出雲のことばと生活4

 出雲弁は暮らしの中で使われ継承されてきました。
 貴方の出雲弁を綴ってみませんか。

 

 

たおし

高さ15cm径80cm位の丸く浅い竹篭に、強力な重粘土をニガリでこねたものを、硬く搗き固めてつめます。

それに厚さ5mm幅15cmぐらいの木片を、中心より外側まで、放射状に詰めた粘土面ょり3mmぐらい高く埋め込みます。

「えしし(石臼)」の歯とおなじものです。これを二枚合わせても歯と歯が摺り合うため簡単には摺り減りません。

歯の木片ですが長さ15cmぐらいに木(硬い樫かアベマキ)を輪切りにしたのを鉈で割ったものです。

釈迦に説法ですが「たたき」ご存知ですね。

昔コンクリートの無い時代、農村の玄関などの土間は全て「たたき」仕上げでした。

粘土とニガリを混ぜたものを叩いて叩いて仕上げたものです。コンクリ程ではありませんが非常に硬いものです。

欠点は梅雨期に塩分の為ジヤジヤすることでした。

「たおし」もこれを応用したもです。子供の頃作るのを見ていました。 

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海幸談義


にな

いま、「にな」をいがいて針でほじぇくーながらビールを飲んでいます。子供の頃は小田の海岸でなんぼでも獲ったものですが、今はスーパーでいい値段で売れています。/松尾[湖陵]

「にな貝」子供の頃海水浴に行くと必ず採って帰り、塩茹でしておやつ代わりに食べたものです。うまく回さないと先っちょが切れ「チェ」と舌打ちしながら。/森山[湖陵]


「にな貝」をほじくるのには木綿針を使われたことと思います。確かにクルッと回して尻尾までとることに夢中になりました/金沢[松江]


かめのて

最近「かめのて」がスーパーに有ってびっくりしました。これが食えると言う事は三十を過ぎてから、平田の友人に聞いて知りました。それまでも知っていましたが、あぎゃんもんが食えるだことの信じられませんでした。(でも、食ったら美味かった)/松尾[湖陵]

娘が島根町に勤務している頃、サザエなどと貰ってかえりましたが「こぎゃもん、うちんほーではくわせんぞ、くわえーか」といったら「騙されたとおもって、めそ汁ーにしてみらっしゃい」。旨かったですねー。はっきり記憶していませんが大きな「フジツボ」も混じっていたとおもいます。/森山[湖陵]


ぼべ貝

「にな貝」といっしょに「ぼべ貝」も獲りました。一気にとらないと固く岩くっき、絶対に離れない親指の先ほどの一枚貝です。サーと茹で貝と身を離し、茹汁と一緒に焚いた「ぼべ飯」、サザエ飯はよく食べますが、足元にもおよびません。思い出しただけで口から。/森山[湖陵]

「ぼべ貝」は松江では「べべ」といいます。学名は「マツバ貝」だそうです。これは調べてみてはじめてわかりました。なぜ「マツバ」なのかよくわかりませんが、昔、べべを獲るのに松葉で岩をいぶして獲ったことからきた呼称であろうか、と書いてありました。/金沢[松江]


うみうし

隠岐の「べこ」は皆さんご存知でしょうか。共通語で言う「あめふらし」または「うみうし」の事です。一度食べた事は有りますが、そのときの印象は取り立てて美味いとも思いませんでしたが、不味くもありませんでした。結構ゴムの様な歯ごたえがありました。/松尾[湖陵]

「あめふらし」は子どもころ海遊びをして何も獲物がないと、獲ってかえりました。大きなものでも海でバラすと内臓と墨(紫色)ばかりでほんに小さくなります。幾度となく食べましたが、少し辛味と苦味があり、おっしゃるようにゴムを咬むようでした。多岐あたりでは「うみしか」と言ってたと記憶しています。/森山[湖陵]


海そーめん
以前松江のある小料理屋で「うみそーめん」なるものが出て 麺好きの私も「これはいい」と感心したのですか、あとで聞いてみたら「あーは あめふらしの卵ですわ」と言われてびっくりしました。後で調べてみると「うみそーめん」は知る人ぞ知る珍味のようでした。/金沢[松江]


海草うどん
「うみそーめん」の話をしましたので思い出を一つ。終戦の直後私は中学二年生でしたが、すごい食糧難で食べるものは一つもありませんでした。そんなある日 東本町のハト食堂という店で「海草うどん」というものを食べたことを思い出します。その「海草うどん」なるものは麺類ではなく海草を砕いて、あの海草のネギ(ゼラチン質)を利用して麺風に打ち出したものでした。味は忘れましたが今なら吐き出すような味だったような気がします。「うみそーめん」はぱっとみでは この「海草うどん」によく似ています。「似て非なるもの」とはこのことをいうのだ、と思い出して書き込みました。/金沢[松江]



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ねずんの歯〜と 替〜えてごせ!」

先日1年生の娘の歯が抜けまして、我が家では恒例の「ねずんの歯〜と 替〜えてごせ!」をやりました。

miyake[東出雲]

懐かしい響きですね。

「ねじんの前歯(奥歯)と替えてごせ!」

屋根の上に投げたり(藁屋根だと落ちてこなくて助かりました)、縁の下に投げたり。

今岡[加茂]

 

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アブラゲがあたった

最近は聞きませんが、以前は葬儀の手伝いの代名詞でした。

と言うのも「しあげ」料理にアブラゲは絶対不可欠です。

アブラゲは昨今は日常食べますが以前は仏事か葬式以外はほとんど口にしませんでした。

「よりかた」が集まると先ず豆腐やアブラゲを豆腐屋へ注文しました。

そこらあたりから出た言葉だとおもいます。 

森山[湖陵]

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なぐー刈り

普通草刈は左手で草を握り右手に鎌をもちます。

刈った草などは集めて結束したりしますが、採草目的でない道にはみ出した雑草や植林地の下草刈など刈るとき草を握らずそれこそ「殴るよう」に鎌をつかいます。

数倍能率があがりまする 

森山[湖陵]

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すにねまらす

赤子を座らせて布団を巣のような形にして包んでおくことです。

終戦後頃までよくみられた農村風景です。

ベビーベットなど無かった時代、子守のいない農家が、一家総出で農作業に出るときなど、一番安全な方法です。

寝返による窒息や転落を防いだとおもいます。

森山[湖陵]

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ボラのへそ(ナイスのへそ)

○ボラも良く食べました。「ボラのへそ」大好きでした/miyake[東出雲]

そろばんの玉の格好をした、あれでしょ/松尾[湖陵]

○松江では「ナイスのへそ」といってました。「ナイス」も「ボラ」も同じですから「ボラのへそ」でもいいですよね/金沢[松江]

あれはボラやナイスの食道だそうです

たしかにソロバン玉にもみえますね。私は嫌いでした

○ボラは最近はあまり食べませんが、子供のころはよく食べました/森山[湖陵]

ヘソ(ソロバンの玉)を竹串に刺し味噌を塗り焼いて食べた思い出、旨かったですねー。 

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片のり

自転車の乗り始めを思い出しました。

湖陵あたりでは助走を「片のり」と言ったと思います。

この頃のように子供用自転車などないから大人の自転車を引っ張り出して練習したものです。

「片のり」が少し上達すると「三角のり」でした。

サドルに乗ると足がペタルに届かないので、逆三角形のシャーシの中から
もう片方の足をだし漕いだものです。

「三角のり」が出来るようになると嬉かったです。

それまでには、ずいぶん足も擦りむきましたが。 

森山[湖陵]

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よのぶろしき(よの風呂敷)

手織り木綿布を四枚継ぎ、四幅でつくった大きな風呂敷のことです。

風呂敷も昔(昭和初期ぐらいまで)の嫁入り道具の一つ。

大小あったがいずれも家紋が藍で染め抜かれてある。

[参考 類似語 よのふとん(四幅で作った掛け布団)]

森山[湖陵]

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えのこいし(亥の子石)

共通語   土木工事で土をつき固める石

説 明   扁平な丸い石に取っ手用の縄を放射線状につけたもの。石の大きさは作業人数によってことなる。普通四人で作業する



水利の悪い所の稲作の生命線は、農業用溜池で、保守管理には細心の注意を払った。怠ると土手が決壊し大災害が起こる。

いくら注意しても、長年の水の浸食と風化で土手が痩せ細り老朽化してくる。

何十年に一回だが大々的に漏水防止の補強工事が行われた。

「池普請」である。今なら重機があるが、昔は人力で大事業であった。

池の内側の底から上まで、幅一メートル位に良質の粘土を三十センチぐらいづつ敷き、皆が呼吸を合わせ「えのこ石」を、「あー やいとなー」「あー やいとなー」の掛け声で、目だいらまで引っ張るょうに引き上げては落し撞き固めた。

えのこ石は「池普請」の他か、棚田の漏水防止の底土を固めるのにも利用された。(えのこ石でたたく 打つ 突くとは言わず えのこ石でつくという)

「えのこ石」や「やいとなー」の掛け声の由来ははっきりしないが、広辞苑によると「西日本では旧暦十月の亥の日に田の神が去って行かれると信じられ、子供達が石に縄を付けたもので土を打ってまわる」とある。

当地でも昭和初期までの農家には、そんな風習があったらしく、亥の日の夜、こども達が太い縄かワラを束ねたものかで、地面を打ちながら「えのこさーん、、、後の囃子言葉は(出雲の童歌 亥の子)を参照」と囃しながら家の周りを回った。

元々は縄や稲藁ではなく、広辞苑と同じ石に縄を付けたもので、このあたりから出た言葉かもしれない。

森山[湖陵]

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社日っつぁんねしたこた、あとんなー

“社日さんにしたことは、後になる”

「後になる」とは、する前の状態に戻るという意味になります。

詳細な説明のある暦を見ると、毎年3月と9月に「社日」の記載があります。

この日を、私のところでは「社日っつぁん」と呼び、「社日っつぁんねしたこた、あとんなー」という諺風の言い伝えが残っていて、昔から、この日には肥土(こえつち → 肥料分のある土 → 田畑の土)には触らない

つまり、農作業を休む風習がありました。

「社日っつぁん」は農業の神様で、昔は各地区毎に祭られていて、春秋の社日には賑やかにお祭りもされていたようですが、最近は、特別な行事はしないという地区も増えてきています。

今でも、各地で「社日山」「社日っつぁん」などの名前で呼ばれているところが、その場所です。

やまが[八雲]

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じねんご

今年(2004年)、湖陵町一帯の篠竹にじねんご」が付き、小麦そっくりの実 をつけ枯れました。

十年ぐらい前は"くまざさ"、四十年ぐらい前は"真竹"に付き枯れま した。

完全に枯れるのではなく、数年かけて復元します。

病気ではなく、繁茂し過ぎるのをふせぐ、六十年ぐらい周期の自浄現象だそうです

森山[湖陵]

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こまがしら

この装置は昭和初期に使われていたものですので、私も母から聞いた話です。

こまがしら」は、水を高いところから導いて来る装置で、もしかしたら、水と一緒に流れて来る草やゴミ、小石、泥等を分別して掃除をしやすくする、いわゆる「溜めマス」的な役割もあったかもしれません。

<上から見た図>




まず、上から引いた水を真ん中の四角い箱に入れます。

すると、水が噴水のように少し吹き上げ、外の四角い箱に入ります

そこから、目的の場所まで引いて来る・・・ということのようです。

この装置が「こまがしら」で、おそらく、真ん中の四角い箱に何らかの仕掛けがあるはずですが詳細は解りません(^^;)

小さな噴水状に水を吹き上げる部分があり、子ども達が面白がって、よく草の葉を流して遊んだそうです。

それが管の中に流れ込んで詰まってしまうことが度々あったと聞いています。
 

やまが[八雲]

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びしゃもんさん

子供たちは1月3日の朝起きて揃うと親に「毘沙門さんがこらいたよ」という言葉を合図に、客間(おもて)にばら撒かれたお金を拾いあいます。

畳の上は勿論、障子のさん、床の間の坪の中、その部屋のあるとあらゆるところに置かれたお金を見つけて拾います

僕などは末っ子だったので兄や姉に比べて拾うのが遅いもんだから、当時五百円か千円か忘れましたが大きなお札が何枚か隠してありましたので、それを親に耳打ちされて拾い多少の帳尻を合わせてもらったのを覚えています。

子供にとってお年玉のようでも有り、一大イベントでした。

今思うと、何処の家でもやっていたのかどうかは分かりませんが、僕の
家は代々やっていたようです。

でも、今では実家でもやらなくなりました。

西村[木次]

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「おしのわ」

私の生家は山間部で、いろいろ不便でした。

今は自家用の精米は、自家か精米所で機械搗きですが、子供の頃は自家用精米機など無く人力で搗いてました。

大きな臼(からおし(唐臼))と、シーソーのような足で踏む杵がセットです。

バッタン、バッタンと足ふみ式です。

いつ頃から足ふみ式になったか解りませんが、それまではお月さんのウサギの餅搗のように長い杵で搗いたそうです。

そばに保有米の保管してある「ねぢんらじ」があり、一週に一度ぐらい搗きました。

日常使う臼の置き場所は、便利な入り口の土間が一番よく「うしのわ」とよばれるようになったのではないでしょうか。

森山[湖陵]

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つぎぶれ

うちんはたでは連絡網のごとくつぎぶれが回ります。

例えば、隣保で不幸があったときに、まず、隣保組長か連絡役の人のところに不幸があった家から連絡が行きます。

そして、回覧を回す順番に上隣保と下隣保に分けて電話でつぎぶれが回ります。

その後、通夜や葬儀の段取りが決まった時も同様につぎぶれが回ります。

そこまで重要でないことや話し合いが必要なことは常会で話し合います。

原[出雲]

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かーとーえわい

我が家の稲刈りが終わった日の夕食に、きょうはかーとーえわいといって少しご馳走をして飲める人は一杯多く飲んで無事終わったことを喜びました

何んと言ったか思い出せませんが、同じようなことを田植えの終わった日も祝いました。

我が家はだれも酒が飲めなかったのでボタモチなどを作りました。

森山[湖陵]

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