越後の分割統治と幕末の動向
上杉謙信の時代は越後は一国であったが、幕府は強大な越後の再来を恐れ、国力を弱めるために分割統治を行った。幕末時には藩は十一藩、会津の飛地六ヶ所(赤谷、津川、水原、小千谷、小出島、十日町)、桑名藩の飛地二ヶ所(加茂、柏崎)、このほかに米沢、上ノ山、高崎、沼津藩などの飛地があった。 また幕府直轄領(天領)が大きなものだけでも六ヶ所(新潟、出雲崎、浦川、黒川、関ノ井、直江津)にあり、越後の十一藩も各地に飛地を抱えていた。越後最大の藩である高田も、大半の領地を奥州に飛地として持っていた。 このように幕府は、本来は大国である越後を複雑に分割することにより、力を発揮できないようにしたのである。 |
(幕末の越後十一藩の動向) |
藩名 | 藩主 | 禄高 | 譜代・外様 | 動向 | 奥羽越列藩同盟 |
長岡 | 牧野 忠訓 | 七万四千石 | 譜代 | 中立 | 加盟 |
村上 | 内藤 信民 | 五万九千石 | 譜代 | 東軍 | 加盟 |
高田 | 榊原 正敬 | 十五万石 | 譜代 | 西軍 | . |
糸魚川 | 松平 直静 | 一万石 | 親藩 | 西軍 | . |
新発田 | 溝口 直正 | 十万石 | 外様 | 西軍 | 加盟 |
村松 | 堀 直賀 | 三万石 | 外様 | 大勢順応 | 加盟 |
与板 | 井伊 直安 | 二万石 | 譜代 | 大勢順応 | . |
三根山 | 牧野 忠良 | 一万一千石 | 譜代 | 大勢順応 | 加盟 |
三日市 | 柳沢 徳忠 | 一万石 | 譜代 | 大勢順応 | . |
黒川 | 柳沢 光忠 | 一万石 | 譜代 | 大勢順応 | 加盟 |
椎谷 | 堀 之美 | 一万石 | 譜代 | 大勢順応 | . |
越後長岡藩 牧野家 |
第8代孝元天皇の曾孫武内宿禰(たけのうちのすくね)を元祖とする。 田口を姓とし、源平時代には阿波民部少輔成能(しげよし)として活躍する。 戦国時代は三河牧野に住み牧野と称した。ここで牛久保城を拠点とした牧野氏が長岡藩の家系となった。康成の時代に今川氏から徳川家康の配下に入り、十七将の一人となった。 米百俵にも登場する、「三州牛久保の壁書」の「常在戦場」質実剛健を家風とした。 上州大胡、越後長峯を経て、元和4年(1618)長岡に入り、幕末まで250年間、越後の中心地である長岡から動くことはなかった。 9代忠精から忠雅、忠恭の三代にわたり老中となり、幕府の要職を務めた。 また藩内の栃尾は、「義」を重んじた戦国の英雄上杉謙信を生んだ土地でもある。 牧野家の支藩には笠間八万石、田辺三万五千石、小諸一万五千石、三根山一万一千石がある。 |
長岡駅地下道にある水島爾保布画 の「正月元旦年賀登城図」 |
只見町「河井継之助記念館」の牧野家柏のご紋が入った火薬入 | 長岡藩お抱力士両国梶之助 化粧褌は長岡藩の三段梯子 |
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