毎日新聞に慈眼寺復興の記事

 8月24日の毎日新聞に慈眼寺の復興の記事が載った。

《新潟中越地震:被災の慈眼寺が復旧 全国のファンらから義援金−−小千谷 /新潟》
  ◇司馬遼太郎さんの小説「峠」にも登場

 1868(慶応4)年の戊辰(ぼしん)戦争で長岡藩が官軍と会談したことで知られ、中越地震で被災した小千谷市の慈眼寺が全国各地の歴史愛好家らから寄せられた義援金などで復旧を遂げた。
中越地震復興の象徴となった同寺再建に、副住職の船岡芳英さん(51)は「多くの人に気にしていただき、ありがたいかぎり」と話している。
 
 同寺本堂内の「会見の間」は同藩家老の河井継之助が戦闘回避を目指し、官軍軍監の岩村精一郎と談判した歴史的舞台で知られる同市指定文化財。
66年11月〜68年5月、毎日新聞に連載され、後に新潮社から刊行された司馬遼太郎さんの小説「峠」にも描かれている。
 
 しかし、04年10月23日、同市を襲った震度6強の地震によって会見の間など本堂内の壁がことごとく崩壊し、柱が傾くなど激しく損壊し、倒壊の危機にさらされた。
復旧費用に約5000万円かかる見通しだったが、檀家(だんか)も被災し、自力再生は困難な状況に陥った。  

 歴史遺産の危機に地元商工会議所やボランティアらが「小千谷北越戊辰史蹟(しせき)復興支援の会」を結成し、かつての「敵」の薩長、鹿児島県や山口県をはじめ全国に寄付を呼び掛けるなど、慈眼寺再建への運動が高まった。

 過去に見学した歴史愛好家、司馬作品の愛好家を中心とした支援者約500人のほか、坂本龍馬ファンの集い「龍馬会」などのグループから計約1000万円の浄財が集まり、保険金や檀家の寄付と合わせ、昨年夏、復旧工事が始まった。    

 船岡さんは「支援してくれた多くの方が『峠』を読んだ人のはず。影響力を実感した」と話し、絵はがきと絵入りの切手で礼状を送る予定だ。同寺では建物のみの見学の受け入れを再開。
既に同市商工観光課にも問い合わせが相次いでいる。9月中旬から資料も展示する予定だ。

 (毎日新聞2006年8月24日から)
(2006年8月25日)


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