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アッシュの胸元で存在を主張する瑠璃色の羽根を見るたび、むかむかする。ちょっとばっかり先に生まれたからって、兄貴面するんじゃねぇや。困った顔した説教なんて、とうの昔に聞きあきた。確かに、怪我させたのは悪かったと思うさ。でもあれは、オレだけのせいじゃねーよ。なんであんな朝早く、鶏小屋にばーさんが来るんだよ! 運だよ運、運が悪かったんだ。
なのに、オヤジのあのせりふ! 『実の息子より甥の方が』だって? 村長なんてハナから興味なんてねぇけど。バカいってんじゃねーや、オレのどこが劣ってるって? 喧嘩はオレの方がずっと強い。そりゃ、学校の成績はずっとずっと悪いけど、大人に取り入ってばっかりのアッシュなんて目じゃないさ。
いいさ、証明してやる。禁域へ行って、あいつなんかよりずっとすごいものを手に入れてやる。綺麗な花なんかつまんねぇ。鳥の羽根なんて拾えるもんじゃおもしろくない。
そうだ、『黒いけもの』だ。へなちょこな大人達がみんなして怖がる、禁域の主。ヤツを倒せば証明できる。
オレが一番だって事を。
*
部屋を抜け出すのなんて朝飯前さ。シーツをつないで一方を机の脚に結びつけて、もう一方を窓からたらせば、準備完了。地面まではちょっと足りないけど、そんなの飛び降りれば済むことだ。わけねーや。
窓を開けてのぞき込む。日はまだ昇ってなくて薄暗い裏庭には、誰の気配もしなかった。使用人が起きてくるのももう少し先だ。
先に荷袋を下に落とした。ねらった植木がばりっと音を立てたけど、誰も起きてはこなかった。ひょいっと窓をまたいでシーツにぶらさがり端までたどり着くと、軽く壁を蹴って手を離す。すとんと着地。うん。満点。荷袋をひっぱり出して肩にかついで、悠々オレは歩き始めた。目指すは北。里山の向こうに広がる、禁域。
里山は、村の中心を抜けて畑を突っ切った先にあった。朝飯代わりに真っ赤なトマトとぶっといキュウリをもぎ取って、伸びきったトウモロコシの畑を過ぎれば、すぐそこだ。
と、誰かいる。柵に置かれたように腰掛けて、荷物に背負われているようなチビすけ、なまっちろい肌に、ふわふわ浮いた髪の下の不安そうな目。なんだ……サンカだけか。
「イサキ! きっと来ると思ったんだ」
ぴょんと荷物が揺れて、前につんのめった。……何やってるんだ。
「荷物。引っかかってる」
「あ。うん」
よいしょとかけ声でもかけそうに荷物を背負いなおすと、ちょこちょこそばまでやってきた。下から見上げる姿は、まるで荷物の甲羅を背負った亀だ。
「なんだよ、その荷物」
「僕も行く」
「……誰に聞いた?」
「アッシュが村長候補になるってみんな言ってたから、来るって思った」
「関係ねぇよ」
「僕、アッシュは好きじゃない。イサキと行きたい。それに、怪我させちゃったのはイサキだけじゃないもの」
まじまじとサンカを見返す。こんな時に冗談を言うようなヤツじゃない。いつもへらへら笑って、子分達の一番後ろをついてくるしかできないのに。オレが言うこといちいち聞いて、逆らったことなんてなかったのに。
唯一オレのことをまっすぐ見つめる目が、多分初めて、本気だと言ってる。
「……好きにしろ」
どん。サンカをどかして、入り口をくぐった。荷馬車が抜けられない踏みわけ道が木の間をぬってのびている。
「……ついてく」
軽い足音がついてきた。オレの早さに合わせるように少し小走りで。
ふん。どうせ滝につく前に根を上げるだろ。
踏みわけ道を半刻くらいみちなりに、オレのペースでのぼった。終点は、両手でつかめそうな水が屋根くらいの高さから落ちるだけの滝。対岸はがけになっていてのぼれない。この先の道は子供の言いつたえの中にある。オレはアッシュから聞いていた。
「……ちょっと戻って、椿の木の脇を抜けて、細い道を辿って、倒れた木をわたって……、だよ、ね?」
ぜーぜーはーはー。今にも滝に飛び込みたそうな顔して、サンカが言った。こいつ、ついてきた。もっとも、ちょいと足でも引っかければそのまま起きあがれなさそうだけど。
オレはまだまだ平気だった。こんな山、たいしたことないし。けど。滝のそばの乾いてる地面に座り込んだ。ほっとした顔で、サンカも荷物を下ろした。ここまでこれたんだ、連れて行ってもどうにかなるだろ。
サンカは座るなり、荷物から水袋を取り出した。こぼしながら一息にあおる。あーあ。みてらんねぇや。さっき取ったキュウリと小さい包みを取り出して、ほいっとサンカに投げてやった。気づいたくせにつかめずに、キュウリと袋を地面から拾った。
「岩塩。……水だけじゃばてるだろ」
「……うん!」
嬉しそうな顔してキュウリにかぶりつくのをみて、オレもトマトにかじりついた。
――細いけもの道をたどって峠に出ると、空気の壁があるんだ。
空気の壁? わけわかんねぇ。
――その向こうが禁域。恐ろしいけものがたくさんいる場所なんだ。
恐ろしいけものってなんだ、狼か? そんなもの、里山にだっているじゃないか。
――人を刺す木、夜に飛ぶ鳥、闇の底からわき上がってくるけもの……。
なんだよそれ。木なんかに刺されてたまるか。鳥は夜は寝るもんだ。わいてくる動物がいるわけねーだろ!
