堀口大学文庫オープン(葉山町)

 米百俵で育った人物の一人として詩人の堀口大学があげられる。2006年11月4日の朝日新聞に神奈川県葉山町の町立図書館に堀口大学文庫が11月1日から設けられたと報じられた。
堀口は晩年に温暖な葉山町に住み、名誉町民で文化勲章受章者となった。町では偉大な堀口の業績を称えるため、一室を堀口大学コーナーとして関連資料を常時展示することにした。

 堀口は東京大学の学生である堀口九萬一の長男として、明治25年(1892)1月8日、東京の文京区で生まれた。父が学生であったことと生まれた所が東京大学の近くであったことに因み大学と名付けられた。 外交官になった父が朝鮮に赴任するに伴い父の郷里の長岡市に移り住んだ。 幼年期から少年期を長岡で暮らし、米百俵の長岡高校に学んだ。父のメキシコ赴任に伴い慶応大学を中退し、メキシコ大学でフランス文学を学ぶ。この頃から文学に目覚め、 作詩、作歌にとどまらず、随筆、評論、エッセイ、翻訳と多方面におよび、生涯に刊行された著訳書は300点を超える。芸術院会員から文化勲章受賞に上り詰め、長岡が誇る米百俵が生んだ逸材の一人となった。

米百俵のひとり掘口大学 米百俵
  堀口大学の一生
年 号 西 暦 できごと
明治25年 1892 東大生の父九萬一の長男として東京都文京区に生まれる
明治27年 1894 父の朝鮮赴任により郷里長岡の東神田に住む
明治28年 1895 母の政は23歳で死去。大学3歳
明治42年 1909 長岡中学(現長岡高校)を卒業。上京し与謝野鉄幹、晶子夫妻の新詩社に入門
明治43年 1910 慶応大学仏文科中退しメキシコに渡る
大正 2年 1913 父の新任地スペインに渡る
大正 3年 1914 喀血しスイスで療養
大正 6年 1917 単身帰国
大正 7年 1918 父に伴いブラジルへ
大正 8年 1919 詩集「月光とピエロ」、歌集「パンの笛」発表
大正12年 1923 父とルーマニアへ。14年帰国
昭和20年 1945 妻の実家の妙高山麓関川に疎開
昭和21年 1946 高田(現上越市)に移る
昭和25年 1946 高田から葉山町に移り住む
昭和32年 1957 芸術院会員
昭和33年 1958 詩集「夕の虹」で読売文学賞を受賞
昭和54年 1979 文化勲章受賞
昭和56年 1981 葉山で死去。89歳

 牧葉山町の森戸神社境内には堀口大学「花はいろ ひとはこころ」と刻まれた詩碑があるというが、管理人はまだ見てない。堀口大学文庫と詩碑はぜひ訪れてみたい。

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