(少たち)没稿

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没稿 <前>

 −−コホン。

 わずかな咳払いとともに神父が説教台へ向かう。会堂内はそれを合図に潮が引くように静まった。おもむろに聖書を広げてページを繰る。紙をめくる音が響き、神父が口を開く。

 −−コン。

 声のかわりに異音が響いた。

 村人達の視線が一点に集まり、ひそやかなざわめきが生まれた。何ごとかと神父は開きかけた口を閉じ、人々の視線を追って振り返る。説教台の後に置かれたメルシア神像。ゆったりした衣装の彫り込まれた下半身、宝玉を持つ手、がっしりと安定した肩の上に立体感のない頭がのっていた。おそらくは、神父の似顔絵。恐ろしく下手な。

「な……!?」

 目をむく神父に、会堂はいっそうざわめきを増した。中には吹き出す声さえ聞こえる。

「誰だ!?」

 会堂へ集う村人達へ神父は真っ赤な顔で振り返った。驚き、怒り、笑い、憂い、様々な感情が渦巻く中に、ただ二人、得意そうな顔をした少年達がいた。会堂の最前列、身形の良い紳士、婦人に挟まれて座る小柄な少年と、会堂の一番端、少し他の人より離れた場所に一人で座る背の高い少年。村中の誰もが知っているその二人。

「サンカ! イサキ! お前達か!?」

 −−カタ。……コン、カン。コトン。

 重い袖を振り上げて二人を指さした神父の背後で、再び異音がした。しかしざわめきに紛れ、その音を聞いたものは神父以外にはいなかった。会堂の人々の目には、支えの弱かったらしい『頭』が静かに落ちるのが見えただけだった。

「何かの間違いでしょう」

 会堂を制するように落ち着き払った男の声が響いた。しかし神父は声の主を確かめることはせず、再び神像へとふりかえった。

「父さん、オレ……」

「サンカは黙っていなさい」

 甲高い子供の声は続く男の声に遮られた。

 身形の良い男−−村長は立ち上がると会堂中をぐるりとみまわした。まだ年若い実力者の視線にざわめきが引いていく。追い打ちをかけるように村長は言葉を続けた。

「神学校入学も決まっているお前が、そんなことをするはずがない。そうだな」

「父さん!」

「帰るぞ」

 抗議も聞かず、村長は子供−−サンカの腕を引き出口へ向かう。扉を開け放つと思わぬ冷たい風に顔をしかめ、そのまま会堂を出ていった。村長の妻がその後に続き、使用人らしい数人の男女が慌てて飛び出していった。完全に二人が見えなくなると、会堂は再びざわめきに支配された。村長の退場にも気付かない様子の神父に、一人、また一人と退場していく。半刻もしないうちに、背の高い少年−−イサキと神父だけが会堂に残された。

 やがて静かに神父は振り返った。その腕に神像の持っていた宝玉を抱いて。がらんとした会堂、その中にただ一人じっとしている少年に気付くと、青い顔のままで口を開いた。

「イサキ。お父さんは家にいるか?」

「うん。昨日帰ってきたばかりだから」

「呼んできてくれないか」

「いいの?」

「大切な話があるんだ」

「わかった」

 イサキは身軽に立ち上がった。扉へ駆け寄るとふと神父を振り返った。

「神父様。サンカは学校へ行ってしまうの?」

「それは私が決めることではないよ」

 イサキはわずかにため息を漏らすと、異様に冷たい空気の中へ出て行った。

 神父は宝玉に目を落とした。宝玉には一見しただけでは気付かないほど小さな傷ができていた。


「手、離してよ!」

「おい、帰ったぞ」

 サンカは思い切り腕をふったが、父親の手はがっしりとサンカの手を押さえ込み、びくともしなかった。さらには用心のつもりか、母親がぴったりとサンカの横につく。父親には多少の事をしても大丈夫と思っていたが、母親へ乱暴をふるうわけにもいかず、サンカの行動は自然と制限された。

 父親の開けた扉からは、生ぬるい風が流れてきた。家の中に連れ込まれてなるものかと、サンカはさらに腕を引く。しかし、やはり父親には通じなかった。

「はい、ただいまっ」

 声は背後から聞こえた。息を切らせた女中が、サンカの横を過ぎていく。会堂へは村中のほとんどの人が集っていた。突然の主人の帰宅にさぞや慌てただろうと、父親の横顔を睨みながらサンカは思う。

 サンカの腕は追いついた屈強な下男に渡された。落ち着いて暖を取ろうと居間へ入る両親のもとへそのまま運ばれる。

「お茶を頼むわ。ジンジャーがいいかしら」

「かしこまりましたっ!」

 おっとりと婦人が言いつけた。女中達はあるものは台所へ、あるものは燃料を取りに、上着を脱ぐ間もなく走り回る。

「父さん、もう良いでしょ……?」

 サンカは部屋に入るついでに、椅子にまで座らされた。まるで荷物のように。役目を終えた下男はサンカが観念したらしいことを見て、そのまま自らの仕事を片づけに行った。

 すっかり大人しくなった息子を見て、村長は満足げに頷いた。婦人までもほっとしたように微笑む。

「お前は賢い。神学校に入りさえすれば、きっと位の高い神官になれる」

「あんなことしたんだよ、オレは悪い子なんだ。学校にだって行けない。そうでしょ?」

「いや。お前は何もしてない。アレはイサキが一人でやったことだ」

「オレは……!」

「猟師のこせがれが教会への嫌がらせでやった。ありそうな話じゃないか」

「イサキはそんなことしない」

「そんなことは関係ない。いいか、サンカ。お前はやっていない。いたずらなんてしたこともない。今までも、これからも、神学校に入るまで。いいな」

 かちゃりと居間の戸が開いた。トレイに暖かい香りを漂わせる茶を載せて、女中が入ってくる。暖炉の火は十分に行き渡り、部屋もほどよく暖まり始めていた。女中はお茶を注ぎ始める。あたりに紅茶の香りが広がった。