禁域の体験談。話していたのはアッシュ。……話が本当なら、もうそろそろのはずだ。
木の幹と幹の間が明るくなってきた。峠の頂上だ。嘘じゃなければあそこには『壁』があるはずだ。残りの数歩を駆け足でのぼると、後ろの足音はついてこない。川を越えてから一刻くらい山を登った。結構ゆっくり歩いたから、その分時間がかかっちまったけど、まぁ、どうにかなるだろ。オレはまだ全然つらくないし、もう禁域は目の前だ。
濃い緑のつんつんとがった絨毯みたいな森の頭が見えてきた。ほらこれで峠だ。最後の一歩をひなたの上にふみだした。
なんだ、これ。水の中みたいにまとわりつく。けど、冷たくない。息はできる。わたあめを飲み込むみたいだけど。ぶるり。なんだ、寒くなんかない、のに。
「空気が、壁に、なってる、みたい。これが……」
声が震えてるぞ。……なんだよこんなの。そりゃちょっとは驚いたけど、なんてこたない森じゃんか。ちょっと変わってるけど普通の木。見たことないけど単なる草。土も同じ。あんな話、嘘っぱちに決まってら! 木も鳥も聞いた話全部確かめて、そして『黒いけもの』。そいつをオレはしとめに来たんだ!
「イサキ、待って! うわっ」
げほげほげほ。なんだ、咳?
「……おい」
「大丈夫。ちょっと、むせただけ」
そうか。サンカは喉が弱かったっけ。立ち止まって振り返ると、小さなオレの荷物を揺らしながらとたとたサンカが追いついてきた。そんなにつらいのか? 口をきゅっと結んで、まじめな顔してる。ちょっと引っ張られる感じがして、見下ろすとサンカが上着の裾を握っていた。手が、少し震えてる?
オレは気づかないふりして……もうちょっとだけ、ゆっくり歩くことにした。
「ごめんね。いきなり、空気が違うから、びっくり、しちゃった」
それだけじゃないだろ。思ったけど言うのはやめた。……それでもここまでついてきた。
「だまってろよ。いくぞ」
「う、うん」
歩き出すと、サンカも黙ってついてきた。オレにぴったりくっついて、なのにきょろきょろ首だけあちこち動かして。
『壁』から続く道は細くなってずっと奥まで続いていた。森の木は細く高くなって、根っこが地面の上にまで出ていた。その代わりか茂みは少なくなっていて、森はずっと奥まで見えていた。
このどこかにあいつがいる。いつ会える? 襲ってくるのか? 見つけることができるか? いや、しとめるまで帰らねぇ。
「あ、木の実」
うわ、いきなりしゃがむな! せめて上着を放せ! こけるじゃないか。
「サンカ!」
「あ、ごめん。ほら、ジャックの木の実」
「ふん。そんなのどうだっていいさ。いくぞ」
「待って!」
いったん上着を放したのに、小走りで近づいてきてまた掴んだ。相変わらずきょろきょろ周りを見てる。ちょっと邪魔。
「ここ、空気濃いよね。冷たいし。さっきは、突然だったから、びっくりしちゃって。……森が、すごく大きいよね。んでさ、木が違うよ、気づいた!? 空もさ、すっごく、青いね。なんで、だろう。壁のせい、なのかなぁ?」
どうでもいいよ、そんなこと。何でかなんてわかんないし。さっきまでぶるぶる震えてたのに、なんだこの変わりようは。
「黙ってろよ」
「うるさ、かった?」
別にうるさいわけじゃねぇけど。
「息が切れてんだろ」
「うん、でも、すごいと思わない? あ、ほら、綺麗な、鳥!」
サンカがぱっと指さした先、すきまからこぼれた光の中に、空のカケラが落ちたみたいな瑠璃色の羽根の鳥がいた。たった一羽、高い声で歌ってる。あれは、アッシュの羽根と同じ鳥。
――すごいだろ? こんな羽根見たことがない!
