ラベルは全て同じ。 黒い瓶からは、色はわからない。 開けるわけにもいかない。コレらは全て食卓に供されてその場で開けられる。 余分は、ない。 ……ロシアンルーレットだ。 「どうする」 「どうするって言っても」 「代わりは」 「一本幾らだと思ってる?」 「ラベルだけ貼り替えて」 「こんな特殊な瓶、他にあるか!?」 「割れたことにすれば……」 「どれだかわかるのか?」 空調の音が自棄に大きく聞こえる。生唾を飲み込む音さえ、響くようだ。 六人の客席係は顔を付き合わせてクーラーの中につっこまれた六本の瓶を囲んでいた。 最上級ロマネコンティ。今日のメインディッシュに等しいワインだった。 この中に一本、偽物が混じっている……はずだった。いや。偽物ではない。かつてロマネコンティだったもの、が。 保存状態が最悪のものが、混じっているという情報だった。 熟成に熟成を重ねて幾年月。立派なビネガーになっているはずだった。 瓶は全て同じ。ラベルも全て同じ。そりゃそうだ。同じもんだったんだから。 「で、どうするの?」 「持っていくしかないだろ」 「……なぁ、テーブル変えないか?」 「どれだって同じだろ」 「……俺、あの先生に酢を飲ます勇気ないよぅ」 「アタシだってぇ」 「我慢しろ、1/6だ」 「俺の首がなくなるのも1/6か……」 「六分の、一」 溜息が重なった。盛大な溜息だった。 俺のもそのうちの一つだった。 「スープ!」 「はいっ」 食前酒、オードブル、スープ、魚料理、口直し、メインディッシュ(肉料理)……。 今日の会食のメニューだった。 何時までも悩んでいるわけにはいかない。俺たちは客席係で、サービスこそが仕事だった。本来は、ワインで悩むのは俺たちじゃない、はずなのに。 埃を立てないようにフロアへ向かう。1テーブルは4人。4人分の料理を各自が責任を持って運ぶ。速やかに給仕、空いた皿まで丁寧に下げる。 俺たちは皆プロだ。サービスにはなんの問題もない。サービスには。 料理のうんちく、ワインの知識だって任せろ。客に聞かれたらなんだってその場で答えてやる。それだけの勉強はしている。料理長からソムリエから、しっかりと聞いている。トイレの場所から一番近くのATMまで何でもござれだ。 「……あ」 かちゃり。皿が触れた。 ……客は何も言わない。余興のコーラスに紛れたか。 危ない危ない。動揺を表に出しちゃ、プロ失格だ。 落ち着け、落ち着け。今俺がやることだけを考えろ! かちゃん。 …………! 「あら。ごめんなさい」 ふくよかな婦人がクロスの下を指さした。 引きつりかけた顔をどうにか笑みの形に持っていく。 「いえ。少々お待ち下さい。替えをお持ちします」 スプーンを拾い上げ、速やかに替えを取りに行く。 ……あぁ、びっくりした。心臓が口からでちまうかと思った……。 取り替えたスプーンでにこやかに食事を再開した婦人を確認して、俺は再びワインの前に戻った。 口直しが出た。次は肉料理。そして、問題の……ワイン。 「次」 「…………」 意を決する、しかなかった。 一人がクーラーを取った。 また一人、クーラーを抱えた。 そして一人。 ……俺は最後に残ったクーラーを手に取った。 手が震える。あぁ、ハズレであってくれ。 「ロマネコンティとは。しかも1992年ものだそうだね」 「最上級のモノをご用意致しました」 「メインディッシュは牛ヒレ肉のステーキとは。相性も最高だね」 「当店のメインシェフが選りすぐった牛ヒレでございます。ワインと共にご堪能下さい」 ぽんといい音を立ててコルクが抜けてしまう。たっぷりと、静かに、オリを浮かせないよう、コレをグラスに注ぐ……。 あぁ、ハズレであってくれ! 「ありがとう」 にこりと返す顔が引きつるっ。あぁ、ハズレであってくれ……! バン、と聞こえたのはその時だった。ざわりと会場がざわめく。 「どうしたんだい?」 「はぁ……。少々お待ち下さい」 合図が来た。マネージャーからだ。 クーラーを置き、慌てて向かう。 ……なんだ? 緊急事態か? 「ワインを取り替えろ。フランス産はダメだ。ドイツの白、クヴァリテーツがあったろう。そっちに変更だ」 「え、でも、肉料理が……」 「でももくそもない。フランス産で細菌がでた。安全宣言が出るまで中止だ!」 「は、はいっ」 食中毒はサービスより先にくる。渡りに船だ! 「よし、司会に伝えて、事情を説明して貰おう。グラスとクヴァリテーツの用意を……」 「はいっ」 多分、記録に残る素早さだったろう。誰もが生き生きと、それに応えた。 「おい、君、何故だね?」 「大変申し訳ございません。厚生省からの通達で、フランス産ワインの差し止めがありまして。代わりにドイツ産クヴァリテーツをご用意致します」 素早くグラスとクーラーを下げる。数十万がコレでおじゃんでも、そんなことは知ったことじゃねぇ! 俺たちは誰一人引き金を引くことなく、ロシアンルーレットに勝ったんだ! 一人二人と戻っては、押さえる必要もない笑顔を浮かべまくる。ほら、浮かれる前に用意しないと! まだ仕事は終わっていないんだから。 後一人。主催のテーブルの給仕係が戻ってくれば、俺たちの完全勝利だ。後一人……。 「きゃぁっ」 え、悲鳴!? 出口に近い、一人の顔が蒼白になっていく。 「どうした?」 「あの子、やっちゃったわ」 「美加か?」 「お客様にワインを……」 「げ」 「あぁ、支配人まで呼ばれて……しかも……」 「なによ、この味はぁ〜!?」 たとえば、銃を下ろして玉を抜こうとした瞬間に、暴発したかのように。 |