復興なった船岡山の西軍墓地

 小千谷市内には戊辰の史跡として、慈眼寺会見の間、船岡山の西軍墓地、朝日山古戦場などがあります。これらはいずれも中越地震で大きな被害に遭いました。小千谷北越戊辰史跡復興支援の会が中心になり、全国に史跡の復興支援を呼びかけたところ多くの支援金が集まりました。

 さっそく船岡山の西軍墓地も墓石や石碑が建て直され、モニュメント(記念碑)も建立されました。中越地区の被災地はまだ復興の途上にありますので、西軍墓地に建てられたのが中越地震の最初のモニュメントかも知れません。

 西軍墓地は復興しましたが、市民のオアシスの場所である船岡公園には、まだ工事関係者以外は立ち入ることができません。
写真は「桜の名所船岡山」の桜が散った5月下旬に撮影しました。
(2006年5月25日)

復興なった西軍墓地のモニュメント

 慶応4年(1868)戊辰戦争が勃発近代日本黎明期の
戦いと位置付けられている。
激戦地となった小千谷で異郷の地の多くの若者が命を
捧げた。
“死ねば皆仏”の小千谷人の寛容な慈愛により、
西軍墓地を造り懇なる供養を続けてきた。
 平成16年(2004)突如として当地を震源とする
新潟県中越地震が襲い壊滅的打撃を被り、
この西軍墓地も甚大な被害を受けた。
 先人から受け継いだ史跡“慈しみの心”をとだえさせては
ならない、との熱き思いで皆様の浄財により
ここに修復し復興小千谷の証とならんことを願って
後世に引き渡す。

   平成17年10月建之
          小千谷北越戊辰史跡復興支援の会
慈眼寺先代住職船岡芳快揮毫 西軍墓地の薩州区画 長州奇兵隊時山直八碑

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