海に沈む夕陽と祇園祭り



柏崎に帰省した友人が、柏崎港の祇園まつりの花火の写真を、メールで送ってくれた。
長岡の花火、片貝の花火とともに、一度は見たい柏崎の“海の花火”である。
この季節の柏崎は、海水浴と祇園祭りの街に変る。先ずは風光明媚な「鴎が鼻」を訪れる。

この一帯は風光明媚な福浦八景と言われ、その中でも海岸からの眺めが綺麗なのが、 鴎が鼻である。遠くに米山、その手前に赤と白の米山大橋、そして絶壁に連なる海岸線がみごとである。
柏崎に赴任した4年間は、ここから日本海に沈む夕日を眺めることが多かった。


夕日に照らされて輝く米山と奥の米山大橋

8代将軍吉宗の孫で、寛政の改革で知られる松平定信公は、白河と柏崎を領地とした。諸外国からの開国の動きを機敏に察知し、柏崎の海岸線に台場(砲台)を築いて防備を固めた。
定信の説明は真面目な歴史の話であるが、説明文が書かれた石碑の回りはちょっと異様である。

少しカメラを引くと、何とこの岬はいつの間にか、大砲で国を守るお台場から、今度は鎖と頑丈な鍵によって守る恋人岬に変ってしまった。
柏崎に住んでいたころは、恋人岬なかったが、何度も足を運んだ思い出の場所である。


少し手前から見るとハートばかり 松平定信公の説明文も苦笑いか
恋人岬を登ると、明治の初期に天皇が行幸された時に、立ち寄った御立公園(おのだちこうえん)である。日本海に沈む夕陽を見るのには、ここが絶好のビューポイントである。
夕陽から光の帯が真っ直ぐに伸びてきて、空の色が鮮やかに変化する。

夕陽から真っ直ぐに伸びる光の帯

太陽の輪郭が見えてきた 瞬く間に着水

毎年7月下旬には柏崎の夏の風物詩の祇園祭が行われる。子の祭りは6月の「えんま市」とともに柏崎の祭りの双璧である。
昭和25年に市制10周年の記念に、海上花火大会などが行われ、現在の祭りにつながっているが、古くは鵜川の下流にある八坂神社の祇園祭に由来し、明治初年には既に花火奉納が行われていたと伝わる。

越後三大花火の一つで、「川の長岡」、「山の片貝」とこの「海の柏崎」である。「海の柏崎の呼び物は、水中大スターマインで、水中を走る光と港に映える花火は圧巻である。
夕陽に輝く柏崎港方面、この先で花火が行われる

越後三大花火の一つ「海の柏崎」

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