「有事法制に反対する君津地域市民連絡会」リポート 

 記念講演:「マスコミの現状とイラク・北朝鮮報道」
平和・人権・教育と文化を考える会総会から
2003年5月18日  木更津市
報告:T.M.
 中筑間卓蔵さんは,元日本テレビのプロデューサーであり日本ジャーナリスト会議放送部会長で,「マスコミの現状とイラク・北朝鮮報道」と題して講演されました。中筑間さんは長年日本テレビの職場で労働組合運動をやっていたそうで,その後,ワイドショーのプロデューサーをやり「ルックルックこんにちは」などを担当していた方だそうです。
 以下は,その講演内容です。
 

     

 15日の衆議院で,有事法制が9:1で通ってしまったことについて,これをメディアは大きく報道しない。「日の丸・君が代」を法制化しょうとした時も,盗聴法など重要法案が目白押しでしたが,ワイドショーはサッチー・ミッチー問題を延々と追っかけていました。今回も,白装束問題とタマちゃん問題で騒いでいる。今日の朝9時の「日曜討論」(NHKテレビ)でも,有事法制化問題をやらない。
 今年がテレビの50年で,NHKも大宣伝をしています。今,テレビは日本に一億二千万台から一億三千万台あります。視聴率1パーセントで大体百万人が見ている。10パーセントの視聴率なら一千万の人が見ている。実に怖い媒体です。
 昔はまだまだテレビも元気でした。昔,福岡のRKB毎日という放送局が,「一人っ子」という番組を作りました。その中身は,ある夫婦の子供が防衡大学に行くというので,両親が争うという問題です。父親は行かせる派,母親は子供がそんな方に行くのは反対をする派。このドラマがいきなり放送中止になって,放送中止反対の運動が進んだりした時期がありました。
 TBSニュース・スコープという番組で,ベトナム戦争の頃田英夫さんが「ハノイからの報道」という報告をやったら,途端に番組から降ろされるという事件があった。アメリカの海兵隊がベトナムの解放戦線の殺された軍人の頭をちょん切って,生首を戦車の上から放り投げるという映像を流した。途端に戦争ってのは残虐なものだ,放送するなと圧力がかかった。
 今はもう,言わなければならないことも言わない。作り手側の気迫というものが無くなっているということを,痛感しています。視聴率がとれればいいということが,放送界に蔓延をしてます。視聴率のいい番組のプロデューサーは,廊下の真ん中をどうどうと歩いていますけど,視聴率の悪いプロデューサーは小さくなっている。
 しかし,本当にいい番組というのは何かっていうのは,自分たちだけではなく,見ている人たちの話を聞きながら考えなければだめなんです。メディア・リテラシーを進めるということです。リテラシーと言うのは読み解くことという意味です。新聞を読んだりテレビを見たりしたときに,それを見ながら,あれは本当にそうなんだろうとか,どんなふうに使われているんだろうということを考えることがメディア・リテラシーということです。ただ見っばなしということだと,同じアニメーション番組でも,ただそれを見ただけです。それが現実です。それを親子で話し合う,集まったとこで話し合うと,コミュニケーションの場もできるし,テレビの隠された裏側も見ることができる。そう思うので,盛んにその話をしています。

 イラクについて言うと,フセインの銅像が引き倒される映像が大きく流され,イラクが崩壊した象徴的な映像になってますけど,あの銅像はフセインと似てないと思い続けていました。この間ニュース23の筑紫さんの番組で,あれはイラクの国民的詩人の像だという説がある,と言うんです。これも僕はちょっと目から鱗でした。そういう何かおかしいと思うことをそのまま見過ごしてしまうと,向こうから言われたまんまになってしまいますから,それをメディア・リテラシーで,僕らがその裏の真実を知ろうとする,読み解く力を持つ必要があります。
 テレビの中でもそういうことをやらなきゃと思いますけど,テレビというのはその機関でありながら言論の自由がないという側面があります。
 例えば雪印牛乳の事件にしても,こんな牛乳を出していいんですかと下請けの会社の人が言って,新聞が追及調査し報告しましたけど,「いやいいんだ」と言われ,そのまま見過ごされた。問題に出来ないまま大きな事故になって,会社がつぶれるという事態になっています。
 原子力発電所の事故についてもそうです。あれもきちんと内部で指摘をされていたにも関わらず,上層部で握り潰されていました。
 同じようなことが放送局の中にもやっぱりあります。批判すべきことはきちんと批判をして言うことを是非やろうと議論を今我々はやってます。しかしそれだけでは完成しません。市民の皆さんと一緒にやることが必要です。

以下2003年7月6日掲載分です)
 昔,政治暴力行為防止法案というのが出された時期がありました。これはどんな事件かと言うと,丁度有事法制を考えて頂ければいいんですけど,6月2日(’61年)にデモを予定していた。そうしたら国会の情勢が緊迫をして,この法案の行方が早まり,前倒しをして5月30日にやった。それが公安条例違反だというので,国会議員,労働者が逮捕されて,有罪判決を受けた。延々10何年裁判をやった揚げ句に,第二審(’77年6月)で,寺尾正二(※1)という裁判長が画期的な判決を出しました。一部有罪にはなりましたけど,労働者を始めとして止むに止まれずやった人たちは全部無罪になった。その時の判決の中に,「六日のあやめ,十日の菊」という言葉がある。「六日のあやめ」とは,五月五日の節句を次の日にやっても意味がない。九月九日の菊の節句,重陽の節句を,十日にやっても意味もない。つまり,「一日遅れたら何の意味もないよ」,と裁判長が言ったのです。もう一つ,この判決の特徴は,デモ行進というものは,「テレビなどのメディアの宣伝を上回る効果があるんだ。街を歩いている人たちに呼びかけることが出来るし,呼びかけられた人は,その気があればそのデモに参加をすることが出来る。デモはそういう効果がある」のだと,裁判長が裁定をしました。僕らのジャーナリズムの世界の中でも,「今言うべきことは今言う」,ということにしているんです。

 それから,「周囲で何か小さなことが起きたら,それを見落とさないことにしよう」というのも,僕らの大事な心掛けです。山崎豊子の『沈まぬ太陽』という小説の中に,航空工学の中の安全工学の法則にハインリッヒの法則というのがある。一つの事故が発生した場合,その背景には事件には至らなかった三百のイレギュラリティ,三百の異常があると言うんですね。さらにその陰に数千の不安定要因が存在する。何かの事故があったら,必ずその背景には何かいくつかの異常があるものです。その異常の背景には,さらに気が付かないようなことがある。小さな事を見落とすと大きな事故になるよというのが,ハインリッヒの法則です。

 教育基本法の改悪で,「愛国心教育」を行うとしています。愛国心を持つ教育をする。全部の子を「いい子に育てる必要はない」と言っている。DNAのいい子だけをちゃんと育てて,他の子はどうでもいいということを言ってる学者がおります。その人たちは愛国心で,「お国のために役に立つ人間を育てていく」というのが,教育基本法の理念だと言っている。
 この間も,住民基本台帳で,健康の問題が防衛庁に知らされていたということで大問題になりましたが,僕はあれはぞっとしました。昔,甲種合格,乙種合格,丙種合格という,徴兵検査というのがありまして,昔は徴兵検査にはお金がかかって,血液検査をし身長を計って体重を計ったのですが,今度は住民基本台帳を見るだけで健康状態が分かるわけです。住基ネットと徴兵制との関係を,頭の中に人れておいて欲しいと思います。タダで若者の健康状態が分かるわけですから,徴兵検査なんか必要なくなります。
 有事法制の中でも,僕らの放送局も戦争に協力をしなければ罪になるということになっています。民放はいいよなんて言ってる人たちもいますが,民放はいいよなんて書いてありません。日本テレビが出来た時の,正力松太郎の「日本テレビ放送網」という考え方が,今また改めて脚光を浴びつつあるのではないかという気がします。民間放送連盟も,戦争になっても協力しないという声明を出してるようですけれど,有事法制反対というまでにはいきません。そんなことには協力できないと言うだけまだましでありますが。まさに今戦争前夜というような状況になって,9対1で負けて,ますます9対1じゃなくて,10対1になったりして,そうならないようにしないといけません。メディアと市民との結び付きがいかに大事になって来ているかということを,つくづく思っているところです。

 北朝鮮問題を検証する必要がある。9・17(’02年)ピョンヤン声明で日本と北朝鮮の約束事ができて,その後5人が帰ってきた。田中均・アジア大洋州局長(当時)は「1〜2週間の一時帰国で調整しました」と答えています。10月27日に統一補欠選挙がありそれまでは帰さないことにしようとなり,その後帰さないで永住帰国ということになった。私に言わせれば第2の拉致だ。彼らにとってはすでに北朝鮮は第2の故郷になっている。田中局長はその後交渉の場から外され審議官に祭り上げられました。政府は「拉致問題の解決なくして正常化なし」といっている。メディアが事実の検証をやる必要がある。

 Q:イラク戦争では,メディアの報道の仕方は攻撃を受けているイラクの人々のことを伝えていない。戦争報道のあり方について。
 A:アメリカはベトナム戦争の教訓をイラクでやった。情報戦争です。いかにメディアを政治が掌握するのか。ベトナム戦争ではアメリカの記者も含めて,自由闊達な報道をした。今回は,800人,ほとんどカタールでの取材で,イラクの中に行ったのは1本いくらの契約の記者で,ちゃんとした報道は自前では取っていない。ホテルで死んだ記者についても,アメリカ政府は「許可してないから,自分が悪い」と開き直っている。
 悲惨な映像は,日本ではいくらか入ってきたが,アメリカではなかったそうです。政府が戦略として位置づけた。湾岸戦争の時のイラクのクウェートへの攻撃で,クウェートから逃げて来た少女が,イラク軍の残虐性を涙を流してテレビで訴えた場面は,アメリカ市民に反イラク感情を抱かせ,戦争を肯定していく役割を果たしました。アメリカの広告代理店が頼まれて作ったもので,アメリカの大使の娘によるやらせだった。そのことをアメリカ市民は知らない。
 今後益々,情報戦争は活発化すると思います。

          

(※1) 寺尾正二 東京高等裁判所裁判長(’77年当時)
  この東京高等裁判所・寺尾正二裁判長は,狭山事件で’74年10月31日石川一雄さんに「無期懲役」の判決を下した悪名高い人物と思われます。とすれば,政治暴力行為防止法案反対のデモに対する東京都公安条例違反事件で「六日のあやめ,十日の菊」と言って出したという「画期的な控訴審判決」も色あせてしまいます。’74年10月31日の石川さんへの判決の被差別部落への差別性を示していると思います。
 寺尾裁判長は、第一審の「死刑」という差別判決を下した内田武文裁判長に続き,十年におよぶ第二審裁判において石川一雄さんの無実が全面的に明らかにされた中で、’72年に担当裁判長に就任し、事実調べを打ち切り、「無期懲役」の差別判決を下したのです。

狭山事件とは? (部落解放同盟全国連合会 HPより)


 1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生、中田善枝さんが誘拐され殺害される事件がおきました。警察は身代金をうけとりにきた犯人を取り逃がし、世論の批判にさらされました。
 そこで警察は部落民ならやりかねないという差別的予断と偏見をもって、部落民をイケニエとして「犯人」にデッチあげることを画策。無実の部落民・石川一雄さんを「犯人」にデッチあげました。警察は、連日、石川さんに激しい拷問をくわえ、「お前がやっと言わないなら、兄をパクる」、「殺したと言わないなら、お前を殺して埋めてしまう」などと脅しました。そして、警察は、自分たちでデッチあげたストーリーを、石川さんの「自白」だと言わせたのです。
 裁判所も「部落の生活環境が犯罪を生む」「部落は悪の温床」、「部落民ならやりかねない」という部落差別をむきだしにし、一審の浦和地裁・内田裁判長は、わずか三ヵ月の裁判で石川さんに「死刑」を宣告しました。また、二審の東京高裁・寺尾裁判長は、さらに「部落民はウソつきだ」と「無期懲役」判決を下しました。
 1986年いらい、二度目の再審請求だされ、石川さん=無実をあきらかにする数々の新証拠がだされてきました。しかし、東京高裁・高木裁判長は、1999年7月8日、一度の事実調べもおこなわないまま「再審棄却」を決定しました。
 石川一雄さんは、この高木決定の取り消し、再審をもとめて異議申し立ておこないました。しかし、東京高裁・第五刑事部(高橋省吾裁判長)は2002年1月24日、石川さんの異議申し立てを棄却。現在、石川一雄さんは最高裁(第一小法廷)に特別抗告しています。