河井継之助の改革


 山田方谷に教えを受けた河井継之助が行った改革。
「民は国のもと、吏は民の雇い」の揮毫にあるように、継之助が行った経世済民の改革には、現代も学ぶものが多い。

 継之助の改革により長岡藩の累積赤字は解消し、多額の剰余金を持つようになった。学制の改革は米百俵の小林虎三郎に受け継がれる。

  『民者國之本 吏者民之雇』 (たみはくにのもと りはたみのやとい)
            民が国のもとで、役人は民の雇われ人である
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主な改革 改革の内容
人材の登用 禄高に関係なく、実力本位で藩士を登用し、適任適所の人材配置をした
賄賂の禁止 慣習化していた賄賂、饗応、請託を禁止。郡奉行に就任した直後に起こった山中騒動では身をもって実践した。米寿の祝いまで付き返し、後で詫びた話まである
毛見(けみ)廃止 毎年収穫前に毛見役人が、稲作の状態で年貢を決める制度を見直し、過去の収穫を参考にして、一律に年貢を下げた。
相互扶助制度 水難を理由にした手当米の支給を廃止、相対救(あいたいすくい)という組の相互扶助を義務づけた
中ノ口川改修 村上藩と協力して、中ノ口川の川幅を均衡にし、樋を布設して、信濃川の洪水や海水の逆流を防ぐことで米を増産した
寄場の設置 犯罪者を罰するだけでなく、更生と職業訓練をさせる寄場を設け、放免の日には労役の積立金を与えた。寄場の最初の場長は、後の阪神電鉄創業者の外山寅太(脩造)
賭博の禁止 風紀の害毒の多さを説き賭博を禁止。自ら博徒をよそおい賭場に入り、通達の徹底を確認
遊郭の廃止 女郎屋、芸者置屋、貸座席屋を廃止し、業者に転業の資金を貸与、娼婦には旅費を与えて家に帰した。遊郭通いで有名な継之助が自ら禁止
河税の廃止 収入源だった信濃川の通行税(河)税を廃止し、自由な通行を推進することで町を活性化させる
株の特権廃止 舟乗、魚屋、湯屋、髪結、青物問屋、鬢付油の6業種の株に対する特権を廃止し、自由競争にした
町制の改革 不正の噂がある検断職の免職。町役人の人員削減、給与規定の見直し
藩財政の改革 家臣一同に倹約を奨励。領民には藩財政の公開と、藩主藩民が改革に取り組む証として、藩候の調度品の売却を進める
兵制の改革 鵜殿団十郎によるフランス式の兵制を推進した。兵学所、練兵所の設置
西洋式装備推進 各戸に最新のミニエー銃を配備。東洋に3門しかないガトリング砲の2門を装備
禄高の改正 藩士の禄高をほぼ100石に平準化し、兵の統制を容易にした。自らの禄高は120石の増減なしに据え置いた
学制の改革 藩校崇徳館に造士寮を設け、寄宿制により人材の育成をした

河井継之助
(慈眼寺)
河井継之助邸跡
(長岡市長町)
蒼龍窟(継之助の雅号)
の書(慈眼寺)
長岡藩の秘密兵器ガトリング砲
(長岡市の米百俵祭り)
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