とめよう排覚主義と戦争への道(

 12月19日、百万人署名運動の埼玉県連絡会が主催する「在日朝鮮人の人権を守ろう! 北朝鮮報道に疑問?あり 金石範さん講演会」を聞きに、 北浦和まで行ってきました。

 金さんのお話は、「歴史」なくして「いま」があるのか? という問いかけだったと思います。

 1945年に入ってからの「大日本帝国」指導部の動きから説き起こし、近衛文麿の「進言」('45年2月)など、戦争終結を決断する機会は何度もあったにもかかわらず、昭和天皇は受け入れなかった。'45年の早い段階で決断していれば、ソ連の参戦も、原爆投下も、「満州」での阿鼻叫喚地獄〜中国残留孤児も、シベリア抑留もなかったし、何よりも朝鮮の南北分断もなかった。「拉致問題」に関しても同じで、そもそも日本が「歴史に対する責任」として、南北双方との「正常化」をキチンと果たしていたなら起こり得なかったこと。「拉致」それ自体は決して許されるべきことではないが、日・米と韓国の軍事独裁政権が束になって北を敵視し、対決してきたことが招いた悲劇でもある、と強調していました。

 このことを全く踏まえていないのが、いまの「拉致問題」の取り扱われ方であり、それは拉致被害者家族の言動にも見て取れることだと思います。
 例えば、姉を拉致されたM・Tさんは新聞寄稿で、「植民地支配の呪縛から逃れて・・・」とか「日本よ、国家たれ」などと述べています。
 これについて金さんは、「こういう考えは、拉致問題をもって植民地支配の歴史と責任を消し去ろうとするものだ。たとえ被害者家族とは言え、歴史に踏み込むことは許されない。まさに精神の卑しさのあらわれだ」と断じ、「こういう連中に、朝鮮人は頭を下げなくてはならないのか・・・」と、涙ながらに声を詰まらせてしまいました。

 そして「在日朝鮮人に言いたい。 頭を上げろ。私たち朝鮮人は道義を訴えることによって、こういう考え方に打ち勝つことができるのだから」と。

 いまや、拉致報道は「さながら皇室報道の様相」(『噂の真相』1月号)であり、「家族会」「救う会」への表立った批判や異論の提起は絶対に許されない、という言論統制まがいの状況がまかり通っていますが、「救う会」の本質はと言えば、「朝鮮植民地支配は合法」「拉致事件の解決のためには自衛隊が出動すべきだ」(西岡力「救う会」副会長の発言、『週刊金曜日』12/20, 1/3合併号)という主張を掲げるタカ派団体そのものです。それと「家族会」が一体となり、何でもありの「強硬路線」を突っ走っています。
 仮にマスコミがそこを直視するなら、家族や支援団体の発言だからと何でも無批判にタレ流すようなことはできないはずです。

 この異常な拉致報道の陰で、ものも言えず、悔し涙を流す「在日」がいる。これ以上「在日」に涙を流させてはならない。改めてそう考えさせられた、貴重な集会だったと思います。

2002/12/23 written by R.M.