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河井継之助が登りたかった山
(塵壷から)
河井継之助は安政6年(1859)6月7日に備中松山の山田方谷に教えを請うため江戸を発った。この旅日記が「塵壷」である。塵壷によれば、富士宮市付近から富士山を登り始めたが、悪天候により断念する。一端引き返し、再度挑戦するもまた阻まれる。 自分を寄せ付けない山を、「富士は実に聖人の如し」と悔しがった。
写真は新千円札、旧五千円札で有名な本栖湖からの富士山。(山梨県身延町)
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