□ RETURN

URA*Soramimi Syojo
045.透明ドロップ

 かろんからん。缶を振れば音がする。
 軽い音。甘い音。幸せの音。ドロップの音。
 だけど開けちゃいけないよ。開けたらみんな消えちゃうんだ。
 大切な音。幸せの音。

 そう言われたのはもうずっとずっと前のこと。十も離れた兄貴の事を神様みたいに信じてた頃、『幸せ』が詰まってるって信じてた頃。
 それからほんの数年で、アタシは缶を開けてしまった。開けるのなんて簡単だった。ほんの少しの出っ張りをナイフでひっかいてやりさえすれば、フタは簡単に空いてしまった。
 オヤジと兄貴が行方不明になったのはその時で、残っていたアタシ達もまれに見る嵐で一月以上も孤立することになった。工業星には蓄えなんて大してあるわけもなく、船も飛ばず物資が不足していく中で、地獄に一番近い世界を味わったのも、このときだった。私の代わりにお袋は死んだ。オヤジと兄貴は変わり果てた姿で2年も後で発見された。
 幸せなんて入ってなかった。
がっかりするより、納得した。そんなものあるわけもなく。多分、兄貴が泣きやまない私を元気づけようとして行ったことなのだろう。音の元は綺麗に透き通ったビー玉で、ドロップよろしく缶の中に詰まっているだけだったのだから。堅い音にならないように、ご丁寧に薄いビニールでコーティングされた、単なるビー玉でしかないのだから。
 今までそれでも捨てられなかったのは、兄貴の言葉を今でも信じているからなんかじゃない。たった一つ、アタシの手元に残ったものだったから。本物のドロップとまぜて、いつもアタシの作業着の中に放り込まれていた。
 大嵐から4年して、アタシはオヤジと同じ職を選んだ。

「磁気嵐発生。本船到着予定は20分後!」
「なんですって!? 回避行動。ジャンプ準備」
「出力上昇、50%。間に合いません!」
「2時方向、防磁バリア展開!」
「防磁バリア、展開。出力足りません!」
「サブエンジン、非常モードA」
「非常モードA、切り替えます。緊急コール。−−300秒、カウントダウン」
 −−緊急コール、緊急コール。非常事態が発生しました。区画B〜Zを閉鎖します。総員退避してください。
「230、220……」
「気象台から警報。予測規模、α」
「……メインエンジン、リミット解除。出力を全てバリアへ回しなさい」

 ブリッジの混乱は、ここまでは届かなかった。
 緊急コールは大音量で館内に響き渡る。全ての音をカットして優先的に流される。船が管理することが出来る音源の全てに入り込む。
 けれど、アタシは聞き逃した。
 もともと、無理だと言われていた。逆巻く水音と吹き上がる蒸気。こすれるタービンの先端では、常に爆発が起きている。弱々しい放送(ブロードキャスト)なんて、かき消えてしまう。
「……くっ」
 掴みやすく作ってあるワケじゃない取っ手は、汗で簡単に滑ってしまう。平を拭って再度挑戦しても、結果は変わらなかった。扉はどうやってもあかなかった。普段はボタン一つで開くシェルターにも使われるほども頑丈な扉は、今びくともしやしない。
「ブリッジ、ブリッジ、応答して、こちら機関室! ……ちっ」
 思わず受話器を据え付けのホルダに叩き返した。ノイズすら聞こえなかった。館内電話は死んでいた。こつんと小さな音をたてて受話器がすっかり落ち着くと、宇宙(そら)に出て初めて体験する静寂だけがそこにはあった。
 磁気嵐に巻き込まれたんだと、そのころにはぼんやりと気付き始めていた。

 幸か不幸か、遠周回起動に乗ったまま被災した船は、中身を腐らせることもないまま捕獲された。ラボへ運ばれ、詳細な解析を受け、公開されるまでさらに数ヶ月を要した。
 ブラックボックスに記録されたログは観測の通りの時刻で停止。乗務員の死因は2種類に大別されたという。磁気による体細胞の破壊が一つ目。そして二つ目は、窒息だった。

「……早ければ一週間。遅ければ、年単位……。上はだめね。下が立ち直ってくれれば……」
 頭の中で航路を計算した。この船は母星への帰還途中だった。航路が変わっていなければ、一週間ほどで再接近するはずだった。運が良ければそのタイミングで救助が考えられるだろう。悪い場合は考えても仕方がない……想像するまでもない。
 ポケットのドロップを取り出し、一つ口に含んだ。幸い、緊急用の装備は館内のあちらこちらに設置されている。一週間くらいなら接種エネルギーへの不安はない。不安は、違うところにある。
 救助は望めないだろうと見当をつけていた。扉はレバーで手動に切り替わる。確かに重い扉だったが、ぴくり共とも動かない筈がない。思い当たる理由は一つだった。……扉の外の、与圧異常。
 発狂なんて出来なかった。出来てしまえば楽だったのかもしれない。訓練のたまものだろうか。だとしたらなんと残酷な訓練か。
 食料はあった。ないのは空気。時間をおくごとに、アタシが生きている限り、減り続けていく酸素量。
「生殺しだわ……」
 窓もなく、音もなく、たった一人の世界で、オヤジと兄貴の後を追うのだろうか。
 目を閉じ、身体をまるめて、ぼんやりとそう思った。

 どれくらい経っただろうか。一日だろうか、二日だろうか、それとももうその時を過ぎてしまったのだろうか。目を開けるとぼんやりとそう思い、けれど確かめるすべはなかった。
 指先が冷たい気がして、ふるえる指先でドロップのフタを探った。かろんかろんと鳴る缶からは、けれど、ドロップは出てこなかった。代わりに飛び出したのは、透明ドロップ。コーティングされたガラス玉。消えてしまった幸せの玉。
 未だけなげに点灯を続ける照明にかざした。少しゆがんで、向こう側が透けて見えた。向こう側、あの時までうなりを上げて動いていた、エンジンが。
 あれと、どこかで違和感を感じた。重い身体を持ち上げて、残りのドロップをぶちまけた。全て同じドロップだった。本物のドロップと同じくらいの重さで、ビニールでコーティングされていて。
 ひらめきにも似た直感で作業用のドライバを取り出した。コーティングに切れ目をいれ、思い切り足で踏みつぶす……。
 ぱりんと割れる確かな音と、僅かな風圧を感じた。

「奇跡です! 奇跡が起こりました!」
「全員死亡と見られた中、生存者が見つかりました」
「一月以上、密閉された空間で、彼女はどうやって生き延びたのでしょうか!?」
「信じれません。通常、このタイプの船はエアリサイクルを行うのですが……」

 最後のドロップを割って、諦めて目を閉じた。
 次に開いたときには、窓一杯に陽光を受けた、白い部屋の中だった。

 かろんからん。缶を振れば音がする。
 軽い音。甘い音。幸せの音。ドロップの音。
 だけど開けちゃいけないよ。開けたらみんな消えちゃうんだ。
 大切な音。幸せの音。
 ……命の、音。




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