「今まで、も?」

 サンカは驚いたように目を見開いた。父親の顔を呆然と見つめる。幾つもの記憶がよぎった。あぜ道の落とし穴、壁の落書き、祭りの屋台へ仕掛けた花火。犯人の挙がらなかったいたずらの数々。

「ほら、お茶が冷めてしまうわ。暖かいうちに頂きましょう」

 お茶を注ぎ終えた女中が静かに下がった。

 母親の声、カップから立ち上る暖かい湯気、サンカはそれらを無感動に見聞きする。

「これからも、だ」

 父親である村長の目はサンカを見ず、茶菓子とカップに注がれていた。満足げに笑み、ほどよく暖められたカップをゆったりと取り上げる。

「オレ……神官になんてならない!」

「サンカ!」

 サンカはぱっと椅子から立ち上がった。そのまま扉の前に控える女中を押しのけ、居間を出る。廊下を走って玄関を押し開けると、先ほどよりもさらに冷たい空気の中へ飛び込んだ。

 視線が集まる。通りにいた日常を再開しようとしている村人達のひそやかだが無遠慮な視線を感じ、サンカは立ち止まった。子分然とサンカの下に集っていた子供達の視線すら、ひややかなものに感じる。

「ぼっちゃん!」

 ほの暖かい空気とともに、声が降ってきた。屋敷で一番体格の良い下男の声だった。サンカはうつむき走り出した。勢いのままに飛び出したから、どこへ行こうかなど考えていなかった。ただ、捕まらないよう、精一杯に走り続ける。

 通りを駆け抜け、角を曲がり、立ち話する女達をかきわけ、畑のあぜ道に出る。トマト畑をつっきり、果樹園を通過し、収穫し終えた麦畑を横断する。やがてサンカはよく知った道に出ていた。道の先には小屋が一軒立っているはずだった。サンカの家の物置ほどしかない、犬小屋かと思えるほど粗末な小屋が。

「ぼっちゃんっ! 待ってください!」

 ナスの畑の角を曲がり小屋が見えたところで、ついにサンカは下男に腕を捕まれた。

「さぁ、帰りましょう」

「いやだ!」

 サンカは腕をふりほどこうと暴れた。下男は迷惑そうな顔をしただけで、サンカの腰を抱え上げた。

「イサキ! いるだろ、イサキっ!」

 下男は来た道を引き返し始めた。サンカは残る力を振り絞って小屋の住人を呼んだが、その扉はぴくりとも動かなかった。ナス畑を通り過ぎどうあっても声の届かない距離まできて、サンカはようやく口を閉じた。サンカの目の前をあぜ道が過ぎていく。目頭に熱いものを感じて、唇をかむ。

 幾つもの足が視界をよぎり屋敷についたサンカは、下男に運ばれるままに自室に入った。室内には暖が入れられていた。上着も着ずに飛び出したサンカにはちょうど良い温度で……かえって居心地が悪かった。サンカはドアの前に座り込んだ。うずくまり顔を伏せる。様子を見に来た女中も父も母も全て拒絶した。予想外の訪問者が現れるまで。

 屋敷の中で聞いたことのない足音に、サンカは顔を上げた。音は一つで、ただ一人で歩いているようだった。やがて足音はサンカの部屋の前で止まった。遠慮がちに扉が叩かれ、声が続く。

「サンカ、いるのか?」

 静かに通る声。聞き覚えのあるそれにサンカはそっと扉を引く。わずかな隙間から廊下を覗いた。いつもとは違う簡易な装束を身にまとい、足下は引きずるローブではなく、編み上げ靴をはいていた。旅装の神父がそこにいた。

「神父様?」

「すこし、話せるかね」

 サンカは少し悩み、頷いてドアを開けた。わずかに冷たい空気が混じり、神父が部屋へ入ってくる。神父はドアを閉めただけで、椅子に腰掛けようとはしなかった。

「なぜあんな事をしたのかい?」

 サンカはじっと神父を見つめた。神父は怒っている風ではなく、むしろ悲しげですらあった。

「みんな驚くと思った」

 サンカはうつむき答えた。そこまでは計画通りだった。絵が落ちてしまったのは失敗だったけれど、そもそもの目的は達していた。そして、もう一つの目的も達するはずだった。父親があんな事さえ言わなければ。

「叱られるとは思わなかったのかい?」

「別に」

「学校へ行かれなくなってしまうかもしれないのに」

「行きたくない、から」

「イサキも……」

「オレにつきあっただけ!」

 ぱっとサンカは顔を上げた。少し驚いたように神父はサンカを見つめた。

 本当の所を言えば、それは嘘だった。けれど、サンカにとっては真実も同じだった。イサキ一人でいたずらをする意味などどこにもなく、そして、イサキはそんな少年ではなかった。

「……君たちは、良い友達だね」

「え?」

 サンカは問うように神父を見つめたが、神父は答えなかった。かわりに腰に付けた水袋を取り、サンカへ差し出した。

「イサキは北山へ向かった。お前はどうする?」

「それは、お仕置きなの?」

 神父は曖昧に笑んだ。サンカはにやりと笑み、水袋を受け取った。仕置きだとしたら望むところで、そうでないとすれば何か意味があるのだろうと考えた。差し出された水袋は、持って行けということ。

 サンカはひらりと神父の脇をすり抜けた。廊下を走り、階段を駆け下りる。すれ違った下男が声を上げたが、振り返らない。玄関を出て、冷たい空気の中に割って入る。下男に父親に捕まらないよう、まっすぐに北を目指した。


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