空の虹が色を失い天使は一人二人と消えていったと、ばあちゃんはそう語る。
冷たい太陽と灰色の快晴の空の下で、冷たい雪に埋もれそうな家の中で。 「みんなが、神様を忘れたからじゃ。この世界はいずれきえてしまうんじゃ」 バラの実を編み込んだ長いネックレスをじゃらじゃらもんで、神様の姿絵を拝んでいた。 そんなとき僕はいつも、よく熟れた雪リンゴの黒っぽい実をかじりながら首を傾げた。ばあちゃんの言うことはよく分からなかったし、何より僕は『色』を知らなかった。−−神様を覚えていたというその頃、僕はまだ生まれていなかったから。そしてもう一つ。僕には天使が見えたから。 「消えてしまうかどうかなんて、アタシにだってわかんないわよ」 チェリーは僕の机に腰掛けて(といっても、天使に重さなんてないんだから、チェリーはそこにいるだけなのだけど)白い月を見上げながら言った。 「でもね、アタシはなんか違う気がするのよ」 僕は『うん』とだけ、頷いた。 チェリーははぐれ天使なんだと名乗った。気がつくと仲間はおらず、それから世界を巡ったのだと語った。僕に出会うまで、誰もチェリーを見てくれなかったと、つぶやいた。雪リンゴの林の中で、折れそうな枝に腰掛けながら。僕を見て驚いて、氷ヒマワリよりも明るくぱっと笑いながら。 その笑顔に僕の方が救われたなんて、死んだって言わないけど。 * 僕の朝はチェリーに起こされる事から始まる。チェリーに出会う前は、母ちゃんにたたき起こされていたから……母ちゃんには気味悪がられるけど。 朝御飯の白パンを水カボチャのスープで流し込むと学校へ向かう。よく道草食っていた道を、道草代わりにチェリーのおしゃべりを聞きながら歩く。返事の代わりはちょっとだけのうなずき。誰もチェリーのことは見えないから、それが限界。 学校へついて授業が始まっても、チェリーのおしゃべりはとまらない。よくよくおしゃべりだと思う。これだけ話していても、つきないんだから。 僕と会う前に訪れた国のこと、色があった時代の空の色、金色(ってなに色だろう?)の暁、紅(母ちゃんの唇の色だって言ったけど)の夕暮れ、銀色の月の滴。 誰にも見られない聞かれない中で、僕にだけ、話しかける。 * 「ケイ、最近変わった」 アールが教科書を抱えて僕を見下ろした。チェリーと机を挟んで反対側に立って、僕を促す。教室移動だ。僕も教科書をつかんで立ち上がった。 「そう?」 アールの前を過ぎて先を急ぐ。クラスメイトはすでに皆出てしまっていた。チェリーは音もなく羽ばたき、僕の後をついてくる。まるでひもを付けた犬みたいだ。 「そうよ、こういうとことかっ」 ぱたぱたとアールもついてくる。チェリーを押しのけて僕に並んだ。……もっとも、アールには見えないわけだけど。 「前は待ってくれたわ。何処見てるのか分からない顔してぼーっとしてることが多くなった。お休み時間に外にも行かないじゃない。前はよく木の下にいたのに」 五月蠅いくらいにまくし立てる。どれもそういえば当たっているかも知れない。けれどそれは僕が変わったわけじゃない。チェリーが居るから必要なくなっただけだ。色のない空も、おしゃべりばかりのアールも。 「どうしてよ。アタシなんかした? 空だって、こんなに綺麗なのに」 綺麗? 黒くさえ見える、灰色の空が? 「春のかすんだ水色。夏の元気な薄青。秋の何処までも高い青碧。冬の沈んで深い藍。……言っていたのはケイじゃない」 「え?」 僕? 思わず足を止めた僕に、アールは行き過ぎあわてて振り返った。 アールの横で、少し寂しそうにチェリーが笑う。チェリー、どうして? どうしてそんな顔をするの? 「えじゃないわよ。スケッチブックはどうしたのよ。あんなにカラフルで綺麗な絵、他では見たことないわ。ケイの目で見たら、こんなに綺麗なのかって、アタシ感動したもん」 アールの言葉が耳を滑る。スケッチブック。そう、いつも持っていたような気がする。チェリーと会ったあの日も、雪リンゴのけなげな紅を、僕は見に……。 きーんこーんかーんこーん。 「あぁ、ケイ、時間よ! 早く行かないとっ。あぁもう、先に行くからね!」 ぱたぱたと時折僕を振り返りながら走っていくアールの後ろ姿を僕はただ目で追うだけだった。ふわりふわりと上下する、チェリーの影をそのすみにとらえながら。 「チェリー……」 「……ごめん、ね」 声は溶けるように降ってきた。あわててチェリーを追って振り向いた先で、見覚えるのある高い蒼が、広がっていた。 * ばあちゃんは語る。天使が見えなくなって、違うものが見えるようになったのだと……。 |