(仮)

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−7−


 一時間ほどあまった時間で一旦家に帰った。母はパートだか町内会だか知らないが、出かけているようだった。 私は着替えて直ぐに家を出た。
 いつもなら明日香のレッスンにちょっとだけお邪魔して、時間をつぶしてからバイトへ向かっていた。 今日も、遅れない程度には向かうのだろうが、それを待つのは野暮というものだ。
 放課後の明日香は、悩みが吹っ切れたのか何時も通りだった。 ショートホームルームが終わると、挨拶一つ残して教室を出て行った。 私はそれを手を振って見送った。
 麻衣子は賑やかに部活へ向かった。里美も生徒会で忙しいのか、ぶつぶつ言いながら教室を出て行った。 鶴田は礼が終わった瞬間教室を逃げ出し、あきらめきれない男子生徒が後を追った。
 私は掃除当番の邪魔にならないように教室を出て、することもなくそのまま学校を出た。 バイトに行くには早すぎた。家に帰るにはぎりぎりの時間だったが、寒空の下で時間をつぶすよりはマシだと思ったのだ。
 早めについたコンビニで少し早めにバイトを始めた。 私の入る時間は高校生が中心で、やがて社会人が増えていった。 バイトの終わる時間近くは社会人が主になって、もう少し時計が回れば塾を終えた学生に戻る。
 客に渡すレシートから、もう少しで交代になることに気付いた。交代する先輩もそろそろ来るだろう。
「ありがとうございましたぁ」
 おつりとレシートを渡して、形ばかりの礼をする。直ぐに次の客から品物を受け取った。 宵口は割りに混むことが多かったし、今日もやはり少しだけ混んでいた。
「杏ちゃん、おつかれ。」
 自動扉が開き閉まる前に客の後ろを女性が通って行った。交代で入る先輩だろう。 私はちょうどレジを打っている最中だった。
「暖めますか。」
「うん。お願い。」
 品物がお弁当なのに気付いて私は言った。客の言葉を聴いてそのまま電子レンジに放り込む。 お弁当の客が最後で、後ろには誰もいなかった。
 残りの品物もレジに通して会計を済ませる。 おつりを返すときに、マニュアル通り客の顔を見ることができた。
「百二十九円のお釣りになります。…?」
「あれ?」
 レジの前に立つ、長身の男性と目が合った。知っている気がする顔だった。 向こうも同様だったのだろう。思わず声に出ていた。
 チン♪
 三十秒ほどの暖めが終わる。音に急かされてお弁当を取り出すと、ホット専用の袋に入れた。
「お待たせいたしました。」
「…東さん? 東さんだ。久しぶり」
「あ、幌居先輩…?」
 男性は頷いた。私は思わず笑んでいた。笑んで、そのまま品物を渡した。
「そか、バイト中が。いつ終わるの?」
 先輩の後ろに人が並んだ。私は品物へ手を伸ばした。 幌居はちょっとだけ避けた。 私は目でごめんなさいと言ったつもりだった。仕事中だったから、それが精一杯だった。 幌居は仕方がないとでも言うようにちょっと笑って、雑誌売り場の方へ向かった。
「暖めますか?」
 客は無言で頷いた。お弁当をとってレンジへ入れようとすると、エプロンをつけた先輩が既にやっていた。 私は残りの品物をレジに通して、会計を済ませた。
「ありがとうございました。」
 お弁当を袋に入れて客に渡す。今度はちゃんと礼をして送り出した。
「はい、お疲れ。交代だね。」
 私の肩を先輩がたたいた。時計は既に八時を回っていた。 私は先輩と場所を変わる。直ぐに客が来て、先輩はレジうちを開始した。 レジの側でボーっとしていると邪魔である。私は先輩に声を返すこともなく、そそくさとスタッフルームへ向かう。
 この時間は社員とバイト2人の3人で仕事を回している。一人はレジに常駐して、もう二人はレジに入ったり棚の整理をしたりが常だった。 スタッフルームは倉庫にもなっていたが、今は誰も居なかった。
 手早くエプロンをはずすしてコートを着込む、カバンにエプロンを詰め込んで、スタッフルームを出た。
「お先に失礼しまーっす。」
 社員とバイトの先輩二人に声をかけて、足早にコンビニを出た。 自動ドアをくぐるときにちらりと雑誌売り場を見ると、幌居はまだそこに居た。 私が解放されたのを見ると、雑誌を置いた。 私は店の外で足を止めた。幌居は直ぐには出て来なかった。
 店に入ったときはまだ残り火のような陽が出ていたが、もう夜一色となっていた。 乾いた風が通り過ぎる。息が白かった。
「よ。お疲れ。」
 一瞬暖かい風が吹いた。頬に熱いものが当たる。
「あ、ありがとうございます。」
 幌居の差し出す缶コーヒーを受け取る。そのまま幌居は歩き始め、私は小走りでついていった。
「先輩、本当に久しぶりですね! 先輩って、中央でしたっけ。」
 中央は、中央高校の略。私が進学したのは南高校だった。
 幌居は缶コーヒーを開けて、歩きながらあおった。 私も真似をして口をつけた。
「うん。もうすぐ卒業だけどね。」
 隣に並んだ幌居を見上げた。記憶にあるより、ずっと肩の位置は高かった。
 幌居は私より二年上級だった。ということは。
「あ、そか。先輩、受験ですね。」
「うん、推薦取ったんだ。…東、ちょっと時間ある? 久々だし、話してかない?」
 公園の前に来ていた。このあたりの喫茶店は夕方に閉まってしまうので、ちょっと話すとすれば公園くらいしかなかった。 私服だったから飲み屋に入れないこともなかったが、到底二十歳には見えまい。
「一時間くらいなら平気です。…先輩、どこの大学行くんですか?」
 公園に入っていく先輩の後を私は追った。 先輩は手近で比較的明るいベンチに座り、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
「W大にね。劇研は憧れだし。ラッキーだったよ。」
 W大の演劇研究部は有名劇団を数多く排出していた。 演劇をするならいくつかの道があったが、W大はそのうちの一本だった。
「先輩、演劇続けてたんですね。すごいなぁ。」
「東さんは?」
「南高には演劇部なくて。そのままふらふらしてます。」
「そか。南高だったんだ。」
 風がふく。先輩はまた一口コーヒーを飲んで、空き缶をゴミ箱へ投げた。 私は缶を手で包んで、少しでも暖を取ろうとしていた。
「東さんさ、まだシナリオ読んだりとかしてる?」
「してますよ。面白いです。」
 実際に見に行くことも自分でやることもなかったが、読むのは好きだった。 たまにTV中継を見ることもあった。 趣味というのはおこがましいくらい、ささやかに好きだった。
「仲間が書いた台本をね、よければ読んでみてほしいんだ。まだ完成してないんだけど。」
「私が?」
「うん。なかなか読んで意見言ってくれる人いなくて。再会したのも何かの縁だし。」
 幌居はカバンから紙束を出した。幌居自身でも読んでいたのだろう。大分くたびれているように見えた。
「いいんですか?」
 幌居は頷いて紙束を私の手に乗せる。紙束には思ったよりしっかりとした重みがあった。 淡い電灯は、読むには少し暗い。私は幌居へ聴いた。
「どんな内容なんですか?」
「ん…。ちょっとSFチックなんだけど、主人公が大切な人を世界を越えて探すって内容でね。まだラストは決まってないんだ。」
 そうして、幌居は語り始めた。

 −−主人公は最初、年若い少年。舞台中央で、仰向けになっている。
 主人公は寝ていたのか、光が当たるとゆっくりと起き上がる。
 主人公は周囲を見回す。
 主人公は世界に違和感を感じ、ここは自分の場所ではないと感じる。
 主人公は舞台を駆け回って、違和感の正体を探す。やがて、一つの事実に気づく。
 主人公の、何よりも大切な女の子がいない。
 主人公は街中を探し回る。女の子の家の彼女は長い間誰も住んでいないかのように、物置になっていた。
 女の子の両親は、そんな主人公をいぶかしんだ。
 主人公は学校へ行った。下駄箱に彼女の名前はなく、教室に彼女の机はなかった。
 主人公は自分の部屋に行った。彼女と撮ったはずの写真は一枚もなかった。
 主人公は両親に聞いた。彼女ははどこへ行ったのかと。
 両親は答えた。
 「それは誰のこと。」
 主人公は彼女の両親に聞いた。彼女はどこへ行ったのかと。
 「おじさんたちに、子供は居ないよ」
 少女は、世界から忽然と消えていた。

 主人公は少女を探して歩いた。
 主人公の町、主人公の国、主人公の居る世界。
 やがて主人公は大人になった。大人になって、研究者になった。
 研究者には世界を渡れる許可が与えられる。
 大人になった主人公は、その許可をフルに使って、あちこちの世界へ出かけた。
 遠い昔の世界も有った。遥か未来の世界もあった。
 主人公の世界と似ている場所もあった。
 主人公はいろいろな出会いをした。
 彼女を見つけたと思ったこともあった。
 彼女を騙る別人にも会った。
 けれど主人公は決して彼女と間違えることはなかった。

 主人公はいくつもの世界を巡った。彼女は見つからなかった。
 しかし、主人公はあきらめなかった。そして、迷わなかった。
 彼女とすごした記憶は確かで、気のせいなどではないと信じ続けていた。

 10年も経った頃、主人公はついに彼女を見つけた。
 遠い世界で、主人公が知らない人達と彼女は暮らしていた。
 主人公は狂喜乱舞した。
 しかし、少女は主人公を覚えてはいなかった−−。

 幌居はそこで一旦言葉を切った。 私は幌居を見上げた。肝心なラストはこれからだ。
「続きはどうなるんですか?」
「まだ、できてないんだ。」
 幌居はすまなそうに肩をすくめた。
「東さんは、この後どうなると思う?」
「この後、ですか?」
 突然振られて、私はしばし考えた。 コーヒーは既に冷たくなっていて、寒さが身に沁み始めていた。 先輩の息が、電灯の下で白くなって直ぐに消えた。 私の息も、白く長く出て直ぐに見えなくなった。
「…女の子は幸せだったんですか。」
 私は幌居へ聴いた。いや、独り言だったのかもしれない。
「まだ、決まってないんだ。」
「女の子が幸せなら、そっとしておく方が良いと思います。 主人公だって、納得できるんじゃないですか? それとも、わがままなのかな」
「わがままか、それはいいな。」
 幌居は少し笑った。私は笑う気にはなれなかった。
「覚えてないなら、いきなり現れても変な人ですもん。」
「じゃ、幸せじゃなかったら?」
「主人公はさしずめ、白馬の王子様ですね。」
「そうきたか。」
 幌居はさらに笑った。今度は私も笑った。 実際にはそんなにうまくいくことはないだろう。 どういうラストをつけるにしても、最後の場面は考える必要がありそうだった。
「面白そうな舞台になりそうですね。」
「なるといいね。」
 幌居は時計を見て立ち上がった。私も慌てて時間を見た。そろそろ帰らないとマズそうだった。
「これ、お返しします。」
 シナリオを差し出した私に、幌居は首を振った。
「もうちょっと読んでみてよ。で、連絡頂戴。」
 幌居が差し出したカードを受け取った。カードは、ゲームセンターなどで作れる名刺だった。 幌居の携帯電話の番号とメールアドレスが書かれていた。
「分かりました。じゃ、これ、お借りします。」
「よろしく。じゃ、俺ちょっと行くとこあるから。気をつけてね。」
 幌居は手をあげて駅へ向けて歩き始めた。 私は軽く会釈をしてそれを見送る。
「そうだ。」
 数メートル歩いたところで、幌居は立ち止まった。くるりと振り返ったようだった。
「東は今、幸せ?」
「はい?」
「いや、聞いてみただけ。じゃね。」
 幌居は再び歩き始めて、今度は立ち止まらずに公園を出て行った。 幸せかと聞いた時の幌居の表情は影の中で、私からは良く見えなかった。
 私は幌居を見送った姿勢のまま考えていた。少なくとも、幌居の問いに対して即答できなかった。
 風が吹き抜けて、私は一度身を震わせた。考えても答えなど出そうになかった。私は振り返って、コンビ二側の公園出口へ向かった。 すっかり冷えたコーヒーを飲み干して、缶をくずかごに入れる。 公園を出ると、そのまま道に沿って歩き始めた。 バスはすでに終わっている時間だったから、歩くしかなかった。
「あーずーまーさんっ。」
 背後から声がした。驚いて私は振り返った。 コンビニを背にして鶴田が歩いてくる。手にはコンビニの袋が提げられていた。
「よっ。偶然だねー。今帰り?」
「鶴田君は買い物?」
 私が立ち止まっていると、すぐに鶴田は追いついてきた。私たちは並んで歩き始める。 家に帰るならば、同じ道だ。
「うん。これ。切らしちゃってね。」
 鶴田はちょっとだけ袋をあげて見せた。 中には缶が数本入っていた。袋をすかして見えるのは、うちの冷蔵庫でも見慣れたラベル。
「…ビール?」
「うん。…あ、お、親父が飲むから。お袋に遣いに出されちゃって。はは…」
 私は横に並ぶ鶴田を見た。ごまかすような笑いが気になった。 何をごまかしているんだろう。
「こんなとこまで。」
 バス停をひとつ過ぎ、明かりのもれるガラスの前を通り過ぎる。 酒を扱うコンビ二は、こんなところまでこなくても数箇所あった。ちょっとお遣いに来る距離ではない。
「いろいろ回ってみてたんだよ。まだこの町よく知らないしっ。」
 鶴田は言った。あせったようなごまかすような態度に、私は疑問を感じた。 そして、ちょっとだけ…わくわくした。
「こんなに寒いのに? もの好きだね。」
 私は息を大きく吐いた。白く色を変えた息がすっと伸びてやがて薄れて消えていった。
「こんなに寒くてもっ。俺、結構丈夫だしっ。…どしたの?」
 ますます言い訳気味になってきた鶴田に、私は違和感を覚えた。 私の視線に気づいたのだろう。鶴田は怪訝そうに私を見返した。
 ちょっとだけ、鶴田の持つコンビニの袋に触れてみた。…十分冷えているはずのビールだが、さほど冷たくは感じなかった。 幌居と小一時間外で話をしていたのだ。私は十分冷え切っている。
「?」
 私はちょっとだけ迷って、鶴田の手に触れてみた。 ビールと同じくらい、冷たかった。
「何?」
 怪訝そうに見返す鶴田の息はちっとも白くなかった。
「鶴田君、ものすごく冷え切ってない?」
「へ!?」
「早く帰ろう。霜焼けになっちゃうよ!」
「あ、ねぇ、東さん〜。」
 私は鶴田の手を引いて早足を始めた。鶴田も戸惑いながら、ついてきていた。
 鶴田が私よりも冷え切っている理由。妙に言い訳がましい、あの場に居た理由。 飛び乗った今朝のバス。昨日、いいタイミングで現れてくれた訳。 わからなかった。わからなかったけど、逆に聞くことができなかった。 私は期待してしまったのかもしれない。その期待が外れるのが嫌だったのかもしれない。
 早足で歩いていると、徐々に暖かくなってきた。 私が暖かくなるのと同様に、鶴田の手も暖かくなっていった。 その暖かさが、ちょっとだけうれしかった。



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