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01 rev.2

 焦げ臭さとどこかしらの生臭さを乗せて、低い雲の隙間から陽が上り始めていた。 長い夜がようやく終わろうとしていた。 夢ならばいつかは終わり、目覚めればいつも通りの朝が始まる。 そう願いながら走り続けた。けれど、希望は希望でしかなかった。 焼けた村は焼けた村のまま、そこにあるだけだった。

 ぽつり。冷たい滴が頬をぬらした。仰ぎ見た空は鉛色に重くのしかかり、わずかな朝日をすっかり遮ってしまっていた。 次々落ち来る滴を見ながら、ルーアは途方にくれているのだと気づいた。

 雨に混じって一筋冷たい風が吹き抜けた。ルーアは無意識のうちに上着の前をかき合わせた。 今年は早く雪が降るかもしれない、冬の支度をしなくちゃ。ぼんやりと思った。 無意識のまま、ルーアは一歩足を出した。惰性のように次の足が出た。二歩、三歩と進んでいった。 すでに足は棒のようで、歩いている感覚は無かった。それでも、進むことはできた。

「あ。」

 足が何かにひっかかって、そのまま地面に手をついた。地面は煤で黒ずんで見え、そしてどこか柔らかかった。 引っかかった何かを振り返った。そして、やるべきことを思いついた。

 それは、ものいわぬ人だった。

 通りまで出てきた人は僅かだっただろう。しかし、家の中には。瓦礫の下には。

「埋めてあげなきゃ。」

 スコップを持ってこよう。思いついてルーアは再び歩き始めた。


 まず聞こえたのは剣戟だった。二度三度と堅い音が響き、水を蹴る音も混じり始めた。 剣を持つ一方は袖のないシャツを着ただけの少年。他方はなめした革の外套を着込んだ青年。 ルーアの知っている顔ではなかった。

 水を蹴り、少年が踏み込むと、わずかな動作で青年はそれを避けた。 青年が振り返るより早く、少年は体制を整え再び踏み込んだ。 薙ぐような剣を、青年はするりと後退してかわした。

 そこは村の中心、教会前の広場だった。ルーアは入り口で足を止めた。 降りしきる雨の音と、水を蹴るわずかな音。そして、時折響くだけの金属音。 静寂に似たその中へ入っていくことができなかった。

 少年の剣が青年を追う。ここぞと踏み込んだ少年の脇を青年はするりと抜けた。 剣は上着を引っかけて、浅く切り裂いた。 抜けざまにすいと無造作に剣をあげた。剣先には少年の首筋があった。 踏み込んだままの不安定な姿勢で少年は止まった。

「チェックメイト。」

 わずかに聞こえた声は、気のせいかと思えるほど余韻を持たず、雨に吸われて消えていった。 そこには感じられるような感情もなく、機械的な響きだけが、ルーアの耳に残った。 ルーアに背を向ける青年の表情は、わからない。

「やれよ。」

 すっと力を抜いたように、少年は地面に腰を落とした。剣を捨て、青年にむき直る。 地面に落ちた剣は、水音だけを残してすぐに見えなくなった。 剣先を首に当てられたまま、少年は命乞いをするわけでもなく、あきらめたようでもなかった。 ルーアに気づく様子もなく青年を見上げる目は、安堵さえ浮かんでいるようだった。

 また血が流れるのかしら。ぼんやりとルーアは思った。見たくないとどこかで考え、しかし、目をそらすことはできなかった。

 すいと二人の間に狼が割って入った。少年の背丈ほどもある、巨大な体躯。薄暗い中でもわかる、銀色の毛皮。 どこから現れたものか、音もなく歩み寄り少年へすり寄った。入れ替わるように腰を落ち着けると、まっすぐに青年を見上げた。 身動き一つせず、青年をじっと見つめた。

 ルーアは目を瞬いた。知っている。そう思った。なぜ、や、いつ、など考える間はなかった。 青年が剣先を狼に向け変えたのを見て、知らず飛び出していた。 殺さないで。幼い声が聞こえた気がした。

「やめてっ。」

 立てた足音は始めて生まれた騒音のようだった。ルーアはかばうように狼の首に飛びつくと、剣を持つ青年をにらんだ。 青年は薄い色の眸を瞬くと、あっけにとられたように剣をおろした。

「狼は関係ないんでしょう!?」

 きゅっと狼の首を強く抱いた。少年も青年もルーア自身も、腕の中の狼もずぶぬれだったが、毛皮を通して確かな熱を感じた。 わずかに伝わる鼓動は、生きている証だった。

「……どけよ!」

 青年は口を動かしていなかった。ルーアは首を巡らせた。腰を落としたままの少年が、厳しい表情でルーアを見つめていた。 狼は緩く首を振った。ルーアは意味を解さないまま、腕をほどいた。

「どうして。この子は……」

「おまえこそ、関係ない!」

 少年はルーアに二の句を継げさせなかった。言葉の意味を解しているかのように狼はその体躯でルーアを押した。 彼らの前から、邪魔者をどかすとでもいうように。 ルーアはあっけなくバランスを崩し、水たまりに尻餅を付いた。芯までぬれた衣服に、泥色の水玉が浮かんだ。 ルーアは狼を見つめた。体躯に似合った大きな目が、じっとルーアを見返していた。静かな目だった。

 どうして。ルーアは思った。つい数刻前、死にたくないと願った人たちが今は冷たい雨にさらされているというのに。

「……これ以上、血を流さないで。」

 じわりと視界が滲んだ。雨粒が入り込んだのか、ルーア自身にもわからなかった。 柔らかくなった地面に手をつき、ルーアは立ち上がった。袖で顔をぬぐったが、袖も顔もびっしょりで全く効果はなかった。

 かちゃり。金具の音を聞いてルーアは顔を上げた。青年が剣を収めていた。見上げた口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。

「ウィザ!」

「おまえの負けだ。」

「約束は……!」

「勝ったのは、俺。」

 焦ったような少年の言葉を、青年・ウィザはさらりと交わした。 少年・ヘルミの厳しい目も、じっと追うような狼のまなざしに対しても、肩をすくめて見せただけだった。 薄い笑みを浮かべたまま、ウィザはルーアへ向き直る。

「お嬢さん、何で戻ってきた?」

 まっすぐにのぞき込まれて、ルーアは目をそらした。休憩で止まった馬車から降り、そのまま戻らなかった。 このまま彼らと居たくはない、そう思ったのだが、うまく言葉にならなかった。

「王都へ向かっているはずじゃぁ……」

 ウィザは言葉を切った。視線がルーアから移動する。すぐ横で、低く狼が唸っていた。 遠く、王都の方角をにらんで。

「なんか、来る。」

 ヘルミの言葉とは裏腹に、ルーアには降りしきる雨とけぶる町並みが見えるばかりだった。

 何が見えるの、言おうとして言葉にならなかった。腕を引かれて、まろぶように走り出した。

「ヘルミ!」

 ウィザが背後を振り返り叫んだ。ルーアを背後にかばうように立ち止まる。 狼とヘルミは、その場を動いてはいなかった。

 ヘルミの視線の先、彼方に光の点が生まれた。点は見る間に大きくなっていった。 ルーアは雨が優しくなった気がして、空を見上げた。雲は変わらず重くのしかかるようだった。

「ヘルミ!」

「もう無理。見つかった。」

 ヘルミは光点…すでにそれは中の人影がわかるまでになっていた…を見据えたまま言った。 すっと腰を落とし地面に手をかざすと、何もない場所から剣を引き抜いた。

 ウィザはわずかに舌打ちした。失敗したと、ルーアは聞いた気がした。 かちゃりと音がした。ウィザは剣の柄に手をかけていた。

 光は広場の上空でふわりと静止した。光の中には、大きく羽ばたく翼、純白のローブ。……天使の姿があった。

「天使、様……。」

「ルーア、探しましたよ。黙って居なくなるのは感心しませんね。」

 つぶやいたルーアに、優しく天使はほほえんだ。

 ルーアはきゅっと、ウィザの上着の裾をつかんだ。その手は震えていた。

「しかし、その代わりに良いものを見つけました。お礼を言いますよ。」

 ぐるぐるとのどの奥から音を出し、狼がわずかに上体を落とした。

「良いものが腐ってなきゃぁいいがな。」

 すっとウィザは剣を抜いた。ルーアをかばうように一歩踏み出す。

 ウィザの言葉など聞こえていないかのように、天使はルーアににこりとほほえみかけた。

「さぁ、そこは危険です。こちらへいらっしゃい。」

 ルーアはウィザの背へ隠れた。ぎくしゃくとした動きで一度だけ首を振った。

 声が響くたび、結んだこぶしに力が入った。語りかけられるたび、ふるえがこみ上げてきた。 見る者を安心させる微笑みは、今は白々しく感じられた。

「ルーア、戻りましょう。神父も心配していました。」

 父親代わりの神父の、お人好しすぎる笑顔が浮かんだ。心配しているだろうことも、言われなくてもわかっていた。 けれど、そんな神父だから、とぎれた先の言葉を言えなかった。

 ルーアは再び首を振った。裾を離し手を組んで、祈るべき相手を見つけられずに、しかし、願わずにはいられなかった。 夢であったなら、と。

「行くなよ。」

「ヘルミ。」

 ぽつりとヘルミは言い、たしなめるようなウィザの声が続いた。空耳のようなそれにルーアは顔を上げた。 ウィザの大きな背に遮られ、表情を見ることはできなかった。

「王都なんか行くなよ!」

「ヘルミ!」

「うるさいですね。」

 じゅっ。水を蹴るわずかな音とともに、水が沸騰したような音が聞こえた。

「何か気になることでもあるのですか。」

 何事もなかったかのように、天使は問いかけた。ルーアは視線を落とし、天使を見なかった。

「何で…。」

 消え入りそうな声だった。雨音ばかりが響いていた。天使の羽ばたきも聞こえなかった。 ルーアはぱっと顔を上げた。その目には雨とは違うものが浮き、雨に混じって流れていた。

「何で村はなくなってしまったんですか!?」

 ルーアはウィザの陰を出た。天使は全てを哀れむように、三人を見回した。

 かちゃり。わずかな音が響いた。ウィザは剣を持ち直し、わずかに唇をかんだ。ヘルミはすっと表情を無くした。 しかし、ルーアはそれらには気づかなかった。

「魔獣の反撃は予想以上のものでした。我々も巣の大きさを測り違えていたのです。」

 聞きたいことはそうじゃない。声を聞かなければ、そんな建前でも信じられたのに。 ルーアは首を振った。二度、三度と首を振った。

「必要だと、村一つ分の犠牲が必要だと、なぜそんなことをおっしゃったのですか!?」

 手の甲で頬を拭った。雨は容赦なく降り続け、ぬぐった跡はすぐに消えた。 すっと天使は笑みを消した。目鼻立ちの整った美しい姿は、出来のいい人形のようだった。

「立ち聞きとはいけませんね。」

 すっと手が伸ばされた。天使の口が何事かをつぶやいた。 出迎えるように差し出された手は甲が天を向いていた。

「ヘルミ!」

 叫んだウィザに、ルーアは背後へ押し戻された。ついていけずに転がった。 ウィザはルーアを確かめることもなく、指を噛み切り、滲んだ血を地面へ、すっかり水で覆われた中へ押しつけた。

 天使を無表情に一別すると、ヘルミは素直に言葉に従った。一挙動で二人の元へ駆け寄ると、ルーアに覆い被さるようにして伏せた。 背後には静かに狼が立つ。

「ウンディーネ!」

「万物の父なる神よ、御力を我に!」

 ウィザを起点に水が円を描く。ごろごろと不穏な音が形を結ぶのと、円が完成するのはほとんど同時だった。 轟音とともに真夏の昼間よりも周囲が明るくなる。水に沈みかけた出来たての廃墟は一気に干上がり、 再び天より落ち来る雨粒の向こうへ滲んでいった。 雨粒の間には湯気が立ちこめ、視界は極度に低下していた。

 ルーアは顔を上げた。周囲は白く煙り、天使の姿は見えなかった。 助かったのだろうか。緩く首を巡らす。ヘルミは厳しい表情のまま彼方をにらみつけていた。 ウィザは地面に手をかざし、何ごとかを唱える。

「ノーム。」

 ウィザの手元がわずかに光り幾本もの土の矢が飛び出すのと、空から光が差し込むのはほぼ同時だった。 糸のように差し込んだ光は徐々に太さを増し、辺り一帯に降り注ぐ。 光は雨粒に反射、散乱し、圧力を伴うほどの光量となった。光に耐えきれなかったように水滴が蒸発した。

 ルーアは目を細めた。差すほどの光の中で、天使はわずかに表情を硬くした。

「六等ってとこか。」

 ウィザは立ち上がると、嘲笑って見せた。 見る間に天使の顔に朱がさした。……それは、天使を逆上させるには十分なものだった。

「貴様…!」

 天使は剣を引き抜くと急降下した。ウィザは笑みを保ったまま、天使の剣をがちりと受けた。 天使は翼を繰り幾度も幾度もウィザへと剣を振り下ろす。

「走って。」

 ルーアの耳元でヘルミはささやいた。わずかにルーアは頷いた。

 ぱっと起きあがると、ルーアはヘルミに手を引かれて走り出した。同時にウィザはすっと身を引き場所を空ける。 一度沈んで力をためた狼が、急降下した天使へと飛びかかった。

 がちりと狼の牙が鳴った。噛みついたものは空だった。

「ルーア!」

 天使が吠えた。翼を動かす度、表情が険しくなる。すかさずウィザは風を起こしたが、間に合わなかった。

 それは最初、針のようだった。背中の一点に差すような痛みが走り、息が止まるほどの激痛に変わる。 足が動かなかった。ヘルミに腕を捕まれたまま、ルーアは引きずられるように倒れ込んだ。 目の前が暗くなる。

「ルーアっ!」

 ヘルミの声を聞いた気がした。


 天使はウィザの起こした風をかいくぐり上昇した。狼の牙のとうてい届かない高さだった。

 ウィザはわずかに舌打ちした。印を組み替え、精霊を呼ぶ。しかし、有効な一撃は与えられなかった。

「何でおまえが……。」

 天使の一撃は、正確に急所を貫いていた。ヘルミは口に手を当てて確認する…まだかろうじて息がある。

 ふいと、狼が向きを変えた。そのまま誰に命じられることもなく走り出す。

「……ヘルミ!?」

 横目で狼の行動を見、ウィザは二人を振り返った。

「余所見をする間があるのですか?」

 天使は隙をついて急降下する。ウィザは間一髪、飛びのいて剣を避けた。遅れたコートが浅く切り裂かれた。

 ウィザは天使を無視した。そのまま狼の後を追う。

「やめろ!」

「愚か者めが!」

 天使は翼の一振りでウィザに追いつく。ウィザは再度舌打ちすると、振り向きざまに天使の剣を薙いだ。 思わぬ一撃に、天使はとどまれず慌てて上昇した。ウィザはそれを見もせずに再び走りはじめた。

「オレ、ルーアには死んでほしくない。うらまれても、かまわない。」

 ルーアはすでに気を失っていた。言葉は独り言のようにも聞こえた。熱を帯びた吐息が漏れるたび、命が削れていくのが目に見えるようだった。

「だから…君の血をオレにくれ…!」

 すっと狼がヘルミに寄り添った。狼はほんの一瞬ためらい、ルーアの傷へと口を寄せた。

「馬鹿が……」

 つぶやくウィザの声は吹き抜けた風にさらわれた。

 走りよったウィザの目の前で、ふらりとヘルミは立ち上がった。ヘルミは無表情のまま天使に対すると、右手をゆっくり差し出した。

 ウィザは背後を振り返った。今にも剣を振り下ろそうとしていた天使は、そのままの姿勢で動きをとめた。 天使の顔には、憤怒ともいえる色が浮かんでいた。体中の筋肉が緊張し、ローブまでもが細かく震えていた。 それを見るウィザの目には、ただ、哀れみだけがあった。

 剣をしまい、ウィザは歩を進めた。途中、ヘルミにつぶやくように聞いた。

「いいのか?」

 ヘルミは確かに頷いた。差し出した手をゆっくり握り始める。あわせて、天使の周りの景色がゆがみ始めた。 ヘルミの手が閉じていくにつれて、ゆがみは大きく、その直径は狭まっていく。やがて平が完全に閉じられると、小さな黒い塊が中空に浮かんでいた。

 ぽつり。肩のわずかな感覚に、ウィザは顔を上げた。光は消え、元通りの鉛色の空が戻っていた。

 ウィザは外套を脱ぐと、ルーアにかぶせた。腰を落とし、そっとルーアを抱え上げる。 ルーアの横たわっていた後には、血の跡ひとつ残ってはいなかった。

「もういい。処分しちまえよ。」

 言うとウィザは歩き始めた。迷わず振り向かず、歩を進める。

 無表情なまま、ヘルミはひとつ頷いた。平を開くと、どさりと天使が地に落ちた。 翼のところどころから骨が飛び出し、その胸には厚みというものがなかった。雨粒ではねた泥が模様をつくり、汚泥がローブへしみていく。

 ヘルミはそのままウィザの後を追った。最後に残った狼は、そっと天使へ近寄っていった。



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