榎峠古戦場の現状

 

 久しぶりに長岡市の妙見を通ったら、妙見記念館の前で行っていた旧国道17号線の通行規制は解除されていた。しばらく進むと妙見の崩落現場(地元では白岩というらしい)の100m手前で通行止めになっていた。
旧国道17号線は、浦柄や旧山古志村の人にとっては長岡に通ずる生活道路であったので復旧が急がれている。トンネルで通り抜ける案、信濃川を渡り17号に合流する案などが検討されたが、早くしかも安く上がる方法として旧国道17号線を復興する案に決まったようだ。
現在もブルト−ザーで山肌を大きく削っているが、工事状況からは再開は近いものと思われる。。

 「榎峠古戦場パーク」の入口は、現在交通止めになっているところから50m位手前である。古戦場パークは地震前のままでほっとする。古戦場パークから信濃川と対岸の三仏生集落を右に見ながら山道を登る。
通行止めの看板はないが、周りの状況からどこかで通行できなくなることは容易に判る。約100m登ると案の定通行止めの旗がぶら下がっていた。
小千谷市浦柄から 長岡市妙見は崩れたまま 信濃川
妙見古戦場パーク 古戦場絵図 榎峠古戦場の碑
碑から崩落現場が見える ここで立入禁止 下をのぞく

 榎峠古戦場 (案内板から)
 榎峠は北越戦争の古戦場である。この地は三国街道の難所として知られ、信濃川が断崖の下にあった。
慶応4年(1868)5月、ここ榎峠で、東・西両軍の激しい戦いがあった。
はじめ西軍が榎峠を占領していたが、長岡藩兵らの東軍が奪いかえし、対岸の西軍陣地と砲戦を展開した。また南方の街道上からも激しい攻撃があった。東軍側もよく守ったため、戦いは朝日山に移っていった。

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