――オレも行きたい!
――イサキがもう少し大きくなったら、いっしょに行こう。
信じたオレがバカだった。……あいつなんかと同じ事はしたくない。オレは『黒いけもの』をしとめるんだ!!
「いくぞ。先は長いんだ」
「あ、待ってよー」
横から伸びてくる枝、まとわりつく草。オレの邪魔をするんじゃねぇ!
「ねー、イサキ」
「なんだよ」
「枝打ちナイフ。持ってきた」
がさごそオレが背負った荷物を背伸びして引っかき回して、取り出したのは大ぶりのナイフ。気が利くじゃん。
「……さんきゅ」
嬉しそうに笑った。
「おいてくぞー」
「今行くー」
ぱっと立ち上がったサンカが、ちょこちょこ小走りで追いついてきた。子供の手みたいな葉っぱの青臭い草を手に持って。なんだそれ、見たことない。
「これ! 疲れ取れるんだって。本物は初めて見た」
汁がもりあがる切り口を、言われるままにくわえてみる。うへ。なんだこりゃ。
「苦いー。でも、身体によさそう?」
言ってろ。オレはイチ抜けた!
あーあ。太陽はずいぶん高くなったってのに、けもののケの字もありゃしねぇ。刺す木もねぇし、鳥は普通に飛んでやがる。動物だって、里山で見るのと一緒で……つまんねぇ。
サンカは上着を放してあっちこっちしゃがんだり見上げたり。一体何が楽しんだ。
ちょっと変わった木があって、ちょっと見かけない草があって、ちょっと空気が冷たくて。それだけじゃないか。『恐ろしいけもの』なんかいやしない。なーんだ。拍子抜けだ。それならリスでも捕まえて、家で飼うってのもおもしろそうだ。落ちてる羽根を拾うより、生きて捕まえる方が大変だしな!
ほらちょうど、見上げた枝にちょろちょろ動くリスがいた。足下の小枝を拾って投げてみる。ちちち。驚いたリスは逃げてった。
「だめだよ、そんなことしちゃあ!」
「なんだよ。ちょっと脅かしたぐらい」
がさり。ん? なんか音がしたか? きゅっと上着が引かれた。おびえた目で、サンカがオレを見上げる。
「伏せろ!」
なんだ!? 反射的にサンカの上着をひっつかんで地面に伏せた。
見上げた先、オレの上を過ぎてく影。……鋭い牙。しなやかな身体。太い後ろ足。大きな爪。一つ一つが目に焼き付く。なんだ、こいつは。見たこともない漆黒のけもの。熊のように大きくて、狼よりもしなやかで。優雅におびえることもなく。
ぞくり。背筋が凍る。青いそいつの目と……合った。
「黒い、けものだ……」
「あれが?」
けものは茂みに飛び込んだ。けものを追って、なにかが一筋あとを追った。オレはただ、それを見ていた。
すーはー音が聞こえてきた。ようやく息が吸えた音……音を立ててるのはオレだった。
「なんだ、肝試しか?」
え? なんだ? 音もなく降ってきた影がオレたちを見下ろした。熊のような大男。擦り切れかけたシャツの上に、使い込みすぎてよれよれになった革のベスト。腰にも革を巻いて、大きなナイフをさしてる。靴は藁? 背中の大きな弓はさっきけものを追ってったもの?
「あぶなかったな。ほれ、立てるか?」
うへ、離せ! 人の首捕まえて、猫のこみたいに引きずり上げるな!
