河井継之助の年譜とその後
北越の蒼い龍・河井継之助の生涯 |
年 号 | 西 暦 | 年 齢 | 河井継之助および長岡のできごと | 国内のできごと |
文政10年 | 1827 | 1 | 1/1河井継之助誕生。父代右衛門秋紀、母貞子。河井家の禄120石 | . |
天保11年 | 1840 | 14 | 藩主牧野忠雅京都所司代となる。庄内藩、川越藩との三方領地替え事件発生 | . |
天保13年 | 1842 | 16 | 元服して秋義と名のる | . |
天保14年 | 1843 | 17 | 忠雅老中となる。長岡領の新潟港上知命令 | . |
弘化 元年 | 1844 | 18 | 長岡大火(俊治火事)で家全焼 | . |
嘉永 3年 | 1850 | 24 | 梛野嘉兵衛の妹すが(16)と婚姻 | . |
嘉永 5年 | 1852 | 26 | 江戸留学。斉藤拙堂、古賀茶渓、佐久間象山に学ぶ | . |
嘉永 6年 | 1853 | 27 | 藩改革の建白書を出す。小林虎三郎は横浜開港を進言して謹慎 | 黒船でぺりー来航 |
安政 元年 | 1854 | 28 | 筆頭老中阿部正弘を助け、牧野忠雅開国を進める | ぺりー再来航 下田条約締結 |
安政 3年 | 1856 | 30 | 川島億次郎と東北各地を歴訪 | . |
安政 4年 | 1857 | 31 | 家督を相続。外様吟味役に昇進 | . |
安政 5年 | 1858 | 32 | 忠雅没、牧野忠恭藩主となる。年末に江戸遊学の旅に発つ | 日米修好通商条約調印 |
安政 6年 | 1859 | 33 | 江戸遊学。備中松山で山田方谷に学ぶ。四国、九州歴訪。旅行記「塵壷」 | 安政の大獄 |
万延 元年 | 1860 | 34 | 備中松山から江戸に戻り、三たび久敬舎に入る | 桜田門外の変 |
文久 元年 | 1861 | 35 | 遊学を終え長岡に帰る。藩制改革の意見書提出 | . |
文久 2年 | 1862 | 36 | 牧野忠恭京都所司代拝命。藩主に伴い京都詰め | 松平容保京都守護職 |
文久 3年 | 1863 | 37 | . | 新選組、京都守護職下に入る |
元治 元年 | 1864 | 38 | 忠恭老中就任。者頭格御用人兼公用人となり江戸出府。笠間藩主と論争し帰郷 | 池田屋騒動。禁門の変 第一次長州征伐 |
慶応 元年 | 1865 | 39 | 郡奉行就任。山中事件を解決。忠恭老中辞任 | . |
慶応 2年 | 1866 | 40 | 藩制改革。町奉行兼務 | 薩長同盟。将軍家持、孝明天皇死去 |
慶応 3年 | 1867 | 41 | 御年寄役(中老)。江戸詰め。忠恭隠居。藩主牧野忠訓と上京、朝廷に建白書提出 | 明治天皇即位。大政奉還王政復古 |
慶応 4年 明治 元年 |
1868 | 42 | 家老上席、軍事総督。禄高の均衡化断行。5/2小千谷慈眼寺での会談決裂。榎峠、朝日山の戦い。長岡落城。今町の戦い。 長岡城奪還。新町口で重傷。八十里越。8/16会津塩沢で没す。9/23長岡藩降伏 | 鳥羽伏見の戦い 江戸城無血開城 北越戦争 会津戦争 |
「むろん、全藩降伏という道はある。しかしながら、我が長岡藩はそれを望まぬ」(中略)「よろしく公論を百年の後に俟(ま)って玉砕せんのみ」 (司馬遼太郎「峠」より) 「松蔵、火を熾(さか)んにせよ」と、継之助は一度だけ、声をもらした。そのあと目を据え、やがて自分を焼くであろう闇の中の火を見つめつづけた。夜半、風がおこった。 八月十六日午後八時、死去。 (司馬遼太郎「峠」より) |
そしてその後 |
明治 2年 | 1869 | 没後1年 | 反逆首謀者として河井、山本家は家名断絶。牧野忠毅を長岡藩知事に任命 | 版籍奉還 函館戦争 |
明治 3年 | 1870 | 2年 | 三根山藩から救援の米百俵が届く | . |
明治 4年 | 1871 | 3年 | 長岡藩廃藩、柏崎県に併合 | 廃藩置県 |
明治10年 | 1877 | 9年 | 西南戦争に長岡士族参加 | 西南戦争 |
明治16年 | 1883 | 15年 | 河井家の家名再興なる | . |
明治22年 | 1889 | 21年 | 大特赦により罪名消滅 | 大日本帝国憲法発布 |
明治27年 | 1894 | 26年 | 妻すが(61)没す | 日清戦争 |
明治31年 | 1898 | 30年 | 長岡城跡に長岡駅ができる | . |
明治37年 | 1904 | 36年 | . | 日露戦争 |
明治39年 | 1906 | 38年 | 市制施行で長岡市誕生 | . |
明治42年 | 1909 | 41年 | 今泉鐸次郎「河井継之助伝」初版発行 | . |
大正 4年 | 1915 | 47年 | 高野五十六(31)が山本家を相続 | . |
大正 5年 | 1916 | 48年 | 継之助の教えを受けた阪神創業の外山脩造没す(74) | . |
大正12年 | 1923 | 55年 | 司馬遼太郎誕生 | 関東大震災 |
昭和16年 | 1941 | 73年 | . | 太平洋戦争開戦 |
昭和18年 | 1943 | 75年 | 山本五十六(59)戦死。山本有三「米百俵」の戯曲発表 | . |
昭和20年 | 1945 | 78年 | 長岡大空襲 | 広島長崎原爆投下 終戦 |
昭和36年 | 1961 | 93年 | 三六豪雪、長岡地震、中越集中豪雨、第二室戸台風 | . |
昭和38年 | 1963 | 95年 | 三八豪雪 | . |
昭和39年 | 1964 | 96年 | 新潟地震 | 東京オリンピック |
昭和41年 | 1966 | 98年 | 11月毎日新聞に司馬遼太郎「峠」連載開始 | 日本人口1億人突破 |
昭和43年 | 1968 | 100年 | 5月「峠」連載完。「峠」新潮社刊行 | . |
平成 5年 | 1993 | 125年 | 榎峠、朝日山の古戦場が見える小千谷・高梨の「越の大橋」のたもとに「峠」文学碑が建つ | . |
平成 7年 | 1995 | 127年 | . | 阪神大震災 |
平成 8年 | 1996 | 128年 | 司馬遼太郎(72)没す | . |
平成14年 | 2002 | 134年 | 小泉首相が所信表明で「米百俵」の故事引用 | . |
平成16年 | 2004 | 136年 | 10/23新潟県中越地震 | 12/26インド洋大津波 |
平成18年 | 2006 | 138年 | 12/27生家跡に河井継之助記念館できる |
継之助の生誕地跡 (長岡市長町) |
和平をかけ会談した慈眼寺 (小千谷市平成) |
八十里腰抜け武士の 越す峠(只見) |
地震で倒れた継之助碑 (長岡市悠久山) |
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