幻の満州柏崎村
第二次世界大戦中に柏崎が満州に柏崎村を造ろうとした歴史の事実がある。このことは柏崎に赴任した3年半の間に知った。 ある年に長岡の実家で法事があり、大阪から叔母が久しぶりに里帰りをした。法事も無事に終わり、叔母は大阪に帰るのであるが、この日は柏崎の我が家に泊まり、翌日朝の急行「赤倉」に乗ってはどうかと勧めた。叔母はとても喜び我が家に来たのであるが、家に着くと電話を貸してくれという。 「先生、ご無沙汰しています。その節は誠にありがとうございました」と声が聞こえ、受話器を持ったままでしきりに頭を下げる。後で知ったことであるが、電話の相手は柏崎市に住む元満州国の二龍山(あるろんしゃん)開拓団の国民学校長深田信四郎さんであった。 |
柏崎村開拓団の「満州柏崎村の塔」がある赤坂山公園の松雲山荘入口 |
我が家では父の妹(叔母さん)と母の兄(伯父さん)の二家族が、満州開拓団に参加したことは知っていた。しかも二男、三男の口減らしではなく、それぞれが家を継いだ長男夫婦の家族であった。 翌日、柏崎駅から叔母を見送ったが、たいしたことをしたわけでないのにとても感謝をされた。 駅から戻り、元小学校長の大家さんに深田信四郎なる人物を尋ねると、良く知っている学校長の仲間で、とても人格者であることがわかった。 その後、深田信四郎さんご夫妻の著した「二龍山」という本が、柏崎日報から発行されていることを知り手に入れた。 「二龍山」によれば、かって日本は国策に基づいて満州国を設立し、多くの日本人が開拓民として満州に入植した。やがて敗戦を迎え、それまで味方であった軍部は、満州の地に開拓民を残しいち早く避難した。「二龍山」には、反撃する中国軍や南下するソ連軍に追われ、逃げ惑う開拓民の悲劇が描かれている。登場人物が全て実名なのもリアルである。 深田信四郎さんという稀代のリーダーに率いられても、開拓民の約半数は生きて日本に帰還できなかった。 本の最後に、開拓団の家族毎の名前が載っており、生還した人は○印、満州の土に還った人を●で表わしていたが、全滅した家族も多く、親がいくら幼い子を助けようとしても、結果は哀れなものであった。 二龍山の本は、何回か読み返したが、開拓団員の一人で当時少年だった名古屋在住の従兄弟が、ぜひ欲しいというので譲り渡して今は手元にない。 |
開拓団が思い出したであろう米山 | そして鯨波の海岸 |
柏崎で紅葉が特に美しい赤坂山公園に、柏崎村開拓団「満洲柏崎村の塔」が建てられている。昭和61年(1986)に建てられたもので、柏崎に赴任していた時にはこの塔はなかった。 三条市周辺で組織したのが前述の「二龍山開拓団」で、同じように柏崎市が送り出したのが「柏崎村開拓団」である。 深田信四郎さんは二龍山開拓団の国民学校長で、「二龍山」刊行後に柏崎村開拓団の関係者の聞き取りをして「幻の満州柏崎村」も著した。 |
佐渡情話で知られた番神堂 | 駅舎は変わったが開拓団のふるさと柏崎駅 |
「柏崎市史」(市史編纂委員会編)にみる満州柏崎村の歴史 | |||
昭和7年 | 1932 | 3月 1日 | 満州国建国宣言 |
14年 | 1939 | 4月10日 | 刈羽郡満蒙開拓後援会、公会堂で結成式 |
16年 | 1941 | 2月 3日 | 柏崎神社前で義勇軍先遣隊柏崎小学校訓導深田信四郎の壮行式 |
7月26日 | 柏崎大陸開拓後援会結成 | ||
17年 | 1942 | 1月 6日 | 満州柏崎村建設期成同盟会設立 |
4月 4日 | 満州柏崎村開拓農民第1次先遣隊29人、柏崎市公会堂で県主催の壮行式 | ||
6月 8日 | 満州柏崎村建設隊本隊、曽田武雄以下8人出発 | ||
20年 | 1945 | 8月15日 | 天皇「終戦」詔勅放送 |
2009年5月、長岡の招魂社祭の旅の途中で、勝海舟のふるさと杉平と赤坂公園に立ち寄った。今回は松雲山荘の入口ではなく、国道8号線側から公園に入った。 左手の奥の日本海を見下ろす丘に、白亜の大きな塔が建っている。背面に回ると満州柏崎村の建設を夢見て大陸の土になった、開拓団の名前が刻まれている。 一家、5〜6人全員死亡もあり、貧しかった日本の同世代に育った者として哀れでならない。 下に柏崎青年会議所の、「まちしるべ」による塔の説明を載せておく。 (この部分から、2009年5月追記) |
満州柏崎村の塔 |
まちしるべNo.46 白亜双柱の塔(満州柏崎村の塔) |
柏崎村開拓団は、旧満州国三江省(現・国竜江省)通河県にありました。 太平洋戦争中の1942年に国の政策のもと、 市の要請に応えて新たな柏崎村を開拓することを夢みた総戸数45戸206名が満州に入植しました。 1945年8月8日に旧ソ連の対日宣戦布告 、満州侵攻により多くの残留婦人、 残留孤児を残しながらの過酷な逃避行を余儀無くされ、多くの人が亡くなりました。 この塔は満州で命を落し、 日本へ帰郷出来なかった人の鎮魂と平和を願い1986年7月、 日本海から中国を望むこの地に建立されました。 財団法人 柏崎青年会議所 |
赤坂公園のモニュメント | 柏崎青年会議所の「まちしるべ」 |
満州柏崎村の塔の文字 | 満州の土となった開拓団民と関係者 |
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