最新掲載日:2002・08・11
私たちも所属する<千葉県連絡会>のメンバーM.R.さん初登場です。 以下ご自身の紹介によるものです。 千葉県連絡会の方々、奮ってご投稿くださーい! 皆様におかれましては、暑い中の諸活動大変お疲れ様です。 さて、私は「8・6ヒロシマ大行動」に参加してきましたので、拙いですが以下にその感 想を述べたいと思います。 |
件名: 「8.6 広島大行動」参加の記 |
日 付: 2002/08/10 |
差出人: M.R.さん(千葉県連絡会) |
8月6日、広島原爆の日。 この日に行われる「ヒロシマ大行動」に参加するため、朝一番の新幹線で初めて広島の地に 足を踏み入れました。 かつて京都や大阪で活躍した車両や、最新のバリアフリー電車が行き交う「広電」の路面電 車に乗って平和公園へ。 写真や映像では何度も見た原爆ドーム。そこここに供えられた膨大な数の千羽鶴、菊の花。 線香のにおい。祈り歩く宗教者。歌で平和をアピールする若者たち。 それらの光景を目の当たりにして、「核兵器の恐ろしさ」とか「平和の大切さ」などといったあり きたりな言葉が実感を持って迫ってくるような、厳かで確かな重みを感じました。 昼からの集会では、実に様々な分野の方からの発言があり、それぞれの角度から日本の 「戦争のできる国づくり」反対、核も戦争もない世界を、というメッセージが心に響きました。 栗原貞子さんによる自作詩の朗読を聞いて、「加害」と「被害」を複眼的にとらえる視点の重 要性を改めて教えられたし、広島県教組委員長の山今さんからは、県北の学校で「人権」を テーマとした卒業製作レリーフを校長が勝手に廃棄したり、教組発行の「夏休みノート」注文 部数が大幅に減少したりといった、広島における異常なまでの平和教育つぶしの実態が明 らかにされました。 集会に続くデモでは、電車通りや広島県教委前、商店街アーケードを通り、「核兵器・原発 反対」「有事法制反対」「ヒロシマ・ナガサキを繰り返すな」と道行く人に訴えながら、元気に 行進してきました。 最後に、同じく千葉から参加された皆様にはお世話になりまして、本当にありがとうございま した。事情が許せば今後も参加したいと思いますので、よろしくお願いいたします。 |
ヒロシマというとき 栗原貞子 (ヒロシマ)というとき (ああ ヒロシマ)と やさしくこたえてくれるだろうか (ヒロシマ)といえば(パールハーバー) (ヒロシマ)といえば(南京虐殺) (ヒロシマ)といえば女や子どもを 壕のなかにとじこめ ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑 (ヒロシマ)といえば 血と炎のこだまが 返ってくるのだ (ヒロシマ)といえば (ああ ヒロシマ)とやさしくは 返ってこない アジアの国々の死者たちや無告の民が いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ (ヒロシマ)といえば (ああ ヒロシマ)と やさしくかえってくるためには 捨てた筈の武器を ほんとうに 捨てねばならない 異国の基地を撤去せねばならない その日までヒロシマは 残酷と不信のにがい都市だ 私たちは潜在する放射能に 灼かれるパリアだ (ヒロシマ)といえば (ああ ヒロシマ)と やさしいこたえが返ってくるためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない 一九七二、五 * (パリア)インドのカースト制度の中の「不可触賎民」 |
HP管理人より M.R.様 へ M.R.さんの新鮮な感動が伝わるお便りです。 戦争の惨禍を被害のみ強調したり、平和教育潰しなど、みな同じルーツですね。きっと。 それらのこと、日々手垢に汚れそうになる平和のことなどを厳かな雰囲気の中で気持ちを新 たにしてくれるのが「ヒロシマ」なのでしょうか。 ありがとうございました。 「8.6ヒロシマ大行動」参加報告(写真集)はこちら 「広島湾スタデイ・クルージング2002」参加報告 (お便りと写真集)はこちら |