江戸城に向う朝鮮通信使の一行:
通信使はどこでも歓迎を受けたが、江戸の町では通信使一行を見るために桟敷席まで設けられるほどであった。
江戸時代には朝鮮通信使は計12回來日した。特に、1655年の4回目以降は徳川将軍の代替わりごとの派遣が定例となった。使節の人員は300〜500人にのぼり、朝鮮・日本側とも多大の経費と労力をかけて準備と接待に当たった。日本各地には通信使に縁のある書籍・芸能・絵画などが残されており,使節が両国の文化交流の上で大きな役割を果たしたことを示している。 (「日本史広辞典」より、山川出版社)