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Logical Fantasy * 04

修飾語付き理系お題10*非日常ダーク系 〜03:ヒト・スペクトル


 ごくありふれた村だと思った。通り沿いには粗末でもよく手入れされた家々が並び、そのいくつかの窓からはほのかな明かりがこぼれ落ちていた。外に広がる麦畑にはまっすぐに天を指す出始めたばかりの青い穂が揺れ、煌々と照らす月の下を静かな葉擦れの音が支配していた。
 空気に混じるのは穏やかな気配。争いのない暖かな空気には、獣の声もなく妙な力も感じられない。現れたそばからいきなり飛ばれた割には、平穏な風景だった。
「カナタ、ここは……」
「つべこべ言うな」
 妙な無表情は不機嫌の現れ。触らぬ神にたたりなし、触らぬカナタに雷なし。肩をすくめるにとどめておいた。急ぎの用事があったわけでもなし、気まぐれには慣れている。気を取り直して頭を振って視界の歪みがすっかりなくなる頃には、カナタは村の入り口をくぐろうとしていた。
 かちりと音がした気がして踏み出しかけた足を止めた。ささやくような風が過ぎて、濃紺のローブが溶けるように揺らめいた。カナタも聞いたはずだと思った。しかし、耳を疑うほどの間も開けずそんな音などなかったかのように、その足は止まらない。
 見失わないようにと後を追い始めた頃、異変は徐々に始まった。ごうと風が鳴り、空気が変わる。地面がふと暗くなる……窓から漏れていた明かりが一つ、消えていた。
「カナタ!」
 柄に手をかけ小さな背中を追う。カナタはすでにその手にダガーを構えていた。月光を白く鋭く跳ね返す、銀の刃。
「来るぜ。雑魚ばっかりだけど」
「え、いや、んな筈は……ちっ」
 探るまでもなかった。渦巻く風は生臭さを運び、地面に落ちる光の中にうごめくのは異形の影。穏やかだったはずの村の中は今やまがまがしい気配に満ちていた。どんな魔術か仕組みかなんて、探る余裕もなかった。なにせ村中の小屋のその全てから、殺気だった気配が漂っているのだから。
 魔物は生あるものを狙う。その命を食い荒らす。魔物との間には生か死かの二択しかない。
「なんなんだよ、この村はっ」
 逃げられるか。少なくとも、囲まれることは避けたい。ひっつかもうとした襟首は、けれどするりと逃げていた。
「カナタ!」
「うるせぇ!」
 すっと沈んだローブが跳ね上がった先で、どさりと大きな影が落ちた。むっとわき上がる臭いに気を取られている余裕はなかった。
 舌打ちし、振り返りざま剣で薙いだ。鈍く重い感触の後でがつりとくわえ込まれた刃を、蹴り飛ばして引き抜いた。背後に迫った小物を巻き込み転がっていくその先を追うことも出来ない。すぐに新手が視界を覆う。でっぷりと太い毛むくじゃらの関節の目立つ異形の影が巨大な拳を振り上げて、異様に小さい頭をした覆い被さるような巨人が丸太のような足を繰る。子供のような小柄な獣の身長ほどもある長い手が鋭いツメをきらめかせ目の前を過ぎていく。
「な、なんなんだよ、いったい!」
 カナタは応えない。どさりどさりと確実に屠る音だけが聞こえる。
 拳をくぐり、足を薙ぐ。横に避けて、目をつぶす。見当つけた弱点を、一息に刺す。剣の腕に自信はない。体力だって、並でしかない。魔物は後から後から沸いていくる。まるで、もとから魔物の村であったかのように。いや、違う。ここは間違いなく人間の村だ。入る直前まで確かにここには臭いがあった。扉の脇の子供が遊んだ名残の土盛り、穏やかな夕餉を囲む暖かく揺れる灯り、井戸の周りに整然と置かれた柄杓に桶。生活の名残。人が暮らしている微かで確かな気配が、剣を振るうこの瞬間でさえ波のように漂っている。
 息が弾む。汗が流れる。視界は魔物で埋まっていた。とてもじゃないが、保ちそうにない。幸い奴らの動きは鈍かった。しかし、数の前では俺たちが不利だ。致命傷は負わずとも、いずれ体力が尽きるだろう。体力が尽きれば、命も尽きる。そこで、ジ・エンド。それがわからないはずはない。なのに、背中からは相変わらずの音ばかりだ。魔術を使う気配すらない。
 ほんの少し、探る時間があったなら。ダメでもともと口の中で転がした術は舌を噛んで消え去った。
「ちくしょうっ!」
 舌がいてぇ! 八つ当たりも込めて剣を振るう。腱を断ち、避けたついでに突き飛ばす。逃げるように後退る小物をのばした剣で引っかけた。
 −−イタイ。
 耳を疑った。いや、耳ではなかったのかもしれない。声として聞いたわけではない。
 −−イタイヨゥ。
 声にならない悲鳴だった。
「ぼーっとするな!」
 目の前を腕が過ぎた。尻餅をついて、間一髪それをかわした。
「あ、あぁ」
 目の前の脅威が変わるわけではない。軽くなった背中に、慌てて体勢をととのえた。
 腕を払い、腹を蹴る。そして、三度目の悲鳴を聞いた。
 −−ママ!
 人の言葉を操る魔物はそう多くはない。しかもそれが、悲鳴だなどと。こんな、子供のような。……違うこれは、子供だ。紛れもなく人間の。糸のように細くとも、確かにそれは人の声。人の発するスペクトル。俺にはそれがわかった。けれど目に映るのは、地面に届こうかと言うほども長い手をもつ、異様に永細い二本足の影。何かがおかしい。
「カナタ、これは」
「こんな奴ら、人間じゃねぇ!」
 また一つ、銀の刃が屍を作った。