「なにすんだよ!」
「ふん。元気だな。こっちの坊主は……そうでもないか」
持ち上げられて放り出されて、サンカはぺたんと座り込んだ。なんだよ、あれくらい。
「あぶなかったってどういう意味だよ」
「俺が来なかったら、お前ら食われてたぜ。そういう意味だ」
「あいつ、僕らを食べるの!?」
「あぁ、人間は好物だからな。それにちょうど、三日前から絶食中だ」
何が楽しいんだ、にやりと笑って、俺が追っていたからなと続ける。ぶるりと一度オレはふるえた。怖いんじゃねぇぞ、嬉しいんだ。あれが禁域の主……上等じゃねーか。あいつをしとめりゃ、オレは英雄だ。ぎゅっとナイフを握り直した。
「俺はハザルだ。お前らは?」
「僕はサンカ。こっちはイサキ……イサキ」
あの茂みだ。まだ枝がちょっとゆれてる。
「サンカ、イサキ、送ってくぜ。もう充分だろ……村に帰るんだ」
「イヤだ!」
冗談じゃない。やっとあいつを見つけたのに! 俺は絶対、ヤツを倒してやるんだ!
「イサキ!」
「あ、おい、待て!」
捕まってたまるか。荷物もいらねぇ。あいつを追う、それだけだ! 邪魔する枝は全部折って、転がる石は蹴飛ばして、立ちふさがる木だって倒してやる! 待ってろ。今オレが行ってやる!
ち。全然みつからねぇ。行っても行っても木ばっかりで、あいつのしっぽの先すらみえねぇ。さすが主だ。簡単じゃねぇや。
おっとあぶねぇ。木の根が張ってる。さすがのオレもちょっと疲れた。少し休むか。……あぁ、水筒も干し肉も全部おいてきたっけ。
見覚えのある草をなんとなくくわえて、脇の木にどんとよりかかった。やっぱり苦い……けど、うまい。あぁそうか。喉が渇いているんだ。ずるずる腰を落としてそのまま上を見上げたら、幾本もの枝の隙間に空があった。青くどこまでも高い空。吹き抜けた風は、涼しくどこか青臭く、優しい葉擦れの音がした。
恐ろしいけものがたくさんいて迷い込んだ人間はみんな食われちまう。そう聞いてた。けど、本当はどうだ? アッシュもジャックもなんともないし、僕らも別に何ともない。黒いけものはいたけど、恐ろしいだけのものにはみえなかった。死んだヤツも、禁域に入ったまま消えちまったヤツもいるって聞いてたけど、そんなの単なる脅しじゃねぇのか? 大人達がオレ達をこさせないようにするための。……サンカは信じてたみたいだけど。
それに、ハザル。あいつがいる。あんなヤツ、村で見たことなんかない。人が生きられない場所、そう、聞いてたのに。
ん? あれ? 風が変わった。ほんの少しなま暖かくて、妙なにおいをのせている。あんまり嗅がないにおい。けど知ってるにおい。どこだ、これは。そんなに遠くない。その茂みの向こうか? それともでかい木のうら?
枝を折って覗いた先。探すまでもなく見つかった。それは……動物の死体。
「イーサーキ!」
サンカの声。だめだ、来るな。こんなの見たら倒れちまう。裂かれた腹から飛び出たものがでれんとたれて、半分かみちぎられている。まだわずかに湯気がたってて、できたてほやほやだっていっていた。……吐いてたまるか。ごくりとオレは飲み下した。
「いた! もう帰ろう。いいじゃん、羽根だって、木の実だって。あんなの捕まえるなんてムリだよ!」
「見るな」
「え?」
いいから来いよ。サンカの腕を引きよせた。
「どうしたー?」
野太い声、山みたいな巨体がオレの横を過ぎていく。
「なに、どうしたの? 何があるの?」
あ、おい、待てよ! オレの手をひょいっと振り切って、ハザルの脇からのぞき込んだ。
「なに、これ」
慌てて口元を押さえる手にすっかり血の気の引いた顔。だから言ったのに。
「その辺で休んでろよ」
うなずくサンカに風上を指してやる。ちょっと休めば治るだろ。オレがあいつをさがすくらい。
「お前ら、帰るぞ」
なんだこいつ、びびったのか? まじめな顔で見下ろして。
「まだあいつを見つけてない」
「やめろ。あいつはお前じゃ手に負えんよ」
「わかんねぇだろ」
「わかるさ。何年あいつを追ってるとおもってんだ。ほら立て」
まだ青い顔するサンカを無理矢理立たせる。言いなりになってんじゃねーよ。
「オレは帰らない」
「……バカが。行くぞ」
「オレはっ!」
腕を離せ! 引きずるな! ちくしょう、こいつびくともしねぇ。
がさり。後ろから聞こえた。なんだ? まさかあいつ、か?
「ちっ」
「うわっ。何す……、!!」
黒い影と朱いしぶきが目の端を過ぎてった。影は少し先で立ち止まり、青い目がオレたちへと向けられる。しなやかな右前足を染める、それは。
「うわぁっ!」
「イサキ!?」
オレの、血。
「どけっ」
なんだ、あれは。飛んでくる矢をひょいひょい避けて、俺たちをずっと見ている。オレたちを、オレを……待ってる?
「イサキ、血がすごい出てる!」
「どけよ」
「だめだよ、動いちゃ」
邪魔だ、どけ! サンカをどかして立ち上がる。くらり。なんだ、地面が揺れる。……いや、大丈夫だ。なんともない。あいつを追える。腰にさしたナイフを取った。両手で持とうとしたけど、左手があがらない。
いいさ。だいじょうぶ。きっといける。
「やめろ、おい!」
踏み出したオレに、あいつはこっちへ向きなおった。ハザルが出てあいつの青い目が見えなくなる。
「サンカ!」
「イサキ、だめだよ、死んじゃうよ!」
放せよ、サンカ。あいつはオレのえものだ。一歩踏み出せば青い目がオレを捉えている。 ほら、あいつはオレを待っている。ナイフを握る。あいつに向かって一歩踏み出す。
なんだ、周りが暗い。暗い中で、あいつの目だけ鮮やかに見える。深い青いあいつの目、暗い中でそこだけ鮮やかな……瑠璃。
――何をしたのかわかってるのか?
声が聞こえた。アッシュの声で。オヤジの声で。
――お前は所詮、その程度か。
――そんなんじゃ誰もついてこないよ。
嘘だ、そんなことはない! オレは誰より強いんだ。アッシュにもオヤジにも必ず認めさせてやる!
瑠璃が近づく。一歩、二歩、巨体の脇をすり抜けて……風のように。
くる! オレを狙って……違う!
「サンカ!?」
「え?」
「やめろ!」
サンカには手を出すんじゃねぇ! たった一人、サンカは、オレの……!
のばしたナイフのその先を、黒い風がかけぬけた。目の前が暗い。足に力が入らない。あいつはどこだ? サンカは!?
「サンカ!」
ばしゃり。遠くで聞こえた水の音。たすんと軽い音がして、地面を蹴ってく音がした。
サンカは無事か? あいつは、ハザルは? オレは……オレはなにもできなかった。
「イサキ、イサキぃ」
「大丈夫だから、泣くな、ほら。男だろう?」
なんだ、サンカか? なに泣いてんだ? 怪我か? 平気か? あれ、腕が動かない。
「僕、僕、何も……何もできなかった」
「んなこたねーだろ。あいつを追っ払ったし、薬草、包帯。よくまぁこんだけ抱えてきたもんだ。血も止まったし、たいしたことにゃぁならねーよ」
あぁそうか。だからあんなに重かったのか。いっとくけどオレだぜ、あれを運んだのは。
「また来たらどうするの!? 僕たち食べられちゃうの!?」
「こねぇよ。あいつは遊びと本気の境を知ってる。それに、あんなもん浴びせられちゃぁな。二、三日はおとなしくしてるさ」
あれで遊びなのか? 俺たちは遊ばれただけなのか?
「くやしい」
生暖かいものがこめかみを流れた。濃い土の匂い、どこかから匂ってくる鉄臭さ、どれもこれもがオレが負けたと言ってる。
「起きたのか。動け……ないな、まだ。……おぶっていくか。サンカ、手伝え」
「うん」
だるい身体をどうにか持ち上げた。ハザルのでかい背に、おとなしく背負われた。広くて大きな、暖かい背中。……こんなふうにおぶさるなんて、一体何年ぶりだろう。
「傷はのこっちまうと思うが、まぁ、勲章だとおもえや。アイツと会って、生きてるヤツの方が少ないんだ。めっけもんだと思え」
オレはどれだけ眠っていたんだろう。暗い森の中、どこまでも高い木の葉の向こうに、白い冷たい月が出てた。あんなに遠い。
「ハザルはどうしてあいつを追ってるの?」
サンカは自分の、まだ十分大きな荷物を背負って、少し後からついてきていた。少しだけ息を切らして、けど、怪我もなく自分の足で泣き言も言わずに。
「そうだなぁ。かたきってやつかな」
「かたき?」
「昔な、大事な友達を亡くしたんだ。アイツにやられた。一番の、親友だった」
「それからずっと?」
「まぁ、な。帰れる気になれなくてな……森の向こうには小さな集落があってな。そこに住み着いたんだ」
ハザルはそんな思い出話をし続けた。オレは寝たふりして何となくそれを聞いていた。
夜の森は所々に落ちる月の光の他は何も見えなくて、どこまでも広く、深く……背負われたオレはとてつもなく小さかった。
ゆっくりゆっくり歩いて、オレは何度か気を失ったらしかった。最後に気づいた時には、東が明るくなり始めていた。森はもう途切れる寸前で、見慣れた広い葉の低い木がそこらじゅうにはえていた。
「ほら、村だ。こっから先は二人で帰れ」
とんと尻に硬いものがあたった。里山の入り口の木の柵だ。オレたちは帰ってきた。あいつのいない、オレたちの村へ。
「ハザルは?」
「……俺はまだ、帰れねぇんだ」
やめろ、柵から落ちるだろ。がしがしオレとサンカの頭を撫でて、ハザルは山に戻っていった。まるで逃げるように。
「イサキ、かえろ。きっとみんな心配してる」
サンカがオレの手を取った。冷たい手。違うオレが熱いんだ。腕の傷のせいだ。泣き言を言うのも、熱の、せいだ。
「サンカは……」
「なに?」
「オレがイヤじゃないのか?」
――アッシュには勉強がある。いつまでもまとわりつくな。
――ごめん、イサキ。忙しいんだ。
――だめだ、あの悪ガキは。
――もうイサキとは遊ぶなって。
いくつもの言葉が回る。オレとの約束より、勉強を優先したアッシュ。オレを見もしないオヤジ。なんとなく避け始めた子分たち。
みんなわかってると思ってた。ついてくると思ってた。けど、来たのはサンカだけだった。みんな、アッシュを選んだんだ。……認めたくなんか、なかった。
「どうして? アッシュは僕を仲間にも入れてくれない。僕が倒れると困るんだ」
「オレ、は……」
「イサキは待っててくれた。ちょっとだけゆっくり歩いてくれた。だから、僕、ガンバロウと思った。……倒れなかったでしょ」
えへへ。サンカはそう言って、笑った。
「かえろ、イサキ」
今日最初の光が、オレたちを照らした。
*
家を見たとたん、オレは気を失った。気づくと自分のベッドの上で、目のしたにクマを作ったオヤジたちにさんざんに叱られた。オヤジたちが出て行くと、真っ赤な目をしたアッシュにこれでもかってほどイヤミを言われた。胸元の青い羽根までしょげかえって見えて、心配してくれたんだと、思えた。
それが終わると今度は、子分ちが入れ替わり立ち替わり見舞いに来た。来て傷を見て、オレを英雄だと褒め称えた。……オレはもう、すっかり飽き飽きしていた。
オレはあれからいたずらをやめた。怪我したばあさんにも謝りに行った。ばあさんはまだちょっと足を引きずりながら、『命を粗末にするんじゃないよ』とつぶやいた。
「イーサーキー、行こうよー!」
「今行くー!」
タオルと木でできた剣を持って、オレは階段を駆け下りた。勝手口を飛び出すと、真っ黒に日焼けしたサンカが、オレを待っていた。
「今日こそイサキから一点取るもんね!」
「させるか!」
オレたちは村の守衛に剣を習っていた。終わるとあのばあさんの家に行って、薬草のことも教わっていた。
里山にも頻繁に出かけた。踏みわけ道を外れて、誰も行かないようなとこにもいったりした。今まで気づかなかったけど、禁域にあった木の実がちょっとだけ落ちていたり、時々あの鳥が飛んできたりしていた。そんなとき、オレたちは顔を見合わせて、笑った。
「イサキ、それ、あつくない?」
並んで守衛所へ向かう途中、サンカがオレの長袖を引いた。
「そりゃ、あついよ。けどさ」
うん。サンカは一つ頷いた。言わなくてもわかってくれる。それがオレには心地よかった。
……オレは英雄なんかじゃ、ないから。
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