□ RETURN

URA*Soramimi Syojo
064.ワイン・パーティ

 ラベルは全て同じ。
 黒い瓶からは、色はわからない。
 開けるわけにもいかない。コレらは全て食卓に供されてその場で開けられる。
 余分は、ない。
 ……ロシアンルーレットだ。

「どうする」
「どうするって言っても」
「代わりは」
「一本幾らだと思ってる?」
「ラベルだけ貼り替えて」
「こんな特殊な瓶、他にあるか!?」
「割れたことにすれば……」
「どれだかわかるのか?」
 空調の音が自棄に大きく聞こえる。生唾を飲み込む音さえ、響くようだ。
 六人の客席係は顔を付き合わせてクーラーの中につっこまれた六本の瓶を囲んでいた。
 最上級ロマネコンティ。今日のメインディッシュに等しいワインだった。
 この中に一本、偽物が混じっている……はずだった。いや。偽物ではない。かつてロマネコンティだったもの、が。
 保存状態が最悪のものが、混じっているという情報だった。
 熟成に熟成を重ねて幾年月。立派なビネガーになっているはずだった。

 瓶は全て同じ。ラベルも全て同じ。そりゃそうだ。同じもんだったんだから。

「で、どうするの?」
「持っていくしかないだろ」
「……なぁ、テーブル変えないか?」
「どれだって同じだろ」
「……俺、あの先生に酢を飲ます勇気ないよぅ」
「アタシだってぇ」
「我慢しろ、1/6だ」
「俺の首がなくなるのも1/6か……」
「六分の、一」
 溜息が重なった。盛大な溜息だった。
 俺のもそのうちの一つだった。

「スープ!」
「はいっ」
 食前酒、オードブル、スープ、魚料理、口直し、メインディッシュ(肉料理)……。
 今日の会食のメニューだった。
 何時までも悩んでいるわけにはいかない。俺たちは客席係で、サービスこそが仕事だった。本来は、ワインで悩むのは俺たちじゃない、はずなのに。
 埃を立てないようにフロアへ向かう。1テーブルは4人。4人分の料理を各自が責任を持って運ぶ。速やかに給仕、空いた皿まで丁寧に下げる。
 俺たちは皆プロだ。サービスにはなんの問題もない。サービスには。
 料理のうんちく、ワインの知識だって任せろ。客に聞かれたらなんだってその場で答えてやる。それだけの勉強はしている。料理長からソムリエから、しっかりと聞いている。トイレの場所から一番近くのATMまで何でもござれだ。
「……あ」
 かちゃり。皿が触れた。
 ……客は何も言わない。余興のコーラスに紛れたか。
 危ない危ない。動揺を表に出しちゃ、プロ失格だ。
 落ち着け、落ち着け。今俺がやることだけを考えろ!
 かちゃん。
 …………!
「あら。ごめんなさい」
 ふくよかな婦人がクロスの下を指さした。
 引きつりかけた顔をどうにか笑みの形に持っていく。
「いえ。少々お待ち下さい。替えをお持ちします」
 スプーンを拾い上げ、速やかに替えを取りに行く。
 ……あぁ、びっくりした。心臓が口からでちまうかと思った……。
 取り替えたスプーンでにこやかに食事を再開した婦人を確認して、俺は再びワインの前に戻った。

 口直しが出た。次は肉料理。そして、問題の……ワイン。
「次」
「…………」
 意を決する、しかなかった。
 一人がクーラーを取った。
 また一人、クーラーを抱えた。
 そして一人。
 ……俺は最後に残ったクーラーを手に取った。

 手が震える。あぁ、ハズレであってくれ。
「ロマネコンティとは。しかも1992年ものだそうだね」
「最上級のモノをご用意致しました」
「メインディッシュは牛ヒレ肉のステーキとは。相性も最高だね」
「当店のメインシェフが選りすぐった牛ヒレでございます。ワインと共にご堪能下さい」
 ぽんといい音を立ててコルクが抜けてしまう。たっぷりと、静かに、オリを浮かせないよう、コレをグラスに注ぐ……。
 あぁ、ハズレであってくれ!
「ありがとう」
 にこりと返す顔が引きつるっ。あぁ、ハズレであってくれ……!
 バン、と聞こえたのはその時だった。ざわりと会場がざわめく。
「どうしたんだい?」
「はぁ……。少々お待ち下さい」
 合図が来た。マネージャーからだ。
 クーラーを置き、慌てて向かう。
 ……なんだ? 緊急事態か?

「ワインを取り替えろ。フランス産はダメだ。ドイツの白、クヴァリテーツがあったろう。そっちに変更だ」
「え、でも、肉料理が……」
「でももくそもない。フランス産で細菌がでた。安全宣言が出るまで中止だ!」
「は、はいっ」
 食中毒はサービスより先にくる。渡りに船だ!
「よし、司会に伝えて、事情を説明して貰おう。グラスとクヴァリテーツの用意を……」
「はいっ」
 多分、記録に残る素早さだったろう。誰もが生き生きと、それに応えた。
「おい、君、何故だね?」
「大変申し訳ございません。厚生省からの通達で、フランス産ワインの差し止めがありまして。代わりにドイツ産クヴァリテーツをご用意致します」
 素早くグラスとクーラーを下げる。数十万がコレでおじゃんでも、そんなことは知ったことじゃねぇ!
 俺たちは誰一人引き金を引くことなく、ロシアンルーレットに勝ったんだ!
 一人二人と戻っては、押さえる必要もない笑顔を浮かべまくる。ほら、浮かれる前に用意しないと! まだ仕事は終わっていないんだから。
 後一人。主催のテーブルの給仕係が戻ってくれば、俺たちの完全勝利だ。後一人……。
「きゃぁっ」
 え、悲鳴!?
 出口に近い、一人の顔が蒼白になっていく。
「どうした?」
「あの子、やっちゃったわ」
「美加か?」
「お客様にワインを……」
「げ」
「あぁ、支配人まで呼ばれて……しかも……」
「なによ、この味はぁ〜!?」

 たとえば、銃を下ろして玉を抜こうとした瞬間に、暴発したかのように。



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