小泉首相の所信表明演説(米百俵の引用)

2002年5月7日
小泉内閣が発足し、最初の所信表明演説のむすびで、『米百俵の故事』を引用した。
明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。

しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。

今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。
小泉純一郎首相
米百俵の群像(長岡市) 小林虎三郎 10月に行われる米百俵祭 凛々しい森長岡市長
小林 虎三郎 文政11年(1928)、長岡藩士小林又兵衛の三男として誕生。河井継之助より1歳年下。
佐久間象山に学び、吉田寅次郎(松蔭)と「象山塾の二虎(にとら)」といわれる英才である。
ペリー提督の黒船を見て、下田より神奈川(横浜)開港が良いとの意見書を、老中であった藩主に差し出し、蟄居を命ぜられ表舞台から消えた。
継之助とは縁戚関係にあるが、藩の政治に対する考えはことごとく違った。

戊辰戦争の敗戦後、復興を目指す長岡藩の文武総督に任命され大参事となった。
明治3年(1870)、三根山藩(巻町)から救援の米百俵が届いた。虎三郎は反対を押し切って、これを藩士に分配せず、国漢学校の建設資金にあてた。
虎三郎は生来病弱で、国漢学校が開校した翌年には「病翁(へいおう)」と改名し、明治10年(1877)信念を貫いた50歳の生涯を東京で閉じた。
山本 有三 「路傍の石」、「真実一路」、「米百俵」の小説や戯曲で知られる。明治20年(1887)生まれ。 有三は海軍軍人でありながら、日米開戦に反対する山本五十六の不思議な人間性に興味を持った。五十六が戊辰戦争に敗れた長岡の出身と知り、この五十六が尊敬している悲劇の英雄「河井継之助」を執筆する準備を進めた。 現地で調査している過程で米百俵の話しを知り、戦争に反対した小林虎三郎の戯曲を書くことになったという。

昭和18年、戯曲「米百俵」の発表直前に、五十六は南海の空に散った。
当時は軍部の支配下にあり、反戦戯曲と弾圧を受け絶版、自主回収の憂き目をみた。昭和50年長岡市が復刻出版することになり、歌舞伎座でも上演され大きな反響を呼んだ。
河井継之助、山本五十六、小林虎三郎に共通するものは、戦争に反対し平和を求める姿勢であろう。
いま米百俵の精神は日本よりも、海外の発展途上国で評価が高い。
三鷹市の玉川上水のほとりに「山本有三記念館」がある。

 ちょっと違う「米百俵の精神」

長岡市のホームページでは、「国がおこるのも町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ。」という小林虎三郎の主張は、「目先のことばかりにとらわれず、明日をよくしよう」となっている。

これが誤解され、政治家には「国民に我慢を強いること」のように取られているむきがある。長岡藩は三根山藩から藩士にきた米を、彼らの既得権を放棄してまで、明日の繁栄のために教育資金に廻したのである。領民に痛みを求めてはいない、むしろ設立した国漢学校では今まで藩士の子弟だけだった教育の機会を、町民、農民にも門戸を開放した。
小林虎三郎も立派であるが、明日のために家族に食べさせる米を諦めた藩士がむしろ尊いのである。
また、送り主の三根山藩が戦争の後遺症で苦しむ中から、血の滲む中で捻出した百俵であることを忘れてはならない。そして三根山藩の地元である巻町や岩室村(双方とも現新潟市)には、米百俵を贈った美談は彼らの記録になかったことを知ってほしい。

長岡藩士は2月の旧正月までけっして新米を食べなかったという。領民の汗の上に藩士の暮らしがあることを自覚していたことによる。
また幕末に長岡藩が禄高の均衡化の改革を実施し、上士の禄高を大幅に減らし、多くの下士の禄高を上げた。これも明日のために門閥達が既得権を放棄したのである。改革のためには藩主も、進んで大切な家宝をことごとく売り払い、国漢学校の設立には多額の寄付をした。
みんなが「常在戦場」の教えを、一途に守り通している。

いまこそ「民はくにのもと、吏(り)は民の雇(やと)い」という河井之助が残した言葉を噛み締めたい。
構造改革を推進するために、従来の特権をそのままにして、国民に忍耐と我慢を求める議員がいたとしたら、それこそ真の米百俵の精神を見習って欲しいものだ。
今の政治家、官僚や役人が自らの給料を減らし、その金を教育費に回すことができるのか。小泉総理の「米百俵」の故事の引用が空回りにならないことを祈りたい。

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