 *

 直感で飛び込んだ扉の内側には奇跡のように血の臭いもなく、石造りの壁は重く鈍い音も遮断した。扉を背に、崩れ落ちるように腰を落とした。がちゃりと剣が床に傷を刻んだ。すっかり脂で曇った剣は、緊張の解けた手には鉛の塊としか思えなかった。
 必死で魔物をかき分ける俺にカナタはついてこなかった。ヤツだけに関して言えば心配などするだけ野暮というもので、本当に危なくなれば魔術でも組術でも使ってなんとでもするはずだった。心配なのはむしろ、魔物達のほうだった。
 目を閉じて世界を辿る。空気のスキマを縫うように過去を追う。村へ踏み込むあの一瞬まで、魔物の気配はどこにもなかった。ここでなら、落ちつけるこの空間でなら、ゆっくり探り出すことができる。一体村人は何人いるのか。息のあるものもないものも、人間の姿の『記憶』は消えかけていた。消去は時間の問題だ。生き死にの激しい戦場では、組術による蘇生は時間をおうごとに難しくなる。
 人殺しはしたくない。気は進まないが戦場なら、仕方がないことだと諦められる。けれど、今は。助けられるものならば、彼らにはなんの罪も理由もないはずだ。
 死んだものはもうだめだった。よみがえらせることが出来たとしても人には戻らない。俺とカナタですでに大半を、村人を、屠ってしまっていた。遅かったか。いやまだだ。まだある。言葉をもつものもいる。まだ、間に合う。感覚を研ぎ澄ます。世界の裏を見通すように。探すのはスペクトル。まだ人である、その証拠。
 一人、捕まえた。子供だった。今は軒下でふるえている。父の姿に怯え、母の姿に怯え、水に映った自分に怯え、出てくることが出来ないでいる。今戻してやる、大丈夫。お前はまだ人間だ−−。
「誰?」
 小さな明かりが目の前にあった。作りつけられたベンチの列の間に浮かび上がる人影があった。小柄な影、か細く高い女の声。少し驚いたようなナンベールの中の青い瞳が、じっとこちらを伺っていた。
 人間に見えた。しかしとっさに『探って』いた。紛れもなく人間で、思わず溜息が漏れた。
「旅のもんだ。アンタは……シスター?」
「この教会を預かっています。……あなたは、人、なんですね」
「知っているのか」
 長いすそを引きずるのも気にもせず、シスターは側に座り込んだ。琥珀の髪がさらりとベールのスキマからこぼれた。
「聖水が血の色に染まりました。窓から外をうかがえば、恐ろしい声が……。村の方々はどうなったのでしょう。魔物達は一体どこから……。私は教会から出ることも出来ず……」
 言葉は途中で嗚咽に変わった。
「お願いです。魔物を全て退治してください……!」
 見つからないどころか、やけに『静か』になっていた。背後の扉が叩かれる。シスターの嗚咽がとまり、俺は背を浮かせた。シスターの手を制すと扉を引き開けてやる。迷うこともなかった。俺は、間に合わなかったのだから。
「終わったのか」
「……一匹足りない」
「あ?」
 小さな蝋燭の炎と背面から照らす月光の中で、まだ乾ききらない返り血に染まった濃紺のローブは光沢のある闇のように見えた。抜き身のまま握られた銀の刃は血脂にまみれてもなお、鮮烈な光を返していた。
「ひっ」
 かちゃりと音がし、すと明かりが消えた。カナタの姿に驚いたのだろう。ドアのスキマから細々と入り込む月明かりを頼りに、姿勢を崩したシスターへ手を差し出した。
「お前、やっただろ」
 硬い声だった。シスターを立たせて振り返る。
「……まだ戻れた。人間だった。だから、戻しただけだ」
「あいつらは人間なんかじゃねーよ! あんな姿で理性もねぇ、魔物そのものだったじゃないか!」
「悲鳴が聞こえた」
「そんなもん、なんだってんだ!」
「カナタ!」
 思わず手が出た。軽い手応えの向こう側で、不意をつかれてたたらを踏んでいた。
「……人殺しが楽しいのか」
 しまったと思わなかったと言えば、嘘になる。カナタにこれは逆効果だ。かみつかれるか、手が来るか。内心身構えていたのは嘘じゃない。けれど、想像したどれも、現実のものにはならなかった。
「あいつらは、人間なんかじゃない。人間、だったら……」
「シスター!」
「……え?」
 カナタと扉の間の僅かなスキマを、小さな影がすり抜けた。子供だった。月光の下にかいま見た姿に覚えがあった。間に合った子供、唯一の。
「イルス……」
 子供はシスターの姿を探し当てると、その胸元に飛び込んだ。すがりつき顔を埋める。
「ぼく、ぼく、怖かった。パパもママも、化け物になって、ぼく、も……」
 呆然とするカナタを促し教会を出た。眼下には累々と魔物の死体が折り重なり、血臭が煙るかのように立ちこめていた。もっと早く気付いていれば、このうちの幾人かは助けることが出来た筈だった、のに。
「あんな奴ら、殺すしかないんだ」
「ガキがそんな言葉、使うな」
 多分これは、俺の落ち度だ。止めることが出来たのは、俺だけだった。
「シスター!?」
 聞くはずのない、悲鳴だった。とっさにカナタを抱えて後ろも見ずに石段を蹴った。着地には失敗したが構うまい。振り返った先で教会の扉は吹き飛んでいた。子供の気配は、消えていた。
「余計なことを……」
 月明かりの中に僧服が浮かび上がった。左の手からしたたり落ちる赤黒い水滴が、スカートを染め地面に斑を刻む。何が起きたのか、理解できなかった。
「シスター!?」
「あいつが元凶だ」
「な……!?」
 ずいとカナタが前へ出た。ナイフを構え正対する。生き急ぎ獲物を主張する、若者のように。
「どういうことだ」
「よくも私の秘術を打ち破ってくれたな。こいつらは生きるに値しない。私の父や母と同じような、かつて自分たちが快楽のためだけに殺した魔物と同様に、人に狩られて死んでしまうのが似合いというもの……」
「魔物と人間は裏表だ。それを村ごとひっくり返したんだ。旅人に魔物を始末させ、自分は人となって街へ入り込む算段だった」
 カナタの後ろ姿は、つゆほども揺らいではいなかった。当然のようにまっすぐと、シスターを見据える。その表情は、見えない。
 納得より先に、疑問が浮かんだ。何故そんなことがわかる……?
 青い瞳に怒りをにじませ、カナタを睨んだシスターの姿がどろりと溶けた。溶けた下から現れたのは全身を毛に覆われた異形の姿だった。節くれ立った関節に異様に小さい頭。その中の目の色だけが変わらない。俺たちが何人も屠った姿と同様の、もの。
「……呪ハ破レタ。オマエ達、許サナイ」
 全身を現した魔物はぶるりと身体をふるわせた。その肢体が一回り大きくなる。ゆらりと上げられた腕が、長い。
「カナタ!」
 分が悪い。とっさに剣を抜いたその時、奇声が響いた。
「な……!」
 長い腕が、ぼとりと落ちた。何かをやったのかと振り返った先で、カナタも目を丸くして印を結ぼうとした中途半端な姿勢のまま動きを止めていた。
 見る間に右の腕も肩から腐り落ちるように落下し、それが引き金となったかのように……全身が崩れはじめた。首が落ち肩がそげ、骨が落下し、腰が砕ける。落ちた首に腰骨が落下し、ついにその青い目も見えなくなった。
「何が、起きたんだ?」
 カナタはただ、首を振った。

 *

 カナタは血濡れたローブを脱ぐこともなく、一言呟くように漏らすと『帰って』いってしまった。白々とした月が惨劇を照らし出し、俺はどこへ行く気にもなれず血だまりを崩れ去ったシスターを眺めていた。
 朝になったら、隣村まで行かねばなるまい。役所へ連絡して貰い、場合によっては役人が来るまで足止めだろう。日が昇れば魔物の姿は溶け出してしまう。完全に魔物化した村人も、シスターも。教会の中にあるだろう少年の姿だけ、ずっとそのまま残ることになるのだろう。そんなことを頭の片隅でぼんやりと思い、そしてカナタの言葉を考えていた。
 あいつは全て知っていたのだろう。何で機嫌が悪かったのかなんて知らないが、今になってみれば知っていて八つ当たりに利用したようにしか思えなかった。知っていて正当化して、しかも魔術で一瞬で終わらせるわけでもなく。組術なんて力を持つ以外十人並みでしかない俺に、一体何が出来るのだろう。

 森を渡る風がすがすがしい空気を運び、この日一番の陽光が村を照らし出した。光に浸食されるごとに蒸発していく魔物の身体を眺めきり、俺はようやく腰を上げた。あいつが何を知っていてもそれは俺にはわからないことで、俺は俺の人生を歩むしかないのだから。

 −−シナリオが、変わった……。

 頭を振ってまとわりつくような言葉を払い、歩き始めた。




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