くのだろう。卒業しても、成人しても、結婚しても。物心つくまえから、それこそ、私が生まれたときから続いたのだろうから。
世間の多くの人は、そんなうちのことを『幸せな家族』と証するのだろう。
何事も無く夕飯を終えると、風呂に入って自分の部屋に引き上げる。宿題を片付け、TVのチャネルをバラエティにあわせる。子供に見せたくないと言われる番組が始まると、寝室のドアが閉まり父も母も就寝する。二人が言う日付が変わるまでの「真夜中」は、私一人の時間だ。
ベットの上のカバンを床に落として布団の上に寝転がった。電気を落とすと、賑々しいTV画面が浮かび上がる。落とした音量はちょうどいいBGMだ。
やることが終わって一息つくと、急に疲れを感じた。思った以上に昼間は興奮していたらしく、目を閉じると一部始終を思い出すことができる。子供向けの番組のようにそろいのカラフルなスーツを着たヘルメットたち。これでもかと黒一色な上に、目立つことこの上ない黒マントと全身タイツの連中。現実にいるなんて、一体誰が想像する?
不意に手首の感触がよみがえった。掴んだ手の持ち主の黒い瞳を思い出す。どこか浮世離れした瞳だった。毛色が違うとでも表現できるか。
「一体なんだって言うんだ。」
つぶやくように声に出した。
そんな人が、単なる女子高生にしか過ぎない自分に、一体何の用だというか。あいつのせいで明日香には不審がられるし、ヘルメット連中には詰め寄られるし、新聞部に目撃されていたら、明日のうれしくないヒロインだ。
ちょっとむっとした気分になって、TVをつけっぱなしにしたまま布団をかぶった。ほんの少しの間むかついていたけれど、布団が暖まってくる間にどうでも良くなってきてしまった。TVを消さなきゃ、母に文句を言われる--。思ったのはほんの一瞬だったろう。
そのまま、夢も見ずに寝た